(2022.4.30公開)

(電子地形図(国土地理院)を加工して作成) 
 
木野部林道

木野部(きのっぷ)林道は、下北半島、むつ市大畑町の北部に昭和23年に敷設されました。

軌道の敷設されていた位置については、青森営林局土壌調査報告第3報(昭和34年3月)に添付されている地図で確認できます。

この林道にはスイッチバックがあり、その線形のギザギザが面白く、これは現地に行って確認しなくては、と思い、2017年から2021年にかけて現地調査を行いました。

青丸部分を拡大したのが次の地図です。


(電子地形図(国土地理院)を加工して作成) 

赤線が木野部林道です。延長は2,229m、木野部集落の入口から大沢目沢を遡上して進みます。
@起点から1回目のスイッチバックまで、Aスイッチバック(1回目)Bスイッチバック(2回目)に分けてレポートします。

  @起点から1回目のスイッチバックまで

国道279号で木野部峠を下ると、木野部集落手前で大沢目沢(炭焼川)を渡ります。

国道の左に残っている大間鉄道の橋跡が目印で、「大畑町立佐助川小学校」と記載された柱が立っています。

小学校はもう無く、現在は墓地となっています。そのため、国道から大沢目沢の川上を撮影するのは止めました。


そこで、墓地の端をちょっとお邪魔して川上を撮影しました。

川沿いに軌道が通っていたはずでしたが、それらしき跡が見えないので、なにか違うと感じました。

机上調査で昔の空中写真などを再度確認したところ、確かに軌道跡は川沿いに進んでいますが、起点は川から離れた北部にあり、台地の上から進んでいることが判明しました。


再び、国道まで戻りました。白い建物の裏の台地の上が軌道の起点のようです。

国道の先にある現林道を進めば、高度を稼ぐことは可能ですが、林道から軌道の起点までは耕作放棄された畑を進まなくてはならす、激藪地帯突破が必要となります。それならば、ここから斜面を登ってしまおう、という作戦です。


国道の脇から斜面下に侵入すると、写真ではわかりにくいですが結構急な角度&高さでした。

写真上部に見えている空間を目がけて頑張って登りました。


何とか登りました。海や国道が見えていい眺めです。

こんなに高い地点が起点としたら、どのように収穫物を下に下ろしていたのでしょうか。材木であれば修羅(丸太を斜面に並べてその上を材木を滑らせる)のようにしたのでしょうか?

ここに流れる川は大沢目沢ですが、かつては炭焼川と呼ばれていたので、木炭または木炭用木材を運材していたと考えれば、下に下ろすのはそんなに大変ではなかったのかもしれません。


 
軌道の起点がどの辺りか探しました。しかし、平場はあるのですが、周りが低木と草でうまく進めません。
そして低木と草に混じっておなじみのトゲトゲもあるため、起点の調査は諦め、川上へと進むことにしました。 


 
川上方向も藪が激しかったのですが、少し進むと空間が現れ、軌道跡は残っていました。いい感じです。


その先もわかりやすい空間が続いており、軌道跡を確認することができました。

軌道跡は大沢目沢沿いに進んでいますが、高度が異なることもあり、なかなか見えてきません。


ようやく左に大沢目沢が見えてきました。

この先はスイッチバックがあるのですが、道床が崩れており、進めなくなっていたので起点に引き返しました。


     Aスイッチバック(1回目) 

さらに上流へいくためには、現林道を進む必要があります。

国道を少し北上すると、左側に「木野部林道」の木柱標識が立っていますので、そこをどんどん登っていきます。


(電子地形図(国土地理院)を加工して作成) A地点で大沢目沢に下る軌道跡を探し、B地点を目指します。


国道から分岐した林道は急勾配でしたが、A地点付近でだんだんなだらかになってきました。

12月の調査だったのでうっすらと雪が積もっていました。


少し進むと林道の左側に空間がありました。B地点に進む軌道跡と思われます。

もう少し手前で分岐していたと思いますが、現林道に飲み込まれて分岐点は判然としませんでした。


軌道跡に下りて、起点方向を撮影しました。現林道の高さに向かって空間が続いているのが分かります。


B地点に向かって進むとだんだん空間が広くなり、軌道跡が鮮明になってきました。


左下をみると、平場が見えました。起点方向へ進む軌道跡です。


B地点に近づくと、左側に起点からの軌道跡と川が見えてきました。


B地点です。起点からの軌道跡と合流し、折り返します。しかし、ここでは特に遺構を見つけられませんでした。

次は起点方向に進みます。


起点方向を撮影しました。

中央の木の左が先ほど進んできたA地点へ続く軌道跡、右が起点方向に進む軌道跡です。


左にA地点に向かう軌道跡が見えていますが、だんだん離れます。   軌道跡は、下流に向かってどんどん進んでいきます。


しかし、C地点辺りで軌道跡が崩れており、先に進めなくなりました。向こうに見えているのは起点からの調査終了地点です。

A地点に戻り、先に進みます。


A地点から現林道を進みましたが、特に遺構を見つけられませんでした。


 
D地点です。この辺りで再びスイッチバックで大沢目沢を渡ります。右の写真は起点方向を撮影したものですが、どこでスイッチバックしたのかが分からず、遺構を見つけられませんでした。


D地点より先へ林道を進み、対岸を見上げると、ちょっとわかりにくいですが上部に平坦に見える場所が見えました。

軌道跡かと思いましたが、ちょっと雪が多くなってきたので、今回は確認しないで春までガマンすることにしました。


     Bスイッチバック(2回目)

2019年4月、雪が無くなったので約5ヶ月ぶりに現地へ赴き、調査を行いました。


まずは現林道のD地点より先に進みます。

対岸を見ると、平坦な場所が続いているのが分かります。大沢目沢を渡り、斜面を登りました。 


E地点辺りです。
ちょうどよい幅の空間が続いており、軌道跡であることが濃厚です。

まずは上流方向へ進みます。


 
小さな谷のような所には橋が架かっていたようで、橋桁や枕木のようなものが残されていました。


ここで犬釘を見つけました。軌道跡であることがほぼ確定です。


軌道跡はまだ先に続いています。


再び小さな沢を渡ります。橋桁が架かったまま残されていました。


起点方向を撮影しました。苔むした橋桁と枕木がいい感じです。


 
F地点辺りです。
軌道跡はだんだんと進みにくくなり、とうとう右岸部分は先に進めなくなりました。左岸に渡る可能性もありますが、橋跡を見つけられないことから、この辺りが終点と思われます。


E地点に戻り、今後は起点方向のスイッチバック、G地点を目指して進みます。 

左に現林道が見えています。


 
軌道跡はわかりやすく続いていましたが、しばらくは特に遺構を見つけられませんでした


この箇所はややくぼんでおり、斜面には朽ちた木材がありました。

どうやらここは沢か谷だったらしく、木橋がが設置されていたのですが、土砂で埋もれてしまったようです。

気がつかずにスルーしそうでした。


 
   
  橋桁や枕木が土に還りそうな状態で横たわっていました。

もし架かったまま残されていれば、先ほど見た木橋の倍以上の長さだったと思われます。


大沢目沢から少し離れた林の中を進みます。


小さな沢を渡りますが、橋跡は見つかりませんでした。


左下をのぞき込むと平場が見えました。起点方向へ向かう折り返しの軌道跡です。


左下から起点方向へ向かう軌道跡が近づいてきました。


軌道跡が合流したG地点です。
行き止まりで、いい感じの空間となっています。

何か遺構が無いか探しましたが、見つけられませんでした。期待していたので残念です。


次はD地点に向かって右側の軌道跡を進みます。


 
先ほど渡ってきた小さな沢の手前に金具の付いた橋桁が残されていました。


下から見上げて撮影しました。橋桁がかろうじて残っているのが分かります。

その上部には、終点方向に進む軌道跡も確認できます。


沢を越えると林の中を進み、D地点に向かいます。


 
前方がだんだん明るくなってきました。いよいよ大沢目沢を渡ります。
先に進むと、若干川面から高い位置に出ました。ここを渡っていたようですが、残念ながら橋跡は見つけられませんでした。


大沢目沢へ下りて撮影しました。

斜面が崩れており、橋台などの遺構は見つけられませんでした。

また、若干高さがあることから、こちら側からは、先ほど通ってきた軌道跡らしき空間をはっきりと確認できませんでした。

D地点側からの軌道跡の発見は困難です。


大沢目沢を渡りました。やや盛り上がった所があり、もしかするとここに橋台があったかもしれません。

このすぐ上は現林道です。


D地点です。現林道から起点方向を撮影しました。

写真の右側の空間がG地点へ進む軌道跡と思われます。

このスイッチバックの位置は、冬に訪問して予想していた位置とほぼ一致しており、珍しく当たっていました。


調査終了後、海岸で休憩して撮影したものです。

スイッチバックの場所を何とか探し出すことができて満足していますが、朝9時30分、周りに誰もいない中、自分は何をやっているだろうか?とボーッとしていました。

あまり深く考えずに、次の調査へGOだ!


( 線名 地図 )