(2010.3.26公開)
  津軽森林鉄道 

     D 蟹田〜大平


津軽森林鉄道は明治42年11月の全線竣功に先立って、明治41年7月に蟹田〜今泉間が竣功され、盛大に視察旅行会が開催されました。

また、蟹田には停車場、土場、海上運送のための桟橋などがあり、木材運搬の要所でした。

このように、ここは大変重要な区間なのですが、町中では遺構を見つけることが出来ませんでした。

2002年に初めて調査を行い、その後も数回訪れています。
出典:「電子国土」 URL http://cyberjapan.jp/index.htm

津軽森林鉄道はJR津軽線沿いに北上し、広瀬から蟹田へ進みます。

写真は蟹田駅南東で撮影しました。この道路が森林鉄道跡と思われます。

この辺りはかつては土場で、昔の写真(蟹田貯木場)を見ると、切り出した木が積み上げられていました。

なお、国鉄津軽線敷設のために、森林鉄道敷地が山手に移動したとの記録があることから、当初はもう少しJR側を通っていたと思われます。


(これより先の地図はこちらを参照して下さい。)

森林鉄道は蟹田から西へ進みますが、特に遺構を見つけることはできませんでした(あまりきちんと探していないので…トホホ)。

南沢集落を過ぎてから、現在の道から離れて進みます。

写真の右側のあぜ道が森林鉄道跡と思われます。


無理矢理狭い道を進むと、すぐに草だらけの道になりました。

草や枝が車に当たり、「キーッ」と悲しい音が…。


さらに進むと少し広い場所に出ました。清水股支線との分岐点です。

本線は左側を進んでいきます。


さらに500〜600mほど車で進んだのですが、そろそろ車で進むにはヤバそうな雰囲気になってきたので、引き返すことにしました。

歩いて行けそうなので、ちょっと後悔しています。


別の道で迂回し、森林鉄道跡を探しましたが、蟹田川右岸はこのように笹藪となっていました。

ここも頑張れば歩いて行けそうですが…。


出典:「電子国土」 URL http://cyberjapan.jp/index.htm


砂川支線との分岐点です。

森林鉄道本線は川を渡らずそのまま直進し、砂川支線はここで蟹田川を渡り写真右方向へ進みます。


少し進んで蟹田方面を撮影しました。

笹藪が無くなっている部分をみると、道床が盛り上がっており、森林鉄道跡ということがわかります。


笹藪はまだまだ一直線に続いており、この先が期待できます。

すると、そこには…


相ノ股沢を渡る木橋が、まだ残っていました(写真は2007年12月に撮影したものです)。

2002年11月時点では一番左側の橋桁もまだ残っており、それなりの姿になっていました。

※ カーソルを合わせると2002年11月に同じ場所で撮影した写真を表示します。


2002年の調査時には、付近の旧道からこの地点を見ると、数日前に降った雪が橋桁部分だけ残り、その部分が目立って見えたため、この木橋を発見できました。

写真は、発見当初に対岸から撮影したものです。


相の股沢上流方向から撮影しました。

5年の間に、どこからか倒れて?流れて?きた木が引っ掛かったりしています。

※ カーソルを合わせると2002年11月に同じ場所で撮影した写真を表示します。


相の股沢下流方向から撮影しました。

2002年の写真では木橋の姿が鮮明ではありませんが、なんとなくの雰囲気が出ており、個人的には好きな1枚です。

※ カーソルを合わせると2002年11月に撮影した写真を表示します。




中央の橋脚は、かろうじて立っていますが、壊れるには時間はかからないと思います。

また、蟹田側の橋台部分(左下写真)は一部が腐ってかなりボロボロでした。


橋台からやや離れた左右には、木柱の跡が残っていました。

これは川の流れから橋台部分を保護する翼壁の一部なのでしょうか?、それとも橋の架け替え前の橋脚なのでしょうか?
よくわかりません…。


相ノ股沢を渡り、相ノ股隧道方向を撮影しました。

写真左下から右斜め方向に盛り上がっている箇所があり、道床の存在がわかります。


今回紹介した区間で、遺構として見つけることができたのは、相の股沢を渡る木橋だけでした。

この木橋は、調査初年目で慣れていなかったことや、笹藪が邪魔したため、すぐには発見できませんでした。しかし、現地をしつこく数回訪れた結果、雪という偶然も重なって発見できました。粘り勝ちです(…っていうか初めから地図をよく見れば、川を渡ることは明らかなので、無理矢理笹藪を進めば、すぐに発見出来たのでは…トホホ)。


C郷沢〜広瀬へ           E相ノ股隧道へ


 ( 線名 地図 )