(2013.12.1公開)
津軽森林鉄道 喜良市川(きらいちがわ)支線 その1
                金木二股支線
喜良市川支線は津軽森林鉄道本線の開通と同時期の明治43年に開設されました。当初は金木川支線(金木川林道)と呼ばれており、延長は約4qでしたが、その後徐々に延長をのばし、最終的には約15qとなっています。

起点から順番に調査するのはなかなか難しく、いつも以上にあちこちから攻めており、ちょっとわかりにくくなっていますが御了承ください。また、延長が長いことから数回に分けてレポートしていきます。
         A 喜良市川支線   B 金木二股支線

この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平24情使、 第823号)


喜良市川支線

津軽森林鉄道の終点である喜良市土場(喜良市停車場)からスタートします。
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平24情使、 第823号)


土場跡の詳細な場所はよく分かりませんが、津軽鉄道金木駅の約1q東の水田地帯辺りと思われます。

軌道跡は、この道沿いに進みます。遠くに見える青看板より先は県道2号となります。

なお、左に見える建物は、現在も稼働している製材所です。


土場跡から少し進んだ道路脇には、かつて「森林鉄道跡」と記載された小さな看板があったのですが、無くなっていました。

写真左側に看板が取り付けてあったと思われる木柱がさみしく残されていました。


県道2号沿いに進みながら、小さな川を渡ります。

軌道跡かどうか分かりませんが、軌道跡の幅にぴったり合いそうな農道が水田沿いに続いています。


県道2号から離れて北上します。

軌道跡は農道になっていて進みやすく、どんどん行けそうです。


@地点付近です。

楽勝で進めると思ったのですが、道がだんだんショボくなり、小さな堰が現れ先に進めなくなりました。


堰の手前には、橋脚にしてはちょっと細すぎる木柱がありました。
軌道跡と関係ないかな?
川原には、おなじみの軌条が見られました。


この堰の手前で川を渡っていたかと思いましたが、堰の先をよく見ると橋脚のような物を発見しました。

ここは対岸へ渡らずに、桟道を設置して進んでいたようです。

下流側からこの先へ進むのは無理なので、上流のA地点から回り込むことにしました。


A地点の金木二股支線との分岐点から下って@地点の桟道跡を目指します。

軌道跡は崩れないようにコンクリート擁壁で補強されていました。


コンクリート擁壁がない部分は、木柱で補強されていたらしく、根元部分だけいくつか残されていました。

タケノコみたいで、なんとなくかわいい感じです。


コンクリート擁壁の上部の軌道跡は笹藪になっていて、ちょっと歩きにくいです。

ここを歩くのは大変なので、川原を進みました。


しばらく進むと、先ほどの桟道跡が見えてきました。

この写真を撮影した2003年6月は水深も深く、私の田植長ではこれ以上進めませんでした。


それから約9年後の2012年、水深が浅い時期を選び、あの橋脚までたどり着くことができました。

@地点の堰は写真右奥に小さく見えており、ここまで桟道にしていたとすると結構距離があります。


左写真の橋脚は普通に垂直に立っていますが、右写真のものは斜めに設置されていたようです。桟道はどんな感じになっていたのでしょうか?


岩盤?粘土?には木柱を差した穴の跡がいくつか見られました。


さらに川の中を進んでみました。

結構水深が深いところもあり、こんな所に桟道を作るのは大変だったかと思います。


振り返って上流方向を撮影しました。

朽ちた橋脚の先端がいくつか水面から頭を見せていました。


再度、@地点から上流方向を撮影した桟道跡の写真をご覧ください。

桟道は、左岸沿いに結構な距離で設置されていましたが、そこまでしなくても、対岸にスペースがあるので、一度左岸に渡ってから、右岸に戻ることはできなかったのか疑問が残りました。

この箇所に桟道が作られた理由をいくつか考えてみました。
@ 対岸に渡って再度こちら側(左岸)へ戻るために橋を2つ造るよりは、桟道の方が安価かつ強固に設置できた。
A もともと左岸には路盤があり、そこに軌道を敷設したが、豪雨などで路盤が流されたため、同じ箇所に桟道を設置した。
B 対岸(右岸)の用地確保が困難なため、川を渡らないで左岸に桟道を設置した。

 @については特に根拠はありませんが、Aについては、大正2年6月に豪雨のため築堤や護岸が流出被害を受けた記録があるほか、後で紹介する金木二股支線にも似たような箇所があるので、可能性はあると考えました。
 また、Bについてですが、机上調査で、この地域は軌道敷設にあたって民有地の買い上げ、借り上げに苦慮したとの記録を見つけました(この地域に限ったことではないかと思いますが)。このことから、当初は対岸に渡って進む計画だったが、土地の確保ができないことから、少し長い距離ですが左岸を桟道で進むことにした?のかもしれません。

あくまでも予想なので、はずれているかもしれませんが…。


A地点に戻り、先に進みます。

金木二股支線との分岐点から先は、笹藪で進むのが大変なので、少し高い位置を通る現林道を進みます。

写真はB地点付近で、現林道から川方向を見下ろして撮影しました。見た目は進みやすそうな感じがしますが、実際にこの中を進んでみると、笹藪&トゲトゲの草で結構大変です。


まずは起点方面に戻って進み、川を渡る箇所を目指します。

笹藪が少なくなっている箇所で、盛り上がった道床や、枕木のようなものを見つけることができました。


苦労して笹藪を進むと、川の近くに橋脚を見つけました。

奥にもう一つ見えています。


もう一つの橋脚です。今まで見てきた橋脚と何ら変わったところはないのですが、苦労してここまで来て発見できたの満足です。

橋脚は立派に残されていましたが、橋桁などの遺構を見つけられませんでした。


対岸を撮影しました。

中央の平らになっている辺りが軌道跡のようです。対岸に実際に渡って調べていませんが、こちら側から見る限りでは、橋脚らしき遺構は無さそうです。


B地点に戻り、先に進もうとしましたが、軌道跡は笹藪地獄となっているため、あきらめて現林道を進むことにしました。

まだまだ先は長いですが、この続きは「その2」でレポートする予定です。

金木二股支線

喜良市川支線から分岐してすぐに、地図上では記載されていない隧道が見られます。

まずは喜良市川支線沿いに進む林道のC地点から、喜良市川支線との分岐点を目指します。
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平24情使、 第823号)


冬から春にかけての、草木が少ない時期であれば、金木川を渡る橋から、コンクリートの隧道入口を確認することができます。

初めて見たときは大興奮でした。


橋を渡ってから下流方向に進むと、容易に隧道入口にたどり着けました。

写真は2012年に撮影したもので、内部はかなり崩れていました(通れなかった…と思う?)。

上部に篇額の跡が見られますが、隧道の名称は不明です。


初めて訪れた2004年の写真です。若干くずれていましたが、内部を通り反対側へ出ることは可能でした。

長さはそんなに長くありません。きちんと測ったわけではありませんが、10〜20mくらいでしょうか。

金木二股支線の開通は大正11年のようですが、開通当時からこの隧道があったかは不明です。机上調査では、この隧道が記載された地図は見つけられませんでしたし、「青森県蟹田油田地形及地質圖」(昭和12年)では、もう少し手前で喜良市川支線から分岐し、金木川右岸を進むように記載されていたので、もしかすると後から左岸沿いの隧道に変更したのかもしれません。


2004年に反対側の隧道入口を撮影しました。

隧道のすぐ下は川になっており、川を渡るための橋台が設置されています。

隧道工事はこちら側からも同時に掘り進めたのでしょうか。机上調査ではそこまでは分かりませんでしたが、工事は非常に困難だったとのことです。


下流から撮影しました。対岸にはコンクリートの橋脚跡がみられました。

昔の写真を見ると、ここに架けられていた木橋の欄干の1つには、「火乃用心」と書かれていました。もう1つにも何か書かれていましたが、判読不明でした。

2012年に撮影しました。

隧道入口の橋台をよく見ると、下部がスカスカに浮いています。少なくとも2004年からこの状態でした。

よく倒れないなー、と思っていましたが、2013年11月に訪れたときには、ポロッと取れて倒れかかっていました。

※カーソルを写真にあわせると、2013年の写真を表示します。

2013年9月の台風18号による豪雨の影響で、川が増水したことが原因と思われます。


2012年に、橋台の右側に回り込んで撮影しました。

スカスカの橋脚下部の近くには、細い鉄筋のようなものがビヨーンと飛び出ていました。

もっと周りにいろいろ補強があったのかもしれません。

ちなみに既に橋台が倒れかかった2013年11月にも、こちらに回り込み撮影しようと思ったのですが、何かの弾みで倒れてきたら確実につぶされるので、やめておきました。


隧道入口から喜良市川支線との分岐方面を撮影しました。コンクリートの橋脚がゴロンと寝ころんでいます。

喜良市川支線との分岐点はコンクリートのもっと向こうで、橋はそこまで続いていたようです。


前の写真を見ると、分岐点まで簡単に進めそうに見えたので、川を渡って進んでみました。

しかし、笹藪が予想以上に邪魔だったのであきらめ、コンクリート橋脚の少し先で隧道方向を撮影しました。

ド根性の木がちょっと邪魔で隧道入口が見えにくくなっていますが、仕方がありません。


C地点まで戻り、金木川の上流を目指して進みます。

軌道跡は、右側の少し高い位置を進んでいます。


右側の草藪の中に石垣を見つけました。

この付近ではこの一部しか見られませんでしたが、この先にもっとありそうな感じがするので、どんどん進みます。


しばらくすると川の近くに出ました。軌道跡の路盤が崩れて無くなっている箇所がありました。

軌道と関係あるか分かりませんが、手前右側には土管が沈んでいるのが見えます。


軌道の路盤が崩れた後の斜面は岩盤のようになっており、先ほどの喜良市川支線の桟道の部分によく似ています。


ちょっと先には、しっかりとした路盤が残されていました。自然の岩盤なのか人工的に何かで固めたのか分かりませんが、写真の上部が軌道跡になっています。

こちらは先ほどの箇所とは違って、崩れることは無さそうです。

軌道跡に登ろうとチャレンジしましたが、急斜面で滑るため無理でした。


久しぶりの土の路盤です。小さな沢を渡る箇所に橋脚のようなものが残されていました。

この先の軌道跡には、笹藪や木々が繁茂しており、進むのは大変そうなので、川の中をじゃぶじゃぶ進みました。


何か遺構があることを信じ、川の中をじゃぶじゃぶ進んだ甲斐があり、石垣が現れました。


石垣は数十mでしたが、残っていて良かったです。

いい感じに苔むしています。しばらく見とれてボーッとしていました。

さて、この上に登って進もうと思いましたが、例によって笹藪がじゃまなので再び川を進みます。


D地点付近で上流方向を撮影しました。写真真ん中あたりの藪の中に軌道跡があると思われます。

先に進もうと思いましたが、この先も藪が多そうなので、この辺りで引き返しました。

この先は、上流のE地点から回り込んでの調査です。


E地点を経由し、金木川上流方向へ進む現林道は、五所川原市金木町の北東に位置する大東ヶ丘から進んでいます。

林道入口近くには、軌条を活用した柵が見られました。

ちなみに、現在、五所川原市金木町の芦野公園に森林鉄道で使用されたディーゼル機関車が展示されていますが、かつてはこの付近にあった金木小学校大東ヶ丘分校に保存されていました。


E地点付近の金木川を渡る橋で撮影しました。ここでも古軌条は大活躍です。

まずはここから下流に進み、F地点の橋跡を目指します。

右岸沿いには、現在も使用されていそうな徒歩道が整備されていました。

桟道のようになっている箇所もありましたが、ちょっと幅が狭く、なおかつ新しそうなので遺構とは違うかな?


しばらく進むと、幅の広い盛り上がった箇所に出てきました。ここが軌道跡のようです。

ちょっと草が多くて歩きにくかったです。


軌道跡らしき箇所を進んでいくと、金木川を渡るF地点に出ました。

コンクリートの橋脚?のようなものが残されており、どうやらここを渡っていたようです。


川原には、ちぎれた軌条が落ちていました。


この箇所の調査は今から10年以上も前の2003年に調査したのでよく覚えていませんが、このコンクリ以外の遺構を見つけられませんでした(…というか、コンクリを見つけて満足してしまったのかもしれません)。

調査時期が7月で草木が繁茂しており、辺りの草にたくさんのアオムシ君を見つけられたことなど、どうでもいいことは鮮明に覚えています(…ゾワッ)。

しかし、このコンクリートは軌道の橋脚?跡なのでしょうか。このような形の橋脚を見たことないので、よく分かりませんでした。

E地点に戻り、上流を目指します。

といっても、この先はほとんど遺構を見つけられませんでしたが…。
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平24情使、 第823号)


金木川を渡る橋には、またしても軌条の柵が見られました。


その後、どんどん進みましたが、特に遺構を見つけられませんでした。

川にはおなじみの軌条が…飽きました。


昭和34年の管内図では、G地点から大倉沢沿いに分岐線が記載されていました。

ちょっと進んでみましたが、特に遺構を見つけられませんでした。


桟道跡や、青森県内でも数少ない隧道を見つけることができて満足しています。

しかし、金木二股支線の石垣は、つい先日、再度の現地調査で発見できたので、きちんと軌道跡を踏破すれば、まだ何か発見できるかもしれません。まだまだ詰めが甘いようです。

今回もウェーダーが活躍したのですが、脱着がめんどくさかったので笹藪もそのまま進んだため、スネの部分に小さな穴が開き、川を渡ったときに水が侵入してきました…トホホ。


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( 線名 地図 )