(2005.11.23公開)
(2006.6.19一部修正)
(2009.10.17一部追加)


この軌道の存在は、5万分の1の地図では確認できませんでしたが、20万分の1の地図や、営林署管内図で確認できました。

これらの地図では軌道跡の正確な位置は分かりませんが、概ね現在の国道が軌道跡と考えられます。
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第726号)


林道なのに「海岸」って魅力的だと思いませんか?
その名のとおり海岸沿いを走っていた林道です。小泊貯木場から海岸沿いを進み、片刈石沢林道の入口まで続いています。

この軌道は、戦争中に工事が行われており、岩場が多いので苦労しました。なお、工事には朝鮮の人々も働いていたとのことです。

昭和20年に、軍供用のため敷設した軌条が撤収されました。そして、工事は同年8月の敗戦で工事は中止され、その後相内営林署がこれを活用して昭和25年に再度軌道を敷設しました。

軌道による運材は昭和42年まで行われました。運材中止後は、村民が軌道を活用し、トロッコを手押しして稲や野菜を運搬したとのことです。

現在は小泊から竜飛まで国道339号(竜泊ライン)が整備されており、国道がほぼ軌道跡となっているようです。

軌道は小泊の貯木場を起点としており、海岸沿いを北上していきます。一方、竜飛まで続いている国道は、折腰内までは三角山を迂回して内陸部を通り、その後海岸沿いを北上しますので、折腰内までは軌道跡が残っていると思われます。「二邑亭駄菓子のよろず話」では枕木が残っているとの報告がありますが、20年以上も前のことなので、今はどうなっているのか気になっていました。

昔の国土地理院の20万分の1の地図では軌道は記載されていましたが、5万分の1では軌道が記載されていません。しかし、軌道があるべき箇所に道路が記載されており、橋やトンネルなど記載されています。これを手がかりに現地調査することとしました。

※注 この軌道の現地調査は2003年4月5日から数回行っていますので、写真を撮った時期はバラバラです。


    

調査は小泊からスタートしました。

軌道は小泊の貯木場を起点としているのですが、どこが貯木場跡かわかりませんでした。また、町中の軌道跡と思われる箇所も住宅地となっており、わかりませんでした。

写真は町中から海岸に抜けた地点です。この辺りは公園が整備されており、何も残っていないと思いましたが、どうやらこの砂利道が軌道跡のようです。



公園から七ツ石崎方面を撮影しました。

海岸よりやや高い箇所にラインが見えるのがわかるでしょうか。軌道はここを通っていたと思われます。

ここからさらに海岸沿いに進んでみました。



公園から海岸の軌道跡を目指して進みました。写真奥には軌道跡と思われるラインが見えます。

なお、わかりにくいですが、この道の右側のやや盛り上がっている箇所が軌道跡のようです。

いよいよ、海岸部分への探索です。


さらに進み、崖を見上げると、なんと枕木がまだ残っていました。

異様な光景です。

崖がくずれ、道床が半分なくなっていますが、枕木は崩れた土砂で押さえつけられ、かろうじて残っているようです。


崖を登って撮影しました。枕木には犬釘が残っているのがわかります。

先を見ると、崖が崩れて草がなくなっている境目がありますが、そこが軌道があった箇所だと思います。

「二邑亭駄菓子のよろず話」での写真を意識して撮ったのですが、若干ずれたかな?

枕木の数や形は、20数年の風雨にさらされており、減っているようです。


軌道はどうやら石垣で補強した上にあったようです。しかし、その石垣もほとんどが崩れていました。


石垣が崩れている箇所です。このように塊で崩れるとは思っていなかったのでちょっと驚きました。

この軌道はカーブが多く、一方が山、一方が海という悪条件であるとともに、潮害のため軌道の耐久性が弱く、保線作業も大変であったとのことです。


振り返って撮影しました。

ここに軌道があったとは…想像しがたいですね。


道床が崩れていない箇所も一部分あり、登って軌道跡を撮影しました。

軌道撤去後も道として使用されていたのか、道の跡?のような感じです。


さらに進み、軌道跡が判然としなくなってきました。

わかりにくいですが、写真中央に枕木が残っています。

現役時代はどんな様子だったのでしょうか…。


七ツ石方面を撮影しました。軌道跡もよくわかります。軌道跡の上部は岩だらけの急な崖になっています。

「二邑亭駄菓子のよろず話」では、この先に落石よけの構築物があるとのことですが、はたして…



やっぱりまだ残っていました。よかった、よかった。

軌道を落石から保護するための構築物は、レール(だったと思う)と金網でできていました。
しかし、上の写真での壊れ様や、右の写真の崖を見ると、デカい岩がドカンと落ちてくれば、軌道もひとたまりもないと思います。



七ツ石付近の写真です。このまま先に進めそうでしたが、車を公園に置いたままなので一度引き返し、折腰内まで車で行き、七ツ石まで南下することにしました。

なお、公園からこの写真付近まで約1qの距離でしたが、海岸には大きな石が多いため歩きにくく、大変でした。

年齢のせいか、戻ってくると足がガクガクでした。トホホ。


小泊から車で折腰内まで来ました。

七ツ石方面を撮影しました。この辺りは道の駅、オートキャンプ場や海水浴場として整備されており、軌道跡は見つけられませんでしたが、七ツ石方面には小泊からの写真と同じように軌道跡らしいラインが確認できます。
オートキャンプ場の駐車場付近には軌道に使用されていたらしいレールが刺さっていました。


オートキャンプ場から七ツ石方面へ進み、振り返って撮影しました。
三角山への登山道や、途中にある漁師の小屋への通路として使用されているためか、わりとはっきりとした歩道の跡がありました。


この先も道は続きます。道には崖崩れの跡と思われる石がゴロゴロしていました。


さらに進むと橋の跡がありました。

現在の地図ではただの点線の道路で表示されているだけですが、昔の地図では途中に橋のマークが記載されていたのでもしやと思っていましたが…フフフッ。

石で組まれた橋台はしっかりしているものの、桁の跡はたしか無かったと記憶しています。

右下の写真は七ッ石側の橋台から撮影したものです。軌道跡は三角山までの登山道となっており、道しるべとなる看板もみられました。


さらに先に進むと崖崩れがひどく歩きにくくなりました。海岸に降りて進むと、レールが1本残っていました(左下の写真)。

右下は岬の先端の写真です。やはり崖崩れや堅そうな岩が多く、工事や保線には苦労したと思われます。

この先は小泊側から調査した地点になるので、折腰内に引き返しました。



「青森中部経営計画区 第一次経営計画書 市浦事業区の部」(昭和33年3月 青森営林局市浦営林署)には、事業計画の具体的方針として、「現在の小泊海岸林道である森鉄2級線は、途中断崖絶壁の険峻な箇所を通っているため転石落下し、機関車、人畜の通行にも危険な上に、毎年土砂崩壊のため、毎年多額の維持修繕費を投じ、また、自動車道路への改良にも至難な箇所なので、小泊貯木場から海岸を迂回し…(中略)…自動車道路に新規計画したものである。」との記載があり、この区間が危険であったことを物語っています。


折腰内に引き返し、海岸沿いを北上しました。

この辺りは国道の整備によって軌道跡は判然としませんでした。写真は冬部川を渡る国道の橋上から撮影したものですが、昔の橋台?らしい跡を見つけました(写真の上半分。ただのコンクリートかも)。しかし、軌道跡のものかどうかはわかりません。


同じ場所の写真です。この木道みたいなものは、軌道跡を活用した橋の跡かどうか…?ちゃんと確認しなかったので、よくわかりません。

なお、かつて冬部川沿いに支線として冬部川林道が敷設されており、調査したかったのですが、入口にゲートがあり進むことができませんでした。


さらに進んで振り返って撮影しました。写真の左側に国道が通っており、軌道は国道より海岸側を通っていたと思われます。木の杭は軌道と関係あるのでしょうか?


青岩の南側にある龍泊温泉付近の写真です。海の方を見ると橋脚跡がありました。


さらに先には、石垣と枕木が見られました。 ここも石垣が崩れている箇所が多かったです。

下の写真は青岩方面を撮影しました。昔の地図ではこの先をトンネルで通過していたと予想されますが、トンネル跡は確認できませんでした。

現在の国道はこのトンネル跡の上を通っています。反対側も国道が整備されたため、トンネル跡は判然としませんでした。


青岩を過ぎて川を渡ります。ここに橋台跡が残っていました。

国道にかかる橋の名は確認していませんが、昭和34年6月に青岩橋梁に機関車が転落し、けが人が十数人でたとのことですが、その橋はここだったのでしょうか。

なお、かつて川沿いに青岩(沢)線が敷設されており、軌道跡を探したのですが、特に遺構を発見できず、途中で引き返しました。

この先の軌道跡は国道より山側の少し高い位置にあり、岩を3つのトンネルで通っていきます。これらのトンネルは七ッ滝隧道と呼ばれていたようです。

写真ではわかりにくいのですが右側の岩に埋められたトンネルの跡が見えます。

※カーソルを合わせると隧道の位置を示します。

反対側からの写真です。

冬に撮影したので草がなく、埋められたトンネル跡がはっきりと見えます。また、石垣もしっかりと残っています。

さらにその先も石垣が崩れずに残っています。

そして、この写真の向こう側には七ッ滝があります。
軌道はどのように滝を通過したかというと…


七ッ滝です。

石垣が残っていることからわかるように、軌道はなんとこの滝の真ん中を通過していました。

珍しいと思います。他の地域には、滝の途中を通過する軌道はあったのでしょうか?


2001年に、ドライブで立ち寄った時には軌道があった事実を知らなかったので全く気が付きませんでした。

廃線通の人が見ればすぐに分かったかな?


そして、この滝の前後はトンネルとなっており、至れり尽くせりであります。まるで遊園地のアトラクションのようです。

ここのトンネルは素堀のようです。

(レポート公開当初2005年の)何年か前に県内地方ニュースで、七ッ滝とともにこの軌道跡やトンネルについて紹介があったので、ご存知の方もいるのではないでしょうか。


七ッ滝からしばらく進んで振り返って撮影しました。

トンネル跡がぽっかりと口を開けているのがわかります。

この林道には4つトンネル(青岩を通る隧道と七ッ滝隧道)がありましたが、ボギー車での運行にあたって幅が狭く通れかったため途中で改修したそうです。

※カーソルを合わせると隧道の位置を示します。


この先約1q北上した後、片刈石沢林道へと続くことになります。

小泊海岸林道から片刈石沢林道は、海沿いを進み、トンネルを抜け、滝の真ん中を通り、そしてスイッチバックで登る、と魅力的な軌道であり、もし今も残っているならば、観光資源としても活用できたのではと思います。

しかし、青岩橋梁での機関車転落事故、片刈石沢林道から砂利運搬で帰る途中での女人夫1人即死事故が起こっていることや、普通の軌道にはない潮害のため、安全面で問題があってやっぱり無理か…(どこの森林軌道でも安全性が確保できないことは同じかも…)。

とにかく、普通の森林軌道跡には見られない箇所が多く、魅力的な調査でした。


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( 線名 地図 )