(2008.5.7公開)
(2009.10.17一部追加)
 津軽森林鉄道
  木違沢線
   (その2)

前回調査ではビビって先に進みませんでしたが、2007年にちょっとだけ進んで調査してみました。

結局は今回もビビって最後まで行けなかったのですが…。
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第120号)


2007年4月、母沢の途中で車から自転車に乗り換えて木違沢分岐点まで来ました。ここからは歩きでの調査となります。

母沢をはさんで対岸から木違沢線を撮影しました。

写真右側上部に軌道跡が見えます。一番最初の調査時も、ここから軌道跡を探したのですが、その時は分かりませんでした。


母沢を渡り、木違沢線跡に進む途中、レールを発見しました。

写真奥には橋桁跡らしき木材も見られます。


前回の最終調査地点にあった木橋を沢から撮影しました。

橋桁の残骸らしきものが散乱しています。

そのまま沢沿いを進むと、レールを発見しました。分かりにくいですが木の根もと辺りにあります。

軌道跡は沢から高度をとった位置にあり、写真奥に続いています。

軌道跡はこのように広く、歩きやすくなっていました。

このまま続いていれば、最後まで調査できるかも…?と期待して進みました。

ワクワクしながら進むと、壊れた木橋が目の前に現れました!


枕木が残っていましたが、木橋は斜面に張り付くような形で折れ曲がって壊れていました。右の写真は沢側から撮影したものです。


橋は壊れても軌道跡はしっかりと残っていました。

まだまだ進めそうです。


…と思ったら軌道跡は土砂で埋まっていました。

枕木が少し顔を出しています。

下から見るとこのようになっていました。

橋桁のようなものに枕木が付いていることから、もともと桟道になっていて、そこへ土砂がたまったのかもしれません。

沢へ降り上流方向を撮影しました。

軌道跡は沢の右岸上方に続いています。

軌道跡に戻りましたが、今までと違い低木がじゃまをして歩きにくくなっています。


頑張って進むと、小さな木橋がありました。

そして、この先にも同じような木橋、遺構がいくつか存在します。

以下の写真は全て異なる箇所で撮影しました。

基本的には木橋は渡らないようにしていますが、ここは迂回できなかったのでやむを得ず橋桁を渡りました。
道床が崩れやすかったのか、先ほどと同じ桟道のような遺構が見られました。
道床の下部(沢側)には、木柱が残っている箇所があり、道床が崩れないようにするためのものと思われます。 土砂や枯れ葉で埋まった上、ヒバや低木などに覆われ確認しにくい木橋もありました。

歩いて20〜30分くらいたったので、少なくとも500mは進んだと思われます。

贅沢なことですが、あまりにも遺構がたくさん存在して飽きてきました。

軌道跡は先にも続いていることは間違いないのですが、写真のように低木が多く、進むのが困難になってきました。また、クマか何か出てきそうでちょっとビビっています。

…ということで結局半分も進めませんでしたが、この辺りで撤退です。先にはもっと何かがあるかもしれませんが…。


帰りがけに以前の調査で未確認だった母沢方面への道を進んでみました。

道床は幅が広くしっかりしており、軌道跡の可能性が高いと思われます。


さらに進むとすぐに母沢に出ました。笹藪の向こうに母沢があります。

向こうには林道が見えています。
横から見ると、人工的に作られた道床が盛り上がっているのが分かります。


ここが軌道跡とすれば、母沢に橋が架かっていたはずです。道床がとぎれた先の笹藪を探すと、やっぱり橋脚跡がありました。分かりにくいですが金具も残っていました。


母沢の対岸(現林道)から撮影しましたが、どこが軌道跡がよくわかりませんね…。近くまで行かないと軌道跡の発見は難しいことが多いので、改めて調査の難しさを感じました。

ちなみにこちら側には橋脚跡を発見できませんでした。

※ カーソルを合わせると軌道跡が表示されます。

以上の調査結果と、国土地理院の地図の記載から、母沢を渡る地点にも橋が架かっていたと思われます。

過去の記録を見ると、数回集中豪雨があり、そのたびに津軽半島の森林鉄道・軌道において木橋や軌道が被害を受けていることが分かりました。

木違沢線において2つのルートがあったことについて、私なりに予想してみました。
出典:「電子国土」 URL http://cyberjapan.jp/index.htm

@ 軌道は、なるべく労力や経費をかけないで設置するので、最初に母沢を渡る木橋を設置した。これなら喜良市川支線から分岐して1箇所の木橋設置で済む。
A しかし豪雨により木橋が崩壊・流出し、修繕もしくは再設置の必要が生じた。
B 母沢に比べ、木違沢や常家戸沢の方が水量が少なく、豪雨時に被害を受けにくい。そこで戦後に開設された常家戸沢線から分岐し、2つの沢を渡る木橋を設置したほうが良いと判断した。

まっ、あくまでも私の考えなので、真実は分かりませんが…。

なお、「昭和21年度喜良市事業区施業案説明書」(青森営林局)によると、喜良市川支線では水害復旧特殊修繕が行われたこと、常家戸沢支線と木違沢支線が「新設」と記載されています。木違沢支線は昭和9年に新設されているはずなので、常家戸沢支線からの分岐が「新設」ということかな?。このことからも上記のように架け替え工事が行われたと考えることはできないでしょうか?


調査に夢中になっていたので、途中でお守りの熊よけ鈴(1,500円)がなくなったのに気づきませんでした。おそらく低木を進んでいく中でひっかけて落としたのでしょう。おかげでビクビクしながら帰るはめになりました…トホホ…。

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( 線名 地図 )