(2007.10.20 公開)
津軽森林鉄道
相内(あいうち)支線

相内支線は明治43年に開設された支線で、古くから存在していた軌道の1つです。

この支線は相内貯木場に集材された木材を青森方面へ運搬するため敷設されたもので、中泊町(旧中里町)今泉から十三湖(じゅうさんこ)畔を通り五所川原市(旧市浦村)相内まで通っていました。
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平19総使、第287号)

山に進むのではなく本線と貯木場を結んでおり、磯松小泊連絡林道と同様に他の支線と異なった性質を持っています。

また、第二次大戦直後は、交通が不便であったため、相内、中里、金木の住民は森林鉄道利用組合を立ち上げ、昭和21年9月から昭和27年まで大澤内〜脇元間で有料運行を行っていました。地域住民の重要な足という点でも、他の支線とは異なった歴史があります。

湖畔を通っていた支線には何か残っているのでしょうか。



1 相内からの調査

十三湖側から相内集落方面を撮影しました。

貯木場は写真左側の集落付近にあります。

昔は貯木場の北側に製材所があり、軌道は貯木場と製材所を囲むように存在していました。

相内支線は水田の先の草むら辺りにあったと予想しますが…?。その先は写真右側で相内川を渡り十三湖沿いに進んでいきます。

なお、相内川を渡る箇所には、橋跡を見つけることができませんでした。

軌道跡は相内川右岸の水田地帯を通ってから、湖沿いを進みます。

なお、水田は区画整理されており、軌道跡は分かりませんでした。

しばらくは舗装された道路でしたが、途中から写真のように未舗装となり、ちょっと期待できます。


車で進もうと思ったのですが、すぐに枯木を積み上げて作ったバリケードがあり、通行できませんでした。

写真はバリケードの先を撮影しました。歩けば進めそうでしたが、この日は調査をしませんでした。


2 今泉からの調査

相内支線は今泉集落のやや東側で津軽森林鉄道本線から分岐します。

分岐地点から今泉集落方向を撮影しました。


すぐに県道12号線を渡り、集落の中を進んでいきます。

この先に小さな川(今泉川沿いの一部?)を渡るので、何か残っているか期待して進みました。


既に改修されていました。ガックシ。

わりと新しい感じがしますので、数年前には何か遺構が残っていたかもしれません。

この先の今泉川を渡る箇所も遺構を見つけることができませんでした。


軌道跡は途中まで十三湖沿いの国道339号を進みます。

写真は国道との分岐点です。国道は写真右方向にやや高度を上げて、十三湖の北側を進みますが、軌道跡はこのまま十三湖沿いに進んでいきます。



国道から分岐後すぐに水路らしきものを渡ります。

このコンクリートの橋台?は遺構でしょうか?


さらに先にも小さな橋?があり、その側面に怪しい木片がついていました。

ちょっと遺構とは違う感じがします。

現在は道路が改修されて、この橋はなくなってしまいました。


軌道跡は十三湖沿いを進むのですが、しばらくは軌道跡と湖の間に水田があるため、湖面を近くに見ることはできません。

軌道跡にわだちがあるので、結構進めそうと期待していましたが…


わだちはだんだんショボくなり、その先にはバリケードが設置してあり、車で進むことができず、ここで諦めて引き返しました。

車で通行できない区間には何も遺構はない、と勝手に判断し、相内支線の調査はこれで終わりでした。しかし、机上調査で犬釘の付いた枕木の写真を発見し、もしかすると未調査区間に何かあるかもしれないと思い、2006年4月15日に再調査することにしました。

この日は妻がパートのため朝9時から息子の世話をする必要があるので、4時過ぎに出発し、5時半から今泉側から調査しました。


3 今泉からの再調査

国道の気温の電光表示板は「0.4℃」ってなってました。さぶー。

写真はしばらく進んでから出発地点方向を撮影しました。

今回は国道との分岐点付近(写真中央に小さく見えるの白い出っ張った部分)に車を停め、そこから歩きで調査しました。

相内側の舗装部分まで約3qくらいと思うので、往復で約2時間、7時半位に調査を終えて出発できれば何とか家に9時までに着くことができる、という予定です。

さて、前回調査を終えたバリケードの先を進むと、このようになっていました。

軌道跡は湖側の水田跡よりやや高い位置にあり、左側に道床を補強する構築物が見えます。

湖側に降りて撮影しました。

軌道跡を補強するように石垣が続いていました。

これが相内支線の遺構なのか、それとも廃線後の農道のための遺構かはちょっとわかりませんでしたが、なんとなく古そうな感じです。

このように崩れている箇所が所々にありました。

付近の別の箇所を撮影しました。こちらは石垣の上にコンクリートの構築物が付いているようです。前の写真もよく見ると下部にコンクリートのようなものが見えていました。

不法投棄されたゴミが雰囲気を台無しにしており、ちょっとがっかりです。

石垣ではなくコンクリートだけの箇所もありました。

しばらく進んで振り返って撮影しました。

軌道跡は周辺と同じ高さになり、石垣もだんだん小さくなっていました。

小さな水路を渡る箇所で撮った写真ですが、なんだかよく分かりません。

遺構とは関係ないかな?

先にはまだ現役の水田があり、バリケードがなければこの辺りまでは車で来ることができそうです。

しかし、その先は草むらと化していました。


いよいよ車では進入できない区間へ進みます。

地図上では点線で道が描かれていますが、実際はこのような笹藪となっています。

自転車で調査することも考えていたのですが、歩きで正解でした。

木の生えていない箇所が軌道跡とすぐ分かります。


笹藪ゾーンをクリアし、枯れ草ゾーンに突入しました。

まだまだ先はに続いているようです。


少し進むと歩きやすい箇所に出ました。

この辺りは道床がはっきりと表れているので、枕木がないかと枯れ草を掘り返しましたが、見つけることはできませんでした。


その代わりに怪しいコンクリート構築物を発見しました。

湖と反対側からわき水のようなものが時々流れているので、その水を十三湖に流すための簡易な水路として設置されたものと思われます。


これで終わりかと思ったら、笹藪ゾーンが再び登場しました。しかも先ほどのものとは違い、背の高さと同じくらいの笹藪です。

久しぶりの藪こぎです。春先にやるとは思ってもいませんでした。夏は暑さもあるので、春先に来て正解だったかもしれません。

軌道跡からは時々このように十三湖を眺めることができます。

しかし、9時までに家に着かなければならないので、のんびり見ていられませんでした。


今泉方向を振り返って撮影しました。

分かりにくいのですが、小さな掘割りのようになっていました。

軌道跡は水がたまりグショグショなので湖側を歩きました。


またしてもコンクリートの構築物がありました。

他の遺構を見つけられません。


今回の調査は遺構が見つからなくても最後まで歩くつもりでした。

森林鉄道の支線の調査では、終点まで行わないことがほとんどです。それは遺構を見つけられないことの他に、終点がどこだか分からないという理由があるからです。

今回は調査の終点がわかっているし、山奥に進む訳ではないので安心して調査できます。

それにしても先が見えないので疲れてきました。


松の木を越えたらすぐに以前相内から調査した地点に出ました。

ここまで1時間程度で来ることができました。以外と早く終わってホッとしました。


早く帰りたいし、藪こぎをしたくなかったので、なるべく湖畔を歩いて行きました。

朝早くこんな所を歩いていたらシジミの密漁と勘違いされると思い、ビクビクしながら帰りました。


遺構は少なかったのですが、歩き通せたことで個人的に満足できました。

調査とは関係ないのですが、軌道跡の両側にバリケードが設置されているのは、十三湖のシジミ密漁対策のためではないでしょうか。一般の方は指定された箇所以外では採取は禁止されており、十三湖周辺には密漁禁止の注意書きも結構見られます。

今回の調査では、念のため怪しまれないように必要最小限の装備で行いました。カメラと地図のみを持参し、バックやビニール袋など疑われそうなものは持っていきませんでした。

なお、帰りは十三湖畔を通ったので早く戻ることができましたが、藪こぎを避けることができない地点があり、先ほど葉についていた霜が朝日で溶けていたため、ズボンがビショビショになりました。トホホ…。

( 線名 地図 )