(2016.6.4公開) |
今別地区の林道 三厩湾を起点とした3つの林道について紹介します。 @ 黒崎沢林道 A 長川林道 B 与茂内林道 |
|
この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。 |
黒崎沢林道 黒崎沢林道は、浜名地域の海岸付近が起点ですが、軌道跡がどこかは分かりませんでした。 |
|
この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。 |
海岸を撮影しました。 当時は海から木材の搬出が行われていたと思われます。 |
海岸から進むと、すぐにJR津軽線をくぐります。近くの小屋には軌条が立てかけられていました。 |
国道280号バイパスを越え、山林の中を進みます。 何のへんてつもない林道ですが、通っている場所は次の写真をご覧ください。 |
林道は、青函トンネル入口の真上を通っています。新幹線と軌道跡のコラボ?です。 手前に見えているのは「青函トンネル入口広場」です。撮影は2013年ですが、現在は新幹線開業に伴って展望台や神社が整備されているようです。 |
しかし、その先には特に遺構を見つけることができませんでした。 調査時期が初夏だったので、秋以降に行けば何か見つかるかもしれません。 |
長川林道 (ちょうかわりんどう) 長川林道は津軽浜名駅の北側が起点になっています。 しかし、2003年の調査では、どこが起点なのかは分かりませんでした。今探せば何か分かるかもしれません。 |
|
この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。 |
長川林道は、津軽線を渡って進みます。 津軽浜名駅近くの踏切から今別方面を見ると、軌道跡の橋が架かっているのが見えます。 |
(津軽浜名側) |
(今別側) |
|
近づいてみると、プレートガーダーがしっかりと残っているのがわかります。 2003年に訪問した時は大興奮でしたが、今見てみると、ちょっと立派すぎて、あまりそう感じません。 なお、現在は使用されていないので渡ることはできません。 |
林道は、国道280号を越えて、山を目指して進みます。 |
現林道は途中から高度を上げて進むので、軌道跡を探すため、例によって川沿いを歩いていくと、右岸に怪しい空間を発見しました。 |
対岸に上がってみると、軌道跡?らしき空間がありました。 |
長川を遡上して撮影しました。 対岸にはっきりと見える一筋の軌跡が美しいです。 |
しかし、しばらく進むと軌道跡らしき路盤にコンクリートブロック補強が見られました。ちょっと違和感があります。 地図を見ると、林道とは別に水田からの延長の道がここに続いているので、後から補強されたのかもしれません。 |
調査は5月中旬でしたが、すでに地表をシダ等の植物が覆っています。調査はやはり5月の連休までか、秋の11月がベストです。 軌道跡を途中から見失ったので、あきらめて引き返しました。 |
与茂内林道 (よもないりんどう) |
与茂内林道は、今別の市街地から北東に約4q、他の林道からちょっと離れた位置にあります。 この林道にはインクラインがあったそうなので、ちょっと期待して調査しました。 |
この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。 |
起点から海方向を撮影しました。ここでは遺構を見つけられませんでした。 | 与茂内川の河口が起点です。かつては、河口左岸に土場があったそうです。 |
起点近くに、軌条が立てかけてありました。 黒崎沢林道でも同じように軌条がありましたが、皆さん何に活用しているのでしょうか? まっ、とにかく残されているのが嬉しいです。 |
林道は与茂内川に沿って進みます。川には軌条が落ちていました。 |
起点から約1.7qの地点で与茂内川を渡ります。 現林道は、橋の手前で少し登り坂となっており、怪しい感じがします。そこで周囲を見回すと…。 |
軌道跡と思われる崩れかけたコンクリート橋台が残されていました。 2003年に来たときには、見つけられませんでした。夏だったからかな? |
対岸の笹藪が続きの軌道跡と思われますが、対岸には橋台は見あたりませんでした。 |
橋跡の先に少し進むと、短い区間ですが石垣が残っていました。 |
続いて小さな滝(写真取り忘れた…)を越えて再び与茂内川を渡ります。 川にはコンクリート土台らしきものがありましたが、遺構ではないかな? この滝の付近は急斜面で、乗り下げ運材時には危険を伴い、空車の山上げ時には車輪が空転し苦労したそうです。 |
しばらくは川面とほぼ同じ高度で進みますが、途中でいくつかの堰があり、軌道跡がどこかは分かりませんでした。 |
現林道は次第に高度を上げて進み、川面が見えなくなりました。 川まで降りられそうな箇所を探し、与六沢との合流点まで降りてみました。軌道跡らしき空間は見られましたが、遺構を見つかることができませんでした。 |
結局、期待していたインクライン跡はどこかわかりませんでした。 その後、調べてみると、最後に撮影した与六沢の合流地点から800mほど上流の桂沢(かつて、そま夫小屋があった)までの間にインクラインが設置されていた可能性があるとのこと。 既に遺構は無くなっているかもしれませんが、調査やり直しか…トホホ。 |