(2016.9.16 公開)
津軽森林鉄道 尾別支線・中里支線
(この地図は「山旅倶楽部」を使用して作成しました。)


          津軽森林鉄道
        尾別支線

「尾別」の読み方が「おっぺつ」だということを、今さっき知りました。「おべつ」かと思った。トホホ…。

本線から分岐してしばらくは遺構を見つけられませんでした。

3qほど進んだ所に使用されていない作業小屋がありました。記憶が曖昧なのですが、確か一部には軌条が使用されていたはずです。


最初に調査したのは2003年でした。その時には、途中に伐採された木材が積まれているのを見かけました。


途中には、わりと新しそうな橋の跡も見られましたが、森林鉄道の遺構ではなさそうです。


普通の林道で何も無さそうな雰囲気でしたが、かろうじて水路をまたぐフタの部分に軌条を利用した構築物を見つけました。


途中で沢に降りてみると、対岸に軌条を見つけました。また、川原には先ほどの軌条の構築物と同じようなものが埋もれていました。


どんどん先に進みましたが、特に遺構を見つけられず、途中で引き返しました。


  津軽森林鉄道
  中里支線

中里支線は、津軽森林鉄道本線から分岐して中里川沿いに進みます。

分岐点から不動の滝入口である滝ノ沢砂防愛ランドまでの道のりは、舗装された道路となっており、特に遺構を見つけられませんでした。
(この地図は「山旅倶楽部」を使用して作成しました。)

写真は遊歩道入口に設置されている看板です。

簡略した記載なので現在地から不動の滝までは近いように見えますが、実際は約1.3qほどあります。


遊歩道入口の深谷砂防ダムです。小さな公園となっており、水遊びなどが可能です。

不動の滝までの遊歩道は写真の左側を進んでいきます。


とても歩きやすく、ダムから少し進んだ地点からは軌道跡がそのまま遊歩道となっているようです。ひば林と森林軌道跡のトレッキングを推進している奥津軽トレイル倶楽部では、不動の滝までを「山伏の荒行場コース」とし、ガイドを行っています。


2003年に初めて調査した時には、遊歩道の脇に桟道跡が残されていました。右の写真は横から撮影したものです。

おそらく軌道の遺構と思われますが、残念ながら2014年に再訪した時には見つけることができませんでした。

そして、美しい曲線を描く築堤が現れます。何も考えなければ、ただの遊歩道として通過してしまいますが、個人的には見所ポイントの1つと思っています。

遊歩道のためにここまで築堤を作るのは不自然です。勾配をなるべく一定にして進み、川の流れから道床を守るために作られた軌道跡の遺構と考えられます。


築堤の脇にはいくつかの木柱が残っていました。

築堤を補強するための構築物の跡かもしれません。


中里川を渡ります。現在は「ならのきばし」という沈下橋?が架かっています。

ちなみに、少なくとも2007年にはこの場所に似つかわしい小さな木橋が架かっていました。
(写真にカーソルを合わせると、2007年の写真が表示されます。)

しかし、その木橋も軌道廃止後に新たに架けられたものであると思われます。橋の左側にかつて架かっていたと思われる橋脚跡がありましたが、現在は無くなっていました。


中里川を渡った後は、少しずつ高度を上げて進みます。小さな沢がいくつかあり、「ささのはし」「にはとこばし」「ひばっこばし」「まがりばし(現在橋は無い)」が架かっていますが、それぞれの橋はちょっと新しい感じがするので、やはり遺構では無さそうです。


出発してから20〜30分で不動の滝入口に到着します。

不動の滝はここから左下へ少し下っていきます。2007年に息子と来たときは、滝の真下まで行き、心地よい気分を味わいました。

もちろん軌道跡は真っ直ぐに進みます。


不動の滝入口から先は遊歩道ではないので急に路面が悪くなります。滝の真横を通る箇所に、桟道の跡を見つけました。
2004年調査時に比べると、少しボロくなっているようです。
(右の写真にカーソルを合わせると、2007年の写真が表示されます。)


ここから左方向を見ると、不動の滝が見えます。

いい眺めですが、落ちたら死にそうです。昔の運材時には気を遣ったに違いありません。


堀割を過ぎると、崖崩れで軌道跡が埋まって歩きにくくなります。


森の中に看板が倒れていました。

2004年に調査に来たときには、確か「野鳥の森」と記載した看板があったので、それかもしれません。

ちなみに、「野鳥の森」は2004年には既に荒れ果ており、人が来られるような状態ではありませんでした。


軌道跡は判然としませんが、中里川に橋脚跡を発見しました。

(写真にカーソルを合わせると、2004年の写真が表示されます。)

この先は地図に道が記載されていません。2004年の調査の時は、「いつかこの先も調査する」と心に誓って引き返しました。




対岸にも橋脚跡が残されていたほか、川原には木橋に使用されていたと思われる金具が落ちていました。


さて、ここから先の調査は2014年以降に行っています。10年前に調査を諦めたときの想いを胸に、気合いを入れて進みます。

盛り上がった道床には笹が生えていました。


軌道跡には若干の倒木があるものの、以外と進みやすくなっていました。


道床を補強する石垣が現れました。

生えている木と石垣が美しくマッチしています。

う〜ん、かっこいい!


石垣はしばらく続いていましたが、次第に見えなくなりました。


順調に進んでいましたが、上流からの流木が川をせき止め、流れが変わり軌道跡をえぐっていました。


流木を見ると、その中にいくつもの橋桁らしき木材が混ざっていました。

遺構が見つかって嬉しかった反面、この先の木橋は既に流されてしまっている可能性が高いことが分かり、ちょっと残念です。


だんだん歩きにくくなってきました。この先は川を渡ります。 軌道跡は対岸へ続いていますが、橋跡を見つけられませんでした。


軌道跡はなんとか確認できますが、笹藪が多くなってきました。


すると、川を横断するように大きな木が横たわり、先に進めなさそうな雰囲気です。

ここが終点なのでしょうか?




しかし、手前には木橋の跡があったり、金具が落ちているので、ここで川を渡って進んでいたのかと思い、再び前方を確認してみると…。


(写真にカーソルを合わせると、写真の一部を拡大します。)

橋脚らしきものが見えるではありませんか!

倒木をくぐって進みます。


いくつかの橋脚が連なっています。

軌道跡は川を渡っていたのではなく、桟道で進んでいたようです。

写真左の土砂が崩れている辺りまで続いており、結構な長さです。桟道が残っていれば壮大な景色だったに違いありません。残念です。

先ほど川をせき止めていた橋桁は、ここのものだったかもしれません。


桟道の最終地点には橋桁が残されていました。


伐採された木?や折れた木などで軌道跡が判然としない箇所が増えてきました。

歩きにくいぜ。


再び中里川を渡りますが、残念ながら橋脚跡しか見つけられませんでした。


だんだんと歩きにくくなってきましたが、時々、このように軌道跡が明確に現れてホッとします。


小さな沢を渡る箇所にも、木橋が頑張って残っていました。


軌道跡は少しずつ川面から離れ、やや高めの箇所を進んでいきます。


またしても中里川を渡ります。橋脚は残っていましたが、残念ながら橋桁は落ちていました。川へ降りてみると、起点側にも橋脚が残っているのが分かりました。


対岸へ渡って起点方向を撮影しました。そして、先に進もうと前を見ると…


なんと、すぐにまた橋跡がありました。川に降りて近づいてみると金具もしっかりと付いていました。


2つの連続した橋跡を横から撮影しました。橋と橋との間は小さな島のようでした。(写真にカーソルを合わせると、橋跡を表示します。)


この先は小さな滝になっていました。

写真をみると簡単に進めそうな感じですが、水深が結構深いほか、川岸はへばりついて進める状態では無かったので、2014年はここで引き返しました。


う〜ん、滝の写真を見ていたら、何となく行けそうな感じだったので2年後の2016年に再挑戦しました。

しかし、正面突破はやっぱり無理でした…トホホ。そのため、滝の少し手前の斜面を登り、遠回りしてなんとか上流に進むことができました。

滝を越えてから起点方向を撮影しました。桟道になっていたようです。

(写真にカーソルを合わせると、橋跡を表示します。)


上流方向をみると、すぐに橋が架かっていたらしく、橋脚が残されていました。

短い区間に橋、橋、桟道、橋と連続しており、お腹いっぱいです。


上流に進むと、道床がえぐれて通りにくくなっている箇所もあれば、反対に道床がはっきりと残り進みやすくなっている箇所もありました。


ヒバの木が無惨に途中から折れて、行く手を阻んでいます。

おそらく雪か強風の影響と思われますが、ものすごいパワーです。


折れてしまっている木もあれば、このように立派に育っている木もありました。

十二本ヤスほどではありませんが、とても大きく、思わず幹に抱きついてしまいました。明らかに周りの木と大きさが違っていたので、ここで働いていた人達が切らずに大事にしてきたものと思われます。


滝を過ぎてからは、小さな沢の木橋跡以外にめぼしい遺構を見つけられませんでした。

少し開けた場所に出ました。昔の管内図に土場の記載があったので、この辺りと思われます。


中ノ股沢との合流地点です。
おそらくこの辺りが終点と思われます。

わかりにくいですが、ショボい橋脚跡が見えています。今までの遺構に比べて大した物ではありませんが、個人的には感激です。

2004年の机上調査で地図に軌道跡を書き込んだ時、最後はどうなっているんだろう?と思っていた答えがようやく分かりました。


念のため、その先も少し進みましたが、軌道跡を見つけられませんでした。

尾別支線はほとんど遺構を見つけられませんでした。ちょっとやっつけ調査っぽい感じでしたので、きちんと探せば新しいものが見つかるかもしれません。

一方、中里支線は、2004年調査時には遺構はほとんど見つかりませんでしたが、2014年以降の調査では奥へ進むほど遺構が見つかり感激でした。毎度のことですが、もう少し早く調査していれば橋が架かったまま残っていたかもしれないので、残念です。

なお、中里支線跡の遊歩道はとても歩きやすく、不動の滝までは子供でも行くことができます。2007年には私の息子(当時4歳)も歩きました。ただ、@途中で少し高い場所を通るので1人では歩かせない、A橋などにうっすらとコケが生えていたり、道が濡れていることがあり、滑りやすい、Bおサルさんが出現することがあるので、近づいたりエサを与えたりしない、の3点に注意してください。ウキーッ!

( 線名 地図 )