(2013.1.19公開)
相内川沿いの林道
(あいうちがわ)

相内川沿いの山林から切り出されたヒバ材は、昔は川を利用して十三湊(とさみなと)まで運び、船によって函館、加賀、能登方面へ販売されていました。

津軽森林鉄道の開通に合わせるように相内川沿いに軌道が敷設され、ヒバ材は青森貯木場へ運ばれるようになり、十三湊から船での搬出は無くなりました。

今回のレポートは約10年前(2003年)の調査結果なので、ちょっと古いです。一部写真は撮影し直していますが…ショボいかも。
①相内川林道 ②相内川林道太田支線 ③相内川林道桂川支線 ④相内川林道桂川支線四ッ滝線 ⑤相内川林道山王坊沢支線
D 磯松小泊連絡林道  E 磯松林道  F 津軽森林鉄道相内支線  G 津軽森林鉄道本線
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平23情使、第705号)


1 相内川林道

相内川林道は、相内貯木場を起点にスタートします。

すぐに相内川を渡るのですが、橋跡などの遺構を見つけられませんでした。

水田地帯を東へ進みます。


この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平23情使、第705号)

太田集落付近の①地点で太田川を渡ります。橋自体は森林鉄道時代のものではありませんでしたが、橋の脇に一列に並んでいる軌条を見つけました。


ただの水田地帯ですが、ここが太田支線との分岐点と思われます。

相内川林道は左方向へ、太田支線は真っ直ぐ進みます。

水田は基盤整備されており、その中に相内川林道の明確な跡を見つけることは出来ませんでした。


水田の中を突っ切って進めなかったので、現役の林道を通って東から迂回しました。

何のへんてつもない林道を進み、しばらくすると小屋が見えてきました。この小屋は古い軌条を使っていましたが、この他には遺構を見つけることができず、引き返しました。

数年前、再度調査にチャレンジしましたが、工事中のため通行止めで調査できませんでした。ガックシ。


2 相内川林道太田支線

相内川林道分岐からしばらく進んだ②地点です。

農道の轍は左に真っ直ぐ進んでいます。しかし、国土地理院の地図では、道路はこの辺りで右方向へ進み、太田川を渡っています。

ここから見た感じでは橋がありそうな雰囲気ではありませんが、とりあえず右方向へ進みます。

右方向に進み、振り返り撮影しました。

道は途中で途切れていますが、コンクリートの橋台らしき物が残っていました。

と、いうことは…。



太田川の方を見ると、橋脚が残っていました。

1つは倒れていますが、奥には立ったままの橋脚が見えました。


対岸に渡りました。

木が邪魔でちょっとわかりにくいですが、コンクリートの橋脚が3つ立っているのがわかります。


近くで撮影してみました。

結構しっかりしている橋脚で、支線の構築物にしてはずいぶん立派だなぁと思いました。


近くの道端には、金具だけでなく、橋桁に使われていたと思われる木材も形をとどめて残っていました。


軌道跡は太田川沿いに写真右上方向に進みます。

迂回して進んだので、次の写真までの区間は未調査です。


迂回して③地点に来ました。上流方向に進む軌道跡を撮影しました。

現林道は太田川を渡るので、この先も迂回して進みました。


軌道跡は太田川左岸を進んでいきますが、現林道は対岸のやや高い位置を進んでいきます。

現林道からでは軌道跡を見つけることが出来なかったので、車から降りて、川沿いに確認に行くと、④地点付近で橋脚跡を発見できました。


軌道跡は太田川を渡り、林の中を進んで行きます。

道床が盛り上がっており、軌道跡は明確に分かりました。


軌道跡には草木がほとんど生えていないので、楽に進むことができました。


再度川を渡る地点でも、かろうじて橋脚が残されていました。

ちょっとわかりにくいですね。


軌道跡が対岸に移っても軌道跡がはっきりと分かりました。

一部分には石垣も残されていました。


⑤地点でもう一度太田川を渡り、現林道と合流します。この地点でも橋脚が残されていました。

この写真を撮影していたときに、橋脚跡部分に赤と黒模様の小さいヘビ君が現れ、ビビリました。


その後は現林道を進み、小さな沢を渡る地点で、軌道の遺構と思われる橋脚と橋台を見つけました。しかし、この先には遺構は無さそうなので、この辺りで引き返しました。


この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平23情使、第705号)


3 相内川林道桂川支線

⑥地点で桂川集落方向を撮影しました。

軌道跡は水田の中を進んでいました。

昔の地図を見ると、相内川林道より分岐してから3~4回相内川やその支流を渡っているのですが、調査し忘れましたので、後日追加調査が必要です。


桂川集落の⑦地点から起点方向を撮影しました。

桂川の左岸を進んでいたと思われますが、遺構を見つけることができませんでした。はたして、この細い所に軌道があったのでしょうか?


軌道は桂川集落の中を進んでいきますが、特に遺構を見つけることはできませんでした。


桂川集落を過ぎて、水田の中を進みます。

普通の田んぼ道ですが、ここが四ッ滝支線との分岐点です。左が桂川支線、右(直進)方向が四ッ滝支線です。


林道は桂川沿いに進みます。

何か遺構はないかと川の方へ降りてみると、古レールを活用した河川護岸工がありました。


さらに先に進んだところでも、川へ降りてみると、林道を補強するための杭と思われる物を見つけました。これは軌道関係の遺構でしょうか?

杭を打ち込んだ跡らしき穴もいくつか残されていました。

このほかには何も見つけられず、ここで引き返しました。


4 相内林道桂川支線四ッ滝線

分岐地点付近を撮影しました。写真はこれ1枚だけです。

きちんと調査してわけではないですが、遺構を見つけることができませんでした。

当時は車での調査だったので、きちんと降りてみれば何か見つかったかもしれません。


5 相内川林道山王坊沢支線

相内川林道から分岐してすぐに相内川を渡ります。その箇所に橋脚跡を見つけました。

ゴミが引っかかっている部分に3~4本の橋脚が残されていました(カーソルをあわせると拡大写真を表示します)。


続いて山王坊川を渡るのですが、橋の跡を見つけることはできませんでした。

軌道跡はしばらく水田地帯を進んでいきます。


山林に入る手前の⑧地点に日吉(ひえ)神社があります。

十三湊は13世紀初めから15世紀中頃栄えていました。その頃の遺跡が、ここ山王坊川沿いの日吉神社のあたりにあるそうです。

ちょっと神社を見てみましたが、あまり興味無かったので、どんな感じだったかは記憶にありません。


神社の先に進んでみると、林の中に一筋の軌道跡を見つけました。


山王坊川沿いに進む箇所には、石垣が見られました。

ちょっと新しいような感じがするので、軌道撤去後に設置されたものかもしれません。


先に進むと、橋脚と橋桁の一部が残されていました。

橋桁は途中で折れていました。


横から撮影しました。

橋桁から金具がビヨーンと飛び出していました。


橋の先は小さな掘割のような感じで進んでいきます。


続いて、さらに川を渡る箇所があり、橋台が残っていました。

苔が生えていていい感じです。


対岸には、橋脚を補強するコンクリートの土台のようなものと、橋桁や金具の残骸が残されていました。


春なので草木や笹藪はまだ少なく、容易に先に進めました。


またしても川を渡ります。

ほとんど無くなる寸前の橋脚が見えていました。こうやってどんどん遺構が見えなくなっていくんだなーと、ちょっと悲しい気分でした。


現在の地図では、軌道跡と思われる点線の道が続き、この先も数回川を渡るので、さらに遺構が見つかると期待していたのですが、途中から軌道跡が判然としなくなりました。

この写真では土の部分に橋脚らしきものが写っているのですが、ちょっとわかりにくいですね。

これ以上は進まず引き返しました。


調査不足の部分もあるので、再度調査の必要があると思います。とりあえず、写真が古くならないうちにと思い、一度レポートとしてまとめました。

いつの間にか、初回調査から約10年も経っていました。当初はデジカメのメモリーが少なく、考えた末に撮影したつもりでも、ショボい写真しか撮れませんでした(現在もショボいですが…トホホ)。


( 線名 地図 )