(2023.9.18公開)
五所川原・飯詰地域の林道

(電子地形図(国土地理院)を加工して作成)
津軽森林鉄道は有名ですが、この地域に森林軌道が通っていたことはあまり知られていないかもしれません。

津軽森林鉄道は、当初、青森から喜良市を経て飯詰まで計画されていました。喜良市まで開通後、延長工事を行う予定で喜良市から飯詰までの実測を終えていましたが、飯詰地区の材積が少ないことから、費用対効果を考え、工事が中止となった歴史があります。

しかし、効率的な運材を行うため、明治43年に飯詰土場から坪毛不動沢まで軌道を敷設したのを皮切りに、五所川原林道、玉清水川林道を敷設し、五所川原駅南東の五所川原貯木場まで運材を行いました。

現地調査は2003年から断続的に行っており、写真撮影時期がバラバラであることや、現況が異なっている場合がありますので御了承ください。


五所川原林道

五所川原駅南東にあった五所川原貯木場が起点で、現在は建物や道路となっており、遺構を見つけられませんでした。

貯木場跡の写真を撮り忘れたので、林道とは関係ない津軽鉄道の五所川原駅の写真で勘弁してください。


(電子地形図(国土地理院)を加工して作成)


軌道跡は、ほぼ道路になっており、市街地や水田を通り、津軽鉄道の五農校前駅の横を進んでいきます。


飯詰の集落を通ります。五所川原林道は直進しますが、この辺りで東方向へ玉清水川林道が分岐していきます。

なお、ここから約1q西にある津軽鉄道津軽飯詰駅には毎月第3日曜日に「汽車旅文庫」が開設されており、故種村直樹氏が所有していた鉄道関係の書籍の公開(閲覧可能)や、津軽鉄道に関わる展示が行われていますので、興味のある方はお立ち寄りください。


 
玉清水川林道との分岐の少し手前、糠塚川を渡る旧橋の横に、軌道跡のコンクリ橋台のようなものがありましたが、遺構かどうかは不明です。     さらに少し進むと、ちょっとわかりにくいですが、水路には橋脚が残されていました。 


軌道跡は水田の中を進み、写真奥を横切っている県道26号(津軽あすなろライン)と交差します。

五所川原林道は直進し、飯詰林道は右手に分岐します。


県道26号を越えて直進し、写真では見えていませんが林の手前の味噌ヶ沢(大淵川)を渡ります。

しかし、橋脚などの遺構を見つけられませんでした。

この先は進めないので、現林道から回り込みます。 



(電子地形図(国土地理院)を加工して作成)
この先は県道から分岐している現林道を進みます。

五所川原林道は、大正14年に飯詰貯木場から味噌ヶ沢上流に軌道が敷設されました。その後、昭和になってから五所川原貯木場まで延長されました。


現林道を進むと、畑の先に一筋の盛り上がりが確認できます。

畑で作業していた人に聞いたところ、やはり軌道跡とのことでした。

畑の中を通らせていただき、軌道跡に向かいます。


 
まずは@の起点方向に進みました。進みやすい軌道跡でしたが、特に遺構を見つけられませんでした。


  次にAの終点方向へ進みます。軌道跡がとても綺麗に残されていました。


 
こちら側も明確に軌道跡が続いていましたが、再び味噌ヶ沢(大淵川)を渡る手前で進めなくなり、遺構を見つけられませんでした。

再度、現林道に戻って進みます。


林道は牧歌的な風景の中を進みます。


 
遺構は、レールを利用したゲートの柱、路盤を補強するための木柱らしきもの?くらいしか見つけられませんでした。 


4〜5qほど進みましたが、この先も何も無さそうなので引き返しました。 


 飯詰林道
(電子地形図(国土地理院)を加工して作成)

飯詰林道は明治43年に敷設されました。大正14年の伐木の運材後に軌条を外し、味噌ヶ沢方面からの運材のため、五所川原林道の敷設に再利用されました。その後、飯詰林道に再度軌道が敷設されたようです。


県道26号(津軽あすなろライン)から右に分岐した道が軌道跡です。


しばらく進み、軌道跡は道路から外れて左方向へ進みます。

2003年に最初に調査したときは、道路をまっすぐ進んだのですが、何か違うような気がしていました。その後空中写真を見て、正しい軌道跡を確認できました。

軌道跡は民家を通っているようなので、引き返して県道26号から回り込みます。


 
写真は県道26号沿いにある飯詰貯木場の跡地です。柵にはレールが使われています。
当初、飯詰林道は五所川原林道から分岐せず、単独で存在しており、その時の起点がこの飯詰貯木場でした。

現在は、ソーラーパネルが設置されています。 


 
県道26号から回り込み、林の中を進むと軌道跡を見つけました。 いい雰囲気です。 


 
軌道跡は県道に合流しないで、県道の南側に平行して進んでいます。
地図を見ると、この先の飯詰ダムまでの間に小さな沢が数か所あるので、そこを渡る遺構があるかと期待していました。

まず1箇所目ですが、特に何も見つけられませんでした。  


 
軌道跡は明確に続いており、次の沢へ向かいます。進む先が明るくなり、ドキドキします。


2箇所目の沢にはコンクリートの橋台、橋脚が残されていました。

一直線に美しく続いており、いい感じです。久しぶりの遺構発見で、ちょっと興奮しています。


思った以上の高さと長さがあったようなので、現役時代の状態を見てみたいものです。 


 
しばらく進むと軌道跡は飯詰ダムに飲み込まれてしまいます。ここは、元は不動ため池として作られていましたが、後に飯詰ダムとして昭和48年に竣工しました。
ダム周辺は不動公園として整備されています。
  ダムの貯水量は結構あり、これではこの先も軌道跡は沈んでいるのだろうと勝手に思っていました。



(電子地形図(国土地理院)を加工して作成)

この先は、調査の時期や調査する方向があちこちに変わります。

 
@地点からの調査

公園の管理事務所の近くにある駐車場の先を何気なく見てみると、何か空間がありました。まさかと思って進んでみました。
  何と軌道跡らしき空間が続いていました。この辺りから軌道跡は水没しないで残っていたようです。

軌道跡があると思っていなかったので、車に調査道具を取りに戻ってから再スタートです。


 
振り返るとダム湖を渡る不動大橋が見えました。橋を渡るとハイキングコースやアスレチックなどがあるのですが、現在は通行止めとなっています。   軌道跡の路盤には、ちょっとわかりにくいですが、コンクリートで補強するような部分がありました。


路盤がえぐれている部分は、小さな橋が架かっていたようで、橋脚跡がありました。  


 
ダム湖の脇を通る県道26号から見下ろしても軌道跡が見えなかったので、最初はダム湖に沈んでいると思っていました。しかし、草木が枯れた時期に確認してみると、かろうじて軌道跡(黄色の部分)が見えることが分かりました。   軌道跡はいい雰囲気で進んでいます。


 
横からぐるぐるの真貫光殺砲が飛んできても進みます。   振り返って撮影しました。先ほど見えていた不動大橋は見えなくなりました。


緑のトンネルを進んでいきます。歩きやすくて気持ちいいです。


 
     
突然、軌道跡に金具のついた木柱が転がっていました。これは橋脚や橋桁の遺構と思われます。  


先に進むと、ダム湖で進めなくなりました。橋脚跡があり、本来はこの先に橋が架かっていたようです。 振り返って橋脚を撮影しました。いい感じです。


対岸を見ると、向こうにも橋脚跡らしきものが残されていました。

確認したいのですが、ここからは進めないので県道から回り込んで調査します。


A地点からの調査

写真は2006年に撮影した不動の滝です。秋だったせいか水量は多くありませんでした。

かつては県道から不動の滝へ進むことができる遊歩道がありましたが、現在は危険のため通ることができません。

写真を撮った時はまだ通行可能で、息子を連れて遊びにいけましたが、滝へ降りる箇所は危険で、この道はヤバいのでは?と思ったほどでした。


 
滝をスルーして徒歩道を進むと、標識柱の先に怪しい茂みがあります。   茂みをかき分けると、@の調査で対岸から見た橋脚跡がありました。(現地調査は@の前にこちらを調査しています。)


上流方向に戻ると、遊歩道と軌道跡が一緒になって続いていましたが、ちょっと進めそうにないので、再び県道に戻り、林道で回り込んで進みます。


B地点から下流へ調査

県道から石ノ塔林道を進み、B地点に来ました。

まずは飯詰川の下流方向へ進むと、レールが落ちていました。


川岸には軌道跡らしき空間が見られました。


 
軌道跡は川からちょっと高い位置を築堤のように進んでいました。 


川原から軌道跡を撮影しました。少し高い位置にはっきり見えるのがわかります。


 
軌道跡やその近くの草むらには、遊歩道があったことを示す標識柱が残されていました。
この遊歩道は公園管理事務所から不動大橋でダム湖を渡り、ダム湖を回り込んで不動の滝へ進んでいたと思われますが、もはや通ることができません。

軌道跡を調査していると、このように使われなくなった観光資源を多くみることがあり、軌道跡よりも哀愁を感じます。 

その先は軌道跡の道床が崩れており進めなくなりました。ここで引き返します。 


C 地点からの調査

石ノ塔林道へ戻りました。軌道跡はしばらくそのまま林道になって進んでいます。

林道脇にはレールが刺さっていました。


軌道跡は石ノ塔林道から分かれて坪毛沢の上流へ進みます。地図には点線の道の記載が途中まであり、何か遺構があるかと思い進んだのですが、コンクリート堰があったので諦めて引き返しました。

このとき進んで調査しておけばよかったと後悔しています。
なお、この先の軌道跡のもっと上流には、下流域への土砂流出を抑止するために設置された「坪毛沢木製えん堤群」が残されています。古いものでは大正時代に作られたものもあり、歴史的価値があるとして、令和3年に林業遺産に認定されました。別のルートで上流方向に進めるようなので、興味のある方は訪れてはいかがでしょうか?


玉清水川林道

五所川原林道で紹介した写真と同じです。

飯詰集落で五所川原林道から分岐し、東方向(写真右)へ進みます。


 
(電子地形図(国土地理院)を加工して作成)

赤線が国土地理院の地図に記載されていた軌道です。戸沢地区から天神川の南側を破線で進んでいますが、丘のような部分を通過するので、どのように高度を取ったかがちょっと不明です。

何かで見た昭和11年の地図や、青森営林局の飯詰経営区の土壌図では、ピンクの破線のように、軌道は戸沢地区の北側の水田を突っ切って記載されていたので、 そのような可能性もあるかもしれません。

また、国土地理院の地図では石田坂地区の南側までしか記載がありませんか、敷設距離が5,970mであることから、点線のように天神川の上流まで敷設されていたと考えられます。


 
戸沢地区を過ぎ、天神川の南側を進みます。現在は道が通っていますが、軌道の遺構らしきものは見つけられませんでした。  


石田坂地区の南側まで進みました。

この先で天神川を渡ることになっているので、気になりますが、草木が繁茂しており先に進めそうにありません。

集落から続く林道から回り込んで進みます。


 
石田坂から南方向を撮影しました。水田の向こうに見えているのが軌道跡と思われます。   集落の先に進むと、道端にレールの柱が見られました。

集落を過ぎて林の中を進みます。この辺りで右側から軌道跡が合流しているはずです。   道の右側に怪しい空間を発見しました。ワクワクして先に進みます。 


天神川を渡る箇所には、なんと橋脚が残っていました。

遺構が残っているとは思っていなかったのでちょっと興奮です。


 
橋桁が1本そのまま伸びていました。その他の残骸や金具は落ちて残っています。  


 
対岸にも、橋桁の残骸が見えています。 


対岸に渡り撮影しました。橋桁がバラバラに落ちているのがわかります。

犬釘やレールを見つけることができなかったので、軌道跡だったと断定できませんが、それっぽい雰囲気はかなり出ていました。


天神川に降りて撮影しました。

撮影した時期だけかもしれませんが、川の水量がとても少なかったので、橋脚や橋桁が流されずに残っていたのではないでしょうか。


起点方向を撮影しました。

笹藪が続いており、こちらからも進むのが困難でした。 


 
橋跡から林道に戻り、上流方向に進みましたが、特に遺構を見つけられず、さらに、堰で先に進めなくなったので、調査を終えました。 


最初の現地調査から20年も経ってしまいました。息子と不動大橋を渡ったり滝を見たりしたことが懐かしく思い出されます。そして、どちらも現在は通行止めとなってしまって悲しいです。

また、2022年の夏の大雨の影響で、現在県道26号が一部通行止めとなっていることから、 飯詰林道の上流方向の再調査ができません。ノンビリしていると調査地点にすら行けなくなり、ちょっと後悔しています。なんか悲しい終わり方になってしまった。


( 線名 地図 )