(2012.3.10公開) |
青荷沢林道 かつて存在していた森林鉄道・軌道のうち、市販されている本などに掲載されていないものがいくつかあります。そのうちの一つが黒石営林署管内に存在していた青荷沢林道です。 青荷沢林道は黒石市の南東部に存在していました(左地図の青枠内)。 ちなみに、黒石市はB級グルメで有名になった「つゆやきそば」発祥の地であるほか、夏には「日本三大流し踊り」の1つである「黒石よされ祭り」が行われます。また、「こみせ通り」「こけし」「りんご」「温泉」などの観光スポットがあるので、青森においでの際には寄ってみてはいかかでしょうか(以前黒石に住んでいたことがあるので宣伝してみました)。 |
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この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平23情使、第705号) |
上記地図の青枠内を拡大しました。この中のどこかに軌道跡があるはずです。 しかし、昔の地図を見て調べたのですが、軌道が記載されているものはありませんでした。 唯一手がかりになるものは「黒石経営区第6次経営案説明書」(昭和29年3月黒石営林署)に記載されていた「45林班厚目内土場~38林班大開沢まで延長6,004m」ということだけです。 とりあえず起点である厚目内土場の場所を予想し、そこから現地調査しようと考えました。 「土場=広い場所」と安易に考え、土場跡地が養魚場になったのでは?と予想し、養魚場を目指しました。 |
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この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平23情使、第705号) |
1 土場の探索 国道102号から分岐して厚目内集落へ向かい、北上していくとスタート地点です。現在の青荷沢林道の入り口と思われますが…。 写真は2010年5月5日に撮影しました。この数週間前にきたときには林道に雪解け水が川のように流れ出ていました。 養魚場まではここから約1㎞先です。息子と一緒にドライブ気分で出発しました。 |
しかし、500mほど進むと、巨大な水たまりがあり、車で進むことができなくなりました。 車から降りて、少し進んでから撮影しました。 息子と一緒なので、この先の調査は危険と判断し断念しました。 水たまりにはオタマジャクシ君、道ばたにはヘビ君がいました…春だなぁ~。 |
スタート地点の林道入り口に戻ってきました。 結局、養魚場に行くことができず、土場の場所もわかりませんでした。 帰ろうと思った瞬間、息子が「土のお山で遊んでいくー」との要望が!なんじゃそりゃ? 林道の脇にあった残土の山で遊びたいとのこと(写真林道の右)。 今日は5月5日こどもの日なので、要望を受け入れることにしました。 |
お山遊びは10分くらいで終わるかと思ったら、40分経っても終わらず、飽きてきました…。 すると、山菜採りのおじさんが近くを通りかかりました。ヒマだったので、ダメもとで土場の存在について聞いてみたところ「この先にはなかったね。」とガッカリな結果でした。 予想が外れたか…と思っていたところ、この後、おじさんから驚く発言が! 「土場ならもっと集落のほうにあったよ。昔は切った木をトロッコで運んでいたんだよ。アッハッハ…」 …好きだぜ、おじさん! 軌道のこと聞いてないのに、教えていただけました。 早速、おじさんに確認したところ、 ①土場は集落の近くに存在していたが、現在は畑になっている。 ②軌道は昭和30年前後に存在していた。 とのことでした。 情報を教えてくれたおじさんに感謝するとともに、意外な行動できっかけを作ってくれた息子にも感謝です。 |
早速おじさんから聞いた場所に行ってみました。土場跡地は現在は畑になっています。 地図で場所を確認すると、軌道跡が浮かび上がってきました。次の地図をご覧ください。 すぐにでも調査したかったのですが、今日は息子がいるので、いったん終了し、この先は後日調査することにしました。 |
2 軌道跡の調査 土場跡地を地図上からだけで判定することは難しいです。おじさんからの情報は大変助かりました。 土場跡地から点線の道が続いており、おそらく軌道跡と思われます。 調査は様々な方向から4回に分けて行いました。 |
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この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平23情使、第705号) |
① 土場跡地からの調査 | ||
土場跡地の西側からスタートします。しかし、笹藪のため軌道跡を確認することができませんでした。 | ちなみに、土場跡の少し南側には舗装された道路が続いていますが、これは軌道跡ではなさそうです。 |
あきらめずに笹藪を突き進んでいくと、少し広めのスペースが現れました。 徒歩道にしては広すぎる感じがしますので、おそらくこれが軌道跡と思われます。 |
軌道跡は少しずつ高度を上げて進んでいきます。 | 林を抜け、少し高い場所に出ました。 この写真の左下には舗装された道路があります。 |
さらに進み、笹藪が少なくなり歩きやすくなりました。 この先に何かあるかと期待したのですが…。 |
土場跡地から約200m地点です。崖崩れのため、道床の一部が崩壊していました。 この先、軌道跡は東へ進路を変えます。頑張れば進むことができたのですが、やめておきました。その理由は、次の写真をご覧ください。 |
軌道跡下の道路から撮影しました。いつの間にか、高い場所に来ていたようです。 軌道が徐々に高度を上げていたのとは逆に、舗装された道路は少しずつ高度を下げていたので、高度差が生じていました。 落ちると死にそうです。 |
②土場北側からの調査 | ||
いったん土場跡に戻り、北上しました。 すると、段差が現れ、その上には軌道が通れるようなスペースが見つかりました。 |
段差がわかりやすいように撮影しました。 段差は南北に続いている等高線に沿って存在しており、少しずつ高度をあげて進んでいきます。 |
高度をとりながら進んだ軌道は、ヘアピンカーブで進行方向を北に変えて進んでいたようですが、一部は林から出て畑になっていました。 矢印の箇所が軌道跡の出入り口です。 (※カーソルを合わせると、軌道跡を示します。) |
終点方面から畑方向を撮影しました。 畑から軌道跡入り口を見つけるのは難しく、林に入ってウロウロしてようやく軌道跡を見つけることが出来ました。 |
畑の裏側へ進みます。 一部分で崖崩れの箇所がありましたが、まだまだ先へ進めそうです。 |
小さな沢を渡る箇所がありました。 木橋跡があるかと期待しましたが、遺構を見つけることができませんでした。 |
進路を西へ変えて進んで行きます。 小さな切り通しのような箇所もあり、軌道跡がはっきりとわかりました。 |
まだまだ進めそうでしたが、特に遺構がなさそうなので、引き返しました。 (本当は怪しい動物の糞を見つけてビビって引き返しました。トホホ…) |
③養魚場からの調査 | ||
一番始めに調査した林道入り口から自転車で養魚場まで進みました。 左が終点方面、右が土場方面です。 |
ここまで登ってきた道のりです。写真では平坦に見えますが、坂道となっており、ここまで来るのに疲れました。 周囲は養魚場となっています。いくつかの池があったのですが魚を養殖しているようには見えませんでした。 |
養魚場から南へ起点方向に進みます。 軌道跡は進みにくいかと思っていたのですが、笹藪を刈り取った跡があり、スムーズに進むことができました。 まだ落ちている笹が生き生きしていたので、最近刈り取ったものと思われます。 |
先に進んでも、笹藪が刈り取られていました。 自動車のタイヤ跡が見え、つい最近自動車が通ったようです。普通の山道のようにしか見えません。 |
しばらく進むと、車が現れましたが、これは廃車でした。 ここから少し先に白いバンが停車してあり、山奥からチェーンソーの音が聞こえていました。 山林管理のために、この道は現役で使用されているようです。 |
白いバンが停車していた先に進みました。 小さな沢を渡る箇所がありましたが、またしても特に遺構を見つけることができませんでした。 |
この先は轍が残っていましたが、既に車が通れるような状態ではありませんでした。 しかし道幅は広く、まだまだ進めそうです。 |
まだ進めると思っていましたが、すぐに草木が繁茂した状態になりました。 軌道跡は続いていましたが、遺構がなさそうと判断し引き返すことにしました。 |
④終点方向への調査 養魚場へもどり、終点方向へ進みます。 看板には「青荷沢林道14,789m」と記載がありますが、どこからどこまでの距離なのかはちょっと不明です。 |
養魚場から先は明らかに現役の林道です。 「通り抜け出来ません」の看板がありましたが、自転車なので行けるところまで行ってみます。 |
現役の林道のため、遺構はほとんど無いと思っていますが、とりあえず進みます。 | 先は長いなぁ~と思って撮った写真です。誰もいないのをいいことに「俺ってアホやー!」と叫びながら進みました。 |
ハァハァ…。結構走って疲れました。 養魚場から約3㎞ほど進みました。おそらくこの辺りが終点の大開沢と思います。 ここからは下り坂になり、轍を雪解け水がドバドバ流れていました。 |
今回の調査では、これといった遺構は見つけることができませんでした。 まっ、個人的には、地図上に記載されていなかった軌道跡を発見できたことに満足しています。 また、その後机上調査で新聞記事や林道台帳の記載から、青荷沢林道は昭和23年頃~昭和31年頃まで存在していたことがわかりました。 いろいろと解らなかったことが少しでも解決できてスッキリです。きっかけをくれた「土のお山」に感謝です。 |