(2009.6.13公開)
津軽森林鉄道 新城支線(その2)
 前回(2006年10月)の再調査でも気になる箇所が残ってしまい、1年後の2007年10月に再々調査することとしました。
 何度も調査してアホですが、何かあることを期待して行って来ました。
出典:「電子国土」 URL http://cyberjapan.jp/index.htm


今回は桟道のあった箇所から上流方向に向けて調査しました。

桟道はまだ健在でしたが、なんとなくボロくなってきているような気がします。

桟道を進むのは壊す可能性があるのですが、ここを通らないと先に進めないので、なるべく橋桁の部分を踏まないようにして進みました。


天田内川は蛇行しており、ちょっと進むと川を渡ります。そこに橋脚が残っていました。


上流方向対岸にも橋脚が残っていました。
この橋脚の近くには、他にもこのような橋脚(木の構築物)があり、もしかしたら複線か、と思いましたが、ただの補強かな?


川を越えると、すぐに堀割のような箇所を進みます。
するとそこには…


またしても蛇行した天田内川を渡ることになり、そこには木橋が残っていました。


橋桁も橋脚も結構しっかりしていました。
まだしばらくは残ってくれそうです。
(撮影技術は別にして)なかなかいい感じのシルエットではないでしょうか。



笹藪をこぎながら、堀割部分(写真左)を通過し、川岸(写真右)を進みました。


またしても天田内川を渡ります。

ここには残念ながら木橋は残っていませんでした。

川原に最近の足跡が残っていました。山菜採りか釣りか、それとも私のような物好きでしょうか?


木橋は残っていませんでしたが、橋脚跡(写真左)や橋桁?(写真右)を見つけることができました。



わすか道床が盛り上がっており、その箇所は樹木がないので軌道跡とすぐに分かりました。

まだ先に行けそうですが…。


しかし、前回調査時にたどり着いた堰がじゃまをして、先へは進めませんでした。ガックシ。


前回調査時に見つけた苔むした怪しい木材を近くで見ることができました。

その木材には金具がついており(写真右)、大きさなどから考えると、橋桁跡と思われます。




 これで新城支線を概ね踏査できました。桟道だけでなく木橋も残っていて、思った以上に遺構を発見でき、満足しました。
 例によって、開設時期が各種資料によって異なるので、青森大林区署及び青森営林局の資料を基に確認してみました。
参考資料名 新城支線に関する記載
第二次検訂 新城事業区施業案説明書
(大正6年3月)
大正5年度に3,495間(約6,354m)を新設。
(経費は大正2年から発生している)
第三次検訂 新城事業区施業案説明書
(昭和3年5月)
大正12年斫伐事業中止により撤収。これを再び改修し、更に支線を設ける計画あり(新城軌道延長線3,900m、高ウド沢支線780m、瀧ノ沢支線780m)
第四次検訂 新城事業区施業案説明書
(昭和12年3月)
運搬施設として新城軌道7,810m(津軽森林鉄道分岐点〜新城土場)の記載あり。
第五次検訂 新城事業区施業案説明
(昭和22年3月)
「現在軌条枕木撤去」との記載あり。22年度から31年度の10年間で再度敷設する計画あり。
新城経営区第七次計画案説明書
(昭和30年3月)
運搬施設として新城軌道7,460m(昭和26年牛馬道を改良)の記載あり。
昭和33年 青森中部経営計画区第一次経営計画書
事業区別計画内真部事業区の部(昭和33年)
記載無し。

 新城支線は大正5年の開設後、1度撤去された後改修して敷設され、その後も再び撤去され再度敷設されており、2回も生まれ変わったことになっています。
 戦時中に撤去されている例が他の支線でもあるのですが、このように2度も撤去され再度敷設されているのは珍しいのではないでしょうか。

 そして私の新城支線現地調査も、2度だけでなく3度も行なっています(これは毎度のことなので、珍しくありません…トホホ…)。

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( 線名 地図 )