(2014.8.12 公開) |
旧弘前営林署管内の林道 旧弘前営林署管内の林道は、他の地区と違い、それぞれの起点が海や鉄道などの主要交通に接続していません。 集められた木材はそれぞれの軌道起点の貯木場から馬車で弘前市場に運ばれていましたが、効率が悪く、運賃も高かったことから、昭和初期には、弘前の南部に新たに貯木場を設け、それぞれの軌道をそこまで延長する計画もありましたが、実現しませんでした。 軌道での運材は、当初は手押しや馬で行っていましたが、後年は機関車を導入したようです。 調査は2004年に行いましたが、相馬林道は2008年に再調査しています。 |
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この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。 |
1 一ノ渡林道 起点には、かつて沢田貯木場(沢田苗圃)がありましたが、現在は普通の畑になっており、特に遺構を見つけられませんでした。 |
軌道跡は大和沢(おおわさわ)川沿いに進みます。 座頭石へ向かう道路から左岸の軌道跡を撮影しました。山裾のスジになっている所が軌道跡と思われます。 |
前写真の左側に写っている橋から起点方向を撮影しました。 軌道跡が続いているのが分かります。 |
一方、上流方向は舗装された農道となっていました。 |
しばらく進んでから起点方向を撮影しました。 りんご畑や水田の中を通る、ごく普通の農道になっています。 |
さらに先は林道になっており、ここからが本番です。 しかし、調査時は7月で草木が繁茂しており、特に遺構を見つけることができませんでした。 再調査が必要ですね…トホホ。 |
2 相馬林道 当時は、相馬中学校の南側に紙漉沢(坂市)貯木場があり、このあたりがスタート地点でした。 今回(2008年)は、自宅からママチャリで出発し、車は一切使用しないで調査しました。 |
軌道跡は相馬川左岸沿い(写真右側)に進みます。 途中の藍内集落までは県道129号が続いており、一部は軌道跡と重なっているようです。 |
藍内集落へと向かう県道から、りんご畑の向こうに見える軌道跡を撮影しました。 一部は農道として活用されているようです。 |
農道の方へ行ってみると、道床跡のようなわずかな盛り上がりを感じることができました。 |
藍内集落を過ぎると、いよいよ現役の林道に突入です。 道端には古軌条が刺さっていましたが、そのほかは特に遺構を見つけられませんでした。 |
林道は相馬川の右岸沿いに進みますが、途中から高度を上げ、川から離れます。 高度を上げる手前で、川へ降りる怪しい空間を見つけたので、ちょっと降りてみました。 |
上流方向を見ると、対岸に石垣を発見しました。 |
左岸に近づいて撮影しました。きちんと確認していないのですが、橋台と思われます。 | 右岸を見ると、こちらにも石垣の跡らしき物が残されていました。 ここで相馬川を渡っていたと考えられます。 |
林道は高度を上げて進んでおり、先ほどの石垣を見下ろすと、このように見えます。 石垣はさらに先にも続いているように見えます。橋台の翼壁なのでしょうか? |
林道から再び相馬川へ降りられそうな場所を探し、川原へ降りました。 左岸沿いに軌道跡は続いています。 |
軌道跡には結構立派な石垣擁壁が残されています。コケも生えていい味出しています。 |
パノラマ機能の無いカメラですが、偶然それっぽく撮影できました。 石垣が所々で無くなっていますが、かつてはこの辺りの川沿いに石垣がずーっと続いていたと思われます。 テレビドラマ「金八先生」でお巡りさん役の鈴木正幸さんは、ここ旧相馬村の出身で、子供の頃、相馬川でとった魚を、トロッコに乗せて持って帰ったと以前ラジオで話されていました。このような場所をトロッコに乗って勢いよく走っていたのでしょう。 |
石垣の間からニョキッと生えている木がありました。 石垣を突き破って生えてきたのでしょうか?年月を感じさせます。 |
軌道跡と石垣は結構続いています。 あまり記憶にないのですが、この箇所の軌道跡は石垣の上ではなく、下の平らな部分だったかと思われます。 |
石の積み方はよく分からないのですが(乱積?)、適当のように見えてきちんとしています。 |
軌道跡は上流に向けてまだ続いているようですが、自転車を残してきたので、一度林道に戻って進むことにしました。 |
林道をしばらく進むと、相馬川との高低差が小さくなってきたので、再び川原へ降りてみました。 堀割のようになっている軌道跡を見つけました。 |
しばらく進み、下流方向を撮影しました。 左側の少し高くなっている箇所が軌道跡です。 |
段差の部分をよく見ると、今までと同じように石垣の擁壁になっています。 |
さらに進み、再び下流方向を撮影しました。 この辺りの軌道跡は石垣がずっと続いているようです。降雪前の12月上旬や雪解け後の4月頃には、石垣がもっとはっきりと見え、素晴らしい景色になっていると思います。 |
上流へ進むと、相馬川は西股川と東股川に分かれます。 様々な資料で確認したところ、軌道もここで分岐していたようです。 少し高くなっている辺りが軌道跡で、正面の空間が西股川へ、左方向が東股川へと進みます。 |
まずは西股川方面の調査です。 堀割になっており、この先も続いている感じがします。 |
…と思ったら、すぐに先に進めなくなりました。 この先に桟道があったのか、橋があったのかは時間がなく確認しませんでした。 また、東股川から回り込んで林道が続いており、少し進んでみましたが、遺構を見つけることはできませんでした。 |
続いて東股川方向への軌道跡です。 分岐点から少し進むと西股川を渡りますが、その手前で途切れていました。 川原に降りて、橋台などの遺構を探しましたが、見つけられませんでした。 |
対岸を見てみると、草や低木があり軌道跡がよく分かりませんでした。 |
しかし、近づいてよく見ると、石垣の橋台らしき物がありました。 (前の写真の右側付近です) |
また、川には橋脚の跡らしき物も…違うかな? |
その先も東股川沿いに軌道跡らしきものは続きましたが、しばらくすると判然としなくなりました。 さらに林道沿いに進んでみましたが、遺構を見つけられませんでした。 (この先の調査の記憶があまりない…トホホ。) |
林道はこの先、秋田県の早口まで続いています。 軌道が設置された頃は、県境の国有林の開発や、秋田県方面との物資運搬が期待されていたようです。 |
5年以上も前の調査でしたので、思い出しながらレポートを書きました。結構調査内容を忘れてしまっています。このように昔調査してレポートしていないものがまだいくつかあるので、早めにレポートしなくては、と反省しています。 相馬林道の調査は自宅からずっとママチャリで行きました。道がでこぼこしてケツが結構跳ね、「さすが林道だなー」と思っていたのですが、よく見たらサドルのナットが1つ外れ、パカパカ状態になっていました…トホホ。 |