(2020.8.30公開) 
津軽森林鉄道  宮野沢支線
この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。

宮野沢支線の開設は明治43年と早く、その名のとおり宮野沢川沿いに敷設されました。また、途中の宮野沢貯木場から分岐し、深沢(大石沢)沿いを進む深沢分線が、昭和14年頃までに牛馬動から軌道に変更されて開設されています。

現地調査は2003年から2020年まで数回行いました。初回調査時は31歳でしたが、現在はもうすぐ50歳のおじさんになってしまいました。

なお、宮野沢支線の現地調査にお越しの際は、津軽中里駅の「駅ナカにぎわい空間」で、津軽伝統人形芝居「金多豆蔵(きんたまめじょ)」を観劇し、そのついでに「津軽森林鉄道写真展示コーナー」をご覧になればよろしいかと思います。


         宮野沢支線

津軽森林鉄道本線から分岐し、宮野沢川沿いに進みます。

津軽鉄道の手前で、工場跡地らしき空き地に軌条がまとめて置かれていました。

よく見ると一番下にクロスレールも見られます。 


津軽鉄道の下をくぐって進みます。

森林鉄道の方が先に開設しているので、津軽鉄道が森林鉄道を跨いだ、と言った方が正確ですね。


しばらくは水田の脇を進みます。

現在は農道となっており、この辺りでは特に遺構を見つけることができませんでした。

途中で軌道跡はこの農道から外れて進めなくなるので、別の道で回り込んで先に進みます。


   
宮野沢川を渡る箇所で起点方向を撮影しました。対岸が軌道跡です。左側に橋脚跡が見えます。   2003年に調査した時は夏だったため、草が邪魔で見えにくかったのですが、2020年ようやくその姿を確認しました。


宮野沢川を渡った先を撮影しました。

少し広めの畝が軌道跡です。車の停まっている辺りからは再び農道となって進みます。


深沢分線との分岐点です。この辺りが宮野沢貯木場跡と思われます。

中央の小屋の先で、宮野沢支線は左へ母沢沿いを進み、深沢分線は宮野沢川を渡り右へ進みます。


宮野沢線は北東に進路を変え、母沢沿いを進みます。


 
母沢沿いの林道は、しばらく通行止めで先に進めなかったのですが、2017年に訪れると通行止めが解除になっていました。

期待して進んだのですが、遺構を見つけることができませんでした。左の写真は、何かコンクリート橋脚かもしれないと思い撮影したものですが…違うか…。諦めて途中で引き返しました。


宮野沢支線 深沢分線

この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。


宮野沢支線から分岐し、麦畑の横を進みます。この辺りでは特に遺構を見つけられませんでした。


 
現林道は少しずつ高度を上げて進みますが、軌道跡は高度を上げずに沢沿いを進みます。一部が水路になっていました。   金属板があったのでひっくり返したら、案の定「SOUND HORN」の道路標識でした。林道から落ちてきたと思われます。


深沢を渡ります。写真に見えている橋は農地管理用のもので遺構ではありません。

近くにショボい木柱がありましたが、軌道跡の橋脚の遺構かどうかは不明でした。


深沢を渡ると軌道跡らしき空間が続きます。 いよいよそれらしき雰囲気が出てきました。   盛り上がった道床が続き、軌道跡であることが分かります。


再び深沢を渡ります。起点方向を撮影しました。

橋脚と橋桁が残っていました。しかし、現在は一部が切られて無くなっています。


軌道跡を横から撮影しました。

軌道跡はピシッとまっすぐ進み、この辺りは道床がしっかりとしています。 
 


 
少し進むと再び深沢を渡ります。2007年に撮影したもので、こちらにも橋脚や橋桁が残されていたのですが、現在は流されて無くなっていました。残念です。 

(カーソルを合わせると、2014年の写真を表示します。)


こちらも2007年当時の写真です。

対岸部分は、橋桁まで頑張って残っていたのですが、現在は流れにえぐられて無くなってしまいました。


   
笹藪で進みにくい箇所もありますが、すっきりしていて歩きやすい所もあります。川岸には道床を保護するように木柱が並んでいましたが、とても細く、これだけで機能していたとは考えられません。板などで補強されていたと思われます。


川原には枕木が流れ着いていました。

枕木は、この後もどんどん登場します。


再び、深沢を渡ります。橋脚がひっそりと残っています。


 
落ちた橋桁です。撮影した場所の位置関係を忘れてしまったのですが、おそらく前の写真の近くと思われます。 左の写真を見ると、丸太のような橋桁で、軌道廃止後に設置されたものと考えられます。


何かの道具が落ちていました。

軌道に敷くためのバラスト砂利採取用のものでしょうか?


 
軌道跡は深沢左岸を進みます。途中には折れた電柱と碍子が残されていました。


桟道のようになっている箇所もありました。

この写真の右上方に林道が通っており、林道から崩れてきた土砂に加え、不法投棄されたテレビに遺構が押しつぶされていて、とても悲しい状態となっていました。 


だんだん軌道跡は判然としなくなります。掘割のようになっている所が軌道跡と思われます。


 
この先は、橋脚がかろうじて残っていることで、ようやく軌道が通っている箇所を想定することができます。 右はわかりにくいですが、水際にちょこっと出っ張っているのは橋脚跡です。 


 
沢に沿って橋脚が並んでおり、橋ではなく桟道のようになっていたと思いますが、前後の軌道跡は木々が成長しており判然としませんでした。 


 
近くには、レールや枕木が残されていました。


上流から桟道跡方向を撮影しました。埋まっているレールも見られます。


 
さらに上流で複数並んで残されている橋脚を発見しました。ここには長い木橋が架かっていたと思われます。


 
ちょっと見にくいですが、橋脚には金具もついています。   角度を変えて上流方向を撮影しました。橋脚の先の林の中には軌道跡を見つけることができませんでした。


林の先には砂防堰堤が設置されており、この先の軌道跡は埋まってしまったと思われます。


念のため、堰堤を越えて進んでみました。土砂が貯まっており、歩きやすくなっています。


軌道跡は下に埋まっているはずなのに、なぜか、所々に枕木が転がっています。上流から流されたとしても、何か不自然な感じかしました。

上流の軌道跡を目指して進みたいのですが、この先は滝があるため、林道に戻って進むことにしました。


ちなみに、林道はこの崖の上にあり、高度差がかなりあります。


少し引き返してから林道を進んでみると、林道に埋まっている枕木を発見しました。

砂防堰堤のまだ手前です。軌道跡は川沿いと思っていたのですが…?


きちんと犬釘もついており、ただの木材ではなく枕木であることが分かります。


林道は、やや急な勾配で進みます。カーブの途中にも枕木は見られました。軌道を敷設することは可能と思いますが、空車引き上げが大変だったのではないでしょうか。

そして、この写真の左下方の川原には、先ほど紹介した橋脚跡が見られます。どちらも軌道跡なのでしょうか。


坂を上った先の林道にも枕木が見られました。


 
枕木は断続的に現れます。 道路の脇に転がっている所もあれば、斜めになって埋まっている所もあります。


林道は川原から高度をどんどん上げて進みます。

滝があるため、軌道が川原沿いをそのまま進むことは不可能なので、現林道の高さを通っていたと思われますが、どうやってこの高さまで到達したのでしょうか。 


この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。

滝を越えるには、現林道の高さまで高度を上げる必要がありますが、堰堤から滝までの間にそのような形跡は見つけられませんでした。

そのため、堰堤より前で現林道に接続する必要があります。方法として、堰堤先の廃道や、Aの建物(現在は無い)に向かうための廃道を使えば現林道にたどり着くことができます。ただし、下流方向へ進む道のため、スイッチバック、またはヘアピンカーブで方向転換する必要があり、ちょっと効率的でないことや、それぞれの廃道の勾配が急なため、現実的では無いと思われます。

深沢分線の敷設当初の終点は@の建物、堰堤付近と思われます。その後、奥部へ延長されたため、その時に下流から現林道に敷設し直したのでは、と思ったのですが、現林道の下流部はアップダウンが激しく、軌道敷設は無理と思われます。

結局、現地調査では、どのようになっていたかは分かりませんでした。挙げ句の果てに買ったばかりの充電池を紛失…トホホ。
可能性としては、「下流の軌道跡から現林道に向けて緩い勾配で進んでいたが、その軌道跡は林道整備時に無くなってしまった。」か?

なお、1つ気になることとして、現林道に残されている枕木が大きく、犬釘のサイズが大きいように感じるものもありました。もしかして、どこかから狭軌の枕木だけ持ってきたのではと思い、一応犬釘の位置から軌間を想定して計ってみて特に問題ありませんでした。


 
  滝より上流にも、枕木は林道に埋まっていたり、川原に落ちていたり、ちょこちょこ現れました。


起点から約4.3q地点です。林道が分岐していました。

地図上では、軌道跡トレースをこの辺りまでしかやっていなかったので、さて、どちらに進めば良いのか…。


 左右は以下のような感じでした。怪しそうな左を選択して進みます。
 
左を5分ほど進みましたが、結局こちらには何も見つけられませんでした。すると奥からおじさん(分岐点の軽トラの持ち主)が下りてきましたので、何か情報を知らないか話を聞いてみました。


なんと、おじさんのお父さんが森林鉄道関係の仕事をしていたとのことで、いろいろと詳しく教えていただきました。

軌道跡はこちらではなく、右の道であり、その先はスイッチバックがあった、とのことです。
話を聞いてよかったぜ!

ちなみに、先ほどの滝より前にスイッチバックはあったか聞いてみましたが、無かったとのことなので、先ほどのスイッチバック説はナシになりました。しかし、これ以上は話を聞きませんでした。もうちょっと話を聞けば先ほどの謎が解明したかもしれないので、ちょっと後悔しています。

おじさんにお礼を述べて、右の林道を進みます。


情報を聞いたものの、林道がきれいに整備されており、半信半疑で進みます。

この先に遺構は残っているのでしょうか。


すると、沢に落ちているレールを発見しました。おじさん、疑ってごめんなさい。


 
整備されたと思った林道でしたが、崖崩れですぐに狭くなり、さらに道が崩壊している箇所もありました。 


その先にも進み、スイッチバック跡を探したのですが、見つけることができませんでした。

諦めて引き返します。


帰りがけに、先ほど通った崩れた箇所をよく見ると、なにか枕木のようなものが見えました。 


 
 やっぱり枕木が出ていました。軌道跡は林道の下に埋まってしまったようです。  


 
枕木のあった所のさらに下、川原の方をみると、何か落ちています。   川原に降りて確認すると、転轍機のダルマでした。ここにレールは無いので、軌道跡から落ちてきたのでしょう。


 
そして、枕木のあった方を見上げると、レールが見えました。
ほとんどが林道の下に埋まっており、上からでは、見えにくい位置にありました。
  継ぎ目板も見られ、この位置に敷かれていたように思えます。
掘り返せば、もっとレールが出てくるかもしれません。


そして、少し掘ってみると、レールの底部をつなぐ金属板が見えてきました。なんとクロスレールでした。

ここにポイントがあったとすると、まさにここがスイッチバック跡の可能性があります。

しかし、どのような軌跡でここを進んでいたのかを、辺りを見回し、数分考えてみましたが、想像することができませんでした。


クロスレールに始まり、クロスレールに終わる現地調査でした。

深沢分線については、途中の軌道跡がよく分からすモヤモヤしますが、おじさんからの情報によりスイッチバック跡らしきものを見つけたのでラッキーでした。

戻る途中、いきなり「パン」と銃声らしきものが響き、猟銃か?と思いビビっていたら、急に自転車の乗り心地が悪くなり失速しました。原因は、ワイの中古激安2000円折りたたみ自転車のパンクでした。降りて押して帰りました…トホホ。


( 線名 地図 )