(2016.2.21公開)
      碇ヶ関林道

青森県の山林といえば「ひば」が有名ですが、秋田県境に近い碇ヶ関付近の山林は杉が主体となっています。

碇ヶ関林道は他地区の林道よりも早く、明治43年に開設されました。これは歴史が古い津軽森林鉄道とほぼ同時期の開設となっています。

歴史は古いのですが、大正時代に早くも廃止された区間もあるので、遺構が残っていない可能性もあります。

調査は、2004年から数回に分けて行いました。
この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。


碇ヶ関林道は、碇ヶ関駅の北側にあった貯木場が起点でした。現在は貯木場跡の一部が「道の駅いかりがせき」となっています。


道の駅の裏側は空き地になっており、軌条で作られた柵がむなしく残されていました。

貯木場は碇ヶ関駅に隣接しており、モノレールクレーンによって丸太を巻き上げ、旧国鉄の貨車に運搬したとのことです。
20041106


20041106 しばらく平川沿いに進み、十六夜(いざよい)橋を渡ります。

橋を渡ってから起点方向を撮影しました。軌道もこの辺りで平川を渡っていたようですが、特に遺構を見つけられませんでした。


街中を進みますが、特に遺構を見つけられませでした。 旧役場前を過ぎ、軌道後は直進し平川沿いに進みます。


軌道は平川の右岸(写真の左側)とその奥に見える東北自動車道の間を進んでいたと思われますが、2004年の調査時には軌道跡を見つけられませんでした。


碇ヶ関インターチェンジを過ぎた辺りで、軌道は国道7号を渡り、国道沿いに進みます。

今までと同様に、軌道跡はどこか分かりませんでした。


1qほど南へ進むと、軌道跡は国道から離れ、奥羽本線に近づきます。

軌道は、真ん中を通っている道路の右斜め方向へ進んでいたのですが、水田の区画整理のため、跡は判然としません。


この先の軌道について昔の地形図を見ると、発行時期によって記載が異なっています。

大正9年版では、奥羽本線沿いに南下して平川を渡り、相乗沢まで進みますが、昭和16年版では奥羽本線から離れて東へ進み、二ノ渡集落を経てから南下して遠部沢へ進みます。

調べてみると、碇ヶ関林道は大正時代の後半に、敷設箇所が変わったようです。

今回は最初に敷設された相乗沢までの軌道跡の調査結果を紹介します。
この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。


     碇ヶ関林道 旧線

旧線は大正9年の地図に記載はありましたが、本当に存在していたのか疑問でした。

写真は、平川を渡る手前の地点で、右側には奥羽本線が見えています。奥羽本線沿いに怪しげな空間が続いており、ちょっと期待できます。

トゲトゲの草が生えていましたが、我慢して進みます。


平川を渡る箇所には、石垣の橋台と、その向こうにはコンクリートの橋台も残されていました。

コンクリート橋台は新しいそうなので、すぐ横を通る奥羽本線の遺構(旧橋?)と思われますが、石垣の方は軌道の遺構なのかな?

こちらも奥羽本線の遺構かもしれませんが、…わからん。


川原から撮影しました。

わかりにくいですが、草が覆っている中央部分がコンクリート橋台で、写真の右端が石垣橋台です。


川の中には、途中にあったと思われる橋脚の土台がありました。


奥羽本線の橋の下から撮影しました。

奥羽本線の橋を見ると、結構な高さと長さがあるので、明治時代に軌道の橋を設置するのは大変だったと思います。

よく見ると、川の中に前の写真の土台が確認できます。


対岸にもコンクリート橋台が残されていました。

石垣の橋台を探したのですが、こちら側では見つけられませんでした。


平川を渡った先を撮影しました。

コンクリート橋台の延長上には、車が通れる道になっていました。軌道跡にしては立派すぎる気がします。
一方、石垣橋台の延長上は、わかりにくいですが、小さな堀割のようになっていました。こっちの方が軌道跡っぽいです。


平川を渡る部分をショボい模式図で表しました。

前述したように、コンクリート橋台は奥羽本線の旧線で、碇ヶ関林道は、古そうな石垣の橋台を通ったと予想しましたが、どうでしょうか?


津軽湯の沢駅方向からも回り込んで、先ほどの橋方向へ調査しました。

軌道跡らしき道が続いています。


どんどん平川の方に進みましたが、軌道跡らしい空間があったものの、特に遺構を見つけられませんでした。


引き返して南へ進みます。

右側に続いているのは旧奥羽本線の築堤で、これに沿って続いている道が軌道跡と思われます。


碇ヶ関林道は国道7号沿いに、秋田県境の矢立峠に向かって進んでいました。
この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。


矢立峠方向を撮影しました。奥羽本線の旧線は国道の左側に続いていますが、碇ヶ関林道の軌道跡はどこだか分かりません。

奥に見える建物は、奥羽本線旧線跡地に建てられた別荘のようですが、今まで人が居たところを見たことがありません。


右に見えるのは「あいのり温泉」で、かつてはウオータースライダーなどの温泉プールもあった施設です。

道路脇に広がる駐車場の左側は奥羽本線の旧線跡です。よく見ると第三矢立隧道の入口が見えています。

昔の地形図によると、碇ヶ関林道の軌道は国道沿いに進んでおり、隧道の設置は無かったようです。


軌道は、国道を左折して東方向へ進み、相乗沢を遡上します。


しかし、1qほど進んでも、特に遺構を見つけられませんでした。

大正時代に早々と廃止されたので、見つけられないのは当然と自分に言い聞かして、引き返しました。トホホ…。

大正時代には、杉の大材をここ相乗沢から碇ヶ関駅前の貯木場まで1日2回手押しで運搬していたそうです。


      湯ノ沢林道

湯ノ沢林道は碇ヶ関林道より歴史が古く、明治40年頃に開設されました。しかし、軌道が敷設されていた期間が短く、明治45年には車道化されました。

国道7号を右折して湯ノ沢沿いに進みます。写真中央の国道との分岐点には、「湯の沢温泉郷」の案内看板がありますが、かつて3件あった温泉宿は2013年頃までに廃業となってしまいました。


軌道は湯ノ沢沿いに進みますが、昔の地図に記載がないのでどこを通っていたかは不明です。

何のへんてつもない舗装道路は、この先しばらく湯ノ沢左岸を進みますが、昔の航空写真を見ると、右岸に渡っている箇所もあるので、何か遺構があるかもしれません。


早速、湯ノ沢にかかる橋?トンネル?を発見しましたが、軌道跡とは関係なさそうです。

しかし、何のためのものかは謎です。


先に進むと、道路から外れた所に橋がありました。車道用の橋のようで、軌道跡では無さそうです。


橋に近づき橋桁を観察すると、古軌条を使用していました。そんなにボロくなっていないので、明治時代に取り外した軌条ではなさそうです。


さらに先にも橋がありました。先ほどの橋よりも頑丈そうで、こちらも軌道跡ではなさそうです。

この付近には奥羽本線の矢立トンネル建設用斜坑があるので、その斜坑に続く橋跡と思われます。

矢立トンネル建設用斜坑については、ヨッキれん氏の「山さいがねが(湯ノ沢の謎の穴)」をご覧ください。


さらに近くには、橋台?橋脚?のみ残されている橋跡がありました。

これが一番軌道の遺構の可能性が高い感じがします。何となく他の地区で見た橋台と似ているような気がします。


横から撮影しました。よく見ると、上部と下部に分かれています。 川の中には、橋脚のような木片がありましたが、関係ないかな?

川の水が濁っているのが分かるかと思いますが、温泉臭くでゲホゲホでした。


林道の終点と思われる湯ノ沢温泉付近です。結局決定的な遺構を見つけられませんでした。

調査を行った2010年頃は、まだ営業している温泉宿もありました。


旧碇ヶ関林道、湯ノ沢林道ともに、明治〜大正と早い時期に廃止されましたが、その要因について調べたところ、以下のようなことが分かりました。

碇ヶ関事業区施業案説明書によると、新たな施業場所の候補として、近くの折橋沢流域が挙げられていました。折橋沢流域は傾斜が少なく、路面の開発も容易であったが、相乗沢線(旧碇ヶ関林道)や湯ノ沢線の軌条を移して折橋沢林道を敷設すれば、より投資を少なくできるとのことで、具体的な計画も立てられていたとこのとです。

実際に軌条を取り外して折橋沢林道に敷設したかは不明ですが、伐採が進み施業場所が移っていったことが、両林道の早い時期の廃止に関わっているかと思われます。

なお、折橋沢林道は、大正13年に敷設されました。別の機会にレポートする予定です。


廃止が早かったので軌道の面影をほとんど見つけられませんでした。遺構としては、奥羽本線脇の石垣の橋台が怪しいですが、確信はありません。もしそうならば、津軽森林鉄道の遺構と並んで明治時代に作られた貴重な遺構であると思います。

追良瀬川林道のレポートでも紹介しましたが、ウェーダーで平川を渡るときにフェルトが外れ、プカプカ流されて追いかける羽目になってしまいました…トホホ…。


( 線名 地図 )