(2007.7.8公開)
(2009.10.17追記)
(2014.4.27追記)
津軽森林鉄道 
B 内真部(うちまんぺ)〜郷沢(ごうさわ)

今回は青森市内真部から蓬田村郷沢までを紹介します。

津軽半島を北上し、引き続き平野部を進みます。

軌道跡のほとんどが農道となっていますが、所々に遺構らしきものを見つけることができました。

なお、今回も調査時期はバラバラで、2002年から2009年までとなっています。
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平19総使、第103号)

内真部で県道を越えて進みます。

この先には内真部川があり、「トワイライトゾーンマニュアル2(ネコ・バブリッシング)」や「鉄道廃線跡を歩く2(JTBキャンブックス)」には橋が残っていると紹介されています。


しばらくすると軌道跡が今までと異なり、ちょっと頼りなくなってきました。
右に見えているのが内真部川です。

この先で川を渡るはずですが…。


内真部川と交差する地点はこのようになっていました。

対岸の小屋の左に軌道跡らしき道が見えていますが、川岸が整備されており、橋はありませんでした。残念。

写真は2007年に撮影したものです。2002年に調査した時に、この付近を探したのですが橋は見つけられず、近くにいた農家の方に聞いたところ、(調査当時の)数年前に行われた農地の整備時に橋も撤去されたとのことです。


県道から回り込んで対岸に来ました。

ちょっとずれているかもしれませんが、この辺りが内真部支線との分岐地点と思われます。

この先も水田沿いを進みます。


さて、森林鉄道の通っていた箇所がイメージしにくいかと思います。写真は軌道跡から少し離れ、 国道280号バイパスから撮影しました。

森林鉄道は水田と山の境目辺りを水田際や林の中を通っていました。これは、水田を侵害しないように山裾に沿って軌道を設定したためとのことです。

このような光景が郷沢(蓬田村)まで続きます。

※カーソルを合わせると、軌道跡を示します。

軌道跡に戻りしばらく進むと、軌道跡は水田脇の小さな林の中に続いています。


そして、軌道跡にはなぜか野良鶏?がいました。

近くに鶏舎などは見あたらなかったのですが、どこから出てきたのでしょうか。

今も元気かな?


この区間は、水田側に別の農道があるため、軌道跡は既に廃道となっているようです。

軌道跡は現在ははっきりと確認できますが、数年後には草木で分からなくなりそうです。


六枚橋支線との分岐点です。

支線は現在林道となっており、写真左方向に進みますが、本線は正面の林の中を真っ直ぐに進んでいたと思われます。

この先は六枚橋川を渡ります。


林の中を進んでいくと、盛り上がった軌道跡が続いていました。


小さな水路らしき物を渡る箇所には、それにそぐわないほど大きい橋台が残されていました。

でかいぜ。


その先は六枚橋川を渡ります。橋脚が残されていました。


六枚橋川を渡る部分を川下から撮影しました。

中央にコンクリートの橋台が残っていましたが、2009年調査時には倒れて川の中に沈んでいました。

調査時に近くにいた農家に「昔この辺に橋はありませんでしたか?」と聞いたところ、「無ぇ!」と一喝され、かなりへこみました…トホホ。


明治43年と昭和23年の管内図では、六枚橋川を越えてから左側に短い支線が記載されていました。

小屋の手前から左に分岐していたと思われます。


小屋の先には木が生えていない箇所がありました。

そこが軌道跡と思われます。

近づいて撮影しました。

枕木などの遺構はありませんでしたが、今までの様々な軌道跡と同じくらいの幅で木が生えていない部分があることから、支線の跡と考えられます。

タイヤの跡などもあり、ただの農道という可能性も否定できませんが…。


その先は休耕地になっていました。

管内図では「舊(旧?)貯木場」と記載されていましたが、その遺構らしきものは発見できませんでした。


※ 昭和21年度の施業案に関する資料に添付されていた地図によると、「六枚橋貯木場」との記載がありました。


本線の軌道跡はまだ先に続きます。かろうじて車で通れる道となっています。

なお、写真左は籾ガラを燃やしている煙です。


後潟支線との分岐点を過ぎて撮影しました。

軌道跡は真っ直ぐに続いています。

基本的に津軽森林鉄道の軌道跡は農道となっており、車では走りやすいのですが、遺構をあまり見つけられず、面白くありません。


軌道跡は北上し、蓬田村に入ります。

今までと同様に水田の中を走りますが、その中でいくつかの遺構を発見することができました。
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平19総使、第103号)


軌道跡はすべて農道となってしまったかと思っていましたが、違う箇所もありました。

写真はしばらく進んで青森方面を撮影したものですが、農道右の草むらが軌道跡と思われます。


小さな水路を渡る箇所で撮影しました。

農道は車が見えている位置で渡っていますが、前の写真の草むらの延長上には、写真手前に見える橋台のような構築物がありました。


凹んでいる箇所には木片(梁?)と金具が付いていました。

確認した訳ではありませんが、この先の軌道跡にも同じような構築物が出てくることから、森林鉄道の遺構と思います。


続いては長科支線の分岐地点を過ぎて長科川を渡る箇所の写真です。

短い橋ですが、ここには森林鉄道のプレートガーダーらしきものが残っていました。すき間から木が生えており、廃止からの年月を感じさせます。


軌道跡は水田の中を進んでいきます。

この辺りが阿弥陀川支線との分岐点かと思われます。

本線は中央の茂みの右側へ進んでいます。



阿弥陀川を渡る地点です。

この橋は森林鉄道時代のプレートガーダーを活用して造ったものでしょうか?

橋脚はコンクリートで一部補強して利用しているようですが、ちょっと大雨が降ったら流されそうです。

さらに水田の中を進みます。

ここが森林鉄道の軌道跡といわれても実感がわきませんね…。


蓬田支線との分岐点です。といっても何のへんてつもない農道の交差点ですが…。

左に進む農道が蓬田支線です。本線は真っ直ぐ進みます。

前の写真の右に進むと、蓬田城趾?があり、略図が設置されていました。

いつ設置されたのか分かりませんが、「森林鉄道(旧)」も表示されています。

※ カーソルをあわせると軌道跡が表示されます。
真っ直ぐ進むと道は続いますが、車では進めなさそうな状態になっていました。

あきらめて引き返して迂回することにしました。

草むらを抜けた先は、この水田を真っ直ぐに進みますが、整備された水田には軌道跡は見あたりません。

机上調査によると、郷土誌の「郷沢」には「この(昭和)三十年代後半は機関車がほとんど通らず、所々にある小さなトロッコに子供達が乗り遊んでいた。二十メートル位、押して乗ると二、三百メートル進むのだが、機関車が来ると線路からトロッコを外して藪に隠れた。」との記載がありました。

所々にトロッコがあったのか…。

水田の先は、僅かですが林の中を進んでいたようです。

調子にのって、この辺りで車を側溝に落とし、JAFを呼びました。トホホ…。


この区間もほとんどが農道となっていましたが、いくつかの遺構があり、ショボいながらも少しは楽しめたかと思います。

車で通れそうな箇所は限界まで進んでみましたが、その結果身動きできなくなりJAFの助けを借りることになり、情けない思いをしました。唯一の救いは、山奥ではなかったことです。

それ以降、やばそうな場所は一度車を停め、しばらく歩いて確認してから進むようにしました。皆さんも注意しましょう(って俺だけかー?…トホホ)。

A野木和公園付近〜内真部へ    C郷沢〜広瀬へ

( 線名 地図 )