(2017.2.26 公開)


小泊林道板割沢支線  (追加調査)

2013年6月、青森県の地元紙である東奥日報の一面記事に、なんと小泊林道板割沢支線の記事が掲載されました。以下がその内容です。


【2013年6月2日(日)東奥日報】
107年前のレール沢筋に

 小泊(中泊)森林軌道跡、敷設全国2番目
 地元研究家ら確認


 明治、大正、昭和と全国の山間部で木材の搬出に使われた森林軌道(森林鉄道)。県内では津軽、下北半島を中心にヒバの搬出などに活躍したが、戦後はトラック輸送が取って代わり、路線廃止とともにレールは撤去された。ところが、中泊町小泊の板割沢の沢筋に、小泊林道板割沢支線のレールの一部が残っていることを、地元の歴史研究家らが今春確認。全国で2番目に古い1906年(明治39年)敷設のさび付いたレールは、トロッコが行き来し、ヒバの切り出しが盛んだった往時を、ひっそりと今に伝えている。
(以下、本文略)
注:「全国で2番目」とは、国有林に敷設された森林軌道の順番と思われます。全国で一番古い国有林の軌道は明治37年に和歌山県九度山に敷設されたもので、2番目に古いのが明治39年(38年?)の熊本の白浜軌道と、今回紹介した板割沢支線であるようです。


なにぃ〜!

2003年の初調査時には、何もないと思って途中で引き返してしまったが、レールがあったのか…。

と、いうことで、新聞掲載から13日後の2013年6月15日、早速現地調査に行って来ました。

新聞記事ではどこにレールがあるかの記載が無かったので、磯松小泊連絡林道の分岐点から板割沢を遡上しました。
この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。


     2013年6月15日の調査


やる気満々でスタートしましたが、既に6月中旬で調査に適した時期を過ぎており、草木が邪魔なだけでなく、クモの巣が顔に張り付くなど、手こずりました。


途中の林道との交点までは、軌条を見つけられませんでした。ここまでの区間は2003年にも調査しているので、軌条があるとすれば、この先に違いありません。

しかし、繁茂した草木が邪魔です。設置されている林道の看板も草に隠れて見えなくなっています。


川原を進んでも草が邪魔で軌道跡がわかりません。それでも頑張って進むと、木橋の橋桁のような遺構を発見しました。


続いて、ひん曲がった軌条も見つけました。

この先に進めば、もっと何か見つかるはず!


…と、思ったらデカい堰が現われて先に進めなくなりました。

地図で存在は把握していたのですが、ショボい堰と思ってナメていました。

繁茂した草木なら突っ込んで進めますが、この堰は乗り越えることもできません。今から林道に出て迂回する気力もありませんので、今回はここで調査中断です。トホホ。



これは、バチが当たったのかもしれない。

新聞を見たとき、「森林鉄道に関してさほど県民の関心が盛り上がってない中で一面記事になるなんて、もっと他の出来事やニュースはなかったのか?」なんて思っていました。

まっ、別の見方をすれば、このような記事が一面になるくらい、平和だってことですかね。 東奥日報さん、すみませんでした。


←失意のまま帰宅する途中に出会ったアナグマくんの一言


    2013年11月3日 再調査

調査しやすい秋まで待ちました。車で前回調査終了地点の堰の近くまで移動し、堰の上流からのスタートです。

春に比べて草が少なく、見通しもよく歩きやすいです。


早速、残されていた軌条を見つけました。

再調査に来た甲斐があったぜ!


さて、軌条はどこに敷設されていたのでしょうか。

川岸を進みましたが、軌道跡がどこだか判然としません。


しばらく進むと、白い棒が立っていました。何に使われていたのか、何の為のものなのかは不明です。

付近を探索してみると、沢に軌条を見つけました。


白い棒の地点から、沢へずり落ちるように2本の軌条がありました。

始めに紹介した新聞記事には続きがあり、写真とともに「中には平行な2本のレールがそのまま残り…」との記載がありましたが、ここのことかな?残念ながら枕木は見つけられませんでした。

さらに、新聞記事には、「…折れたり、ねじれているレールが多いものの、板割沢の全域で35本ほどが確認された」「1カ所にレールが10本ほど、まとまって残っているところもある。」などの記載もありました。ここまで軌条が何本あったかはカウントしていませんが、35本も無かったと思いますので、もう少し進んで調査することにしました。


上流方向にどんどん進みました。とても歩きやすかったのですが、軌道跡は判然としません。


軌条が左岸から落ちかけている箇所もありました。

先ほどの箇所もそうですが、軌道跡は大雨などの増水で道床が流されたり埋まったりしたと考えられます。


新たに軌条を見つけることもなく、この先に軌道がなさそうな雰囲気になってきました。

調査をやめて帰ろうかと思いましたが、今回の調査からGPSを持ってきているので、地図で現在地を確認してみました。


軌道の敷設延長(1,663m)から考えると現在地付近がが終点なのですが、昔の管内図等の資料を見ると、もっと先まで続いているようです。

本当にこの先も続いているのでしょうか。半信半疑で進みました。
この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。

川原には笹藪が生い茂り、軌道跡は判然としません。本当にあるのかな?


笹藪を避けて、川を遡上すると、軌条がありました。

やはり軌道は先にも続いていたようです。


調査開始時は曇りだったのに、ここで雨が本降りになってきました。合羽を着て動きにくくなり、視界も悪くなりました。カメラも濡れるし、チキショー。天気予報、雨降るって言ってた?

降雨時は足下が悪くなるほか、急な増水もあり危険なので、出発に分かっていれば調査を行いませんが、今回は途中からの降雨なのでやむを得ません。

万が一のこともあるので、注意しながら進みます。


川へと突き出ている軌条、いい感じです。

そしてこの先に、何本かの軌条がまとまって見られました。


継目板が着いたままの軌条ですが、継ぎ目部分で曲がっています。 横に延びているのは木の枝ではなく、軌条です。錆びて先細りとなっています。また、その下には苔むした軌条があります。


苔むした軌条はヒゲのように見えました。何年かかってこのようになるのでしょうか。 ここにも、平行になっている2本の軌条がありましたが、枕木を見つけられませんでした。


左岸(写真右側)が軌道跡と思われますが、ほとんどが流れで削り取られています。

掘り起こせば、枕木などが見つかるかもしれませんが、そんな気力はありませんでした。


その後、雨が止み、軌条を探してさらに上流に進みましたが、見つけることができませんでした。

GPSを確認してみると、この辺りが終点のようなので調査を終えて引き返しました。


今回の調査で見つけた軌条は、敷設当時そのまま(100年以上前)のものなのか、それとも途中で交換されたものなのかは確認のしようがないので不明ですが、どちらにせよよく残っていたと思います。

さて、今回から調査にGPSを持っていきました。現地調査で一見すると遺構が無さそうな風景だと、調査を諦めてしまいますが、GPSがあると現地調査での幅が広がります。ただし、私が持っているのは激安のGPSロガー(緯度、経度の表示のみ)のため、あらかじめ行く予定のポイントの緯度、経度を地図に書き込んで現地に持っていく必要がありますが…トホホ。 


( 線名 地図 )