(2023.7.9 公開) 
 津軽森林鉄道  鹿ノ子支線
   (電子地形図(国土地理院)を加工して作成)

鹿ノ子支線は昭和12年に開設、昭和36年に廃止され、現在の県道2号が軌道跡となっています。

軌道跡が県道になったいきさつについて、「わがふるさと4」(船水清 著)に次のように記載されています。(カッコ内は追記)

終戦後、(旧)金木町の惣右衛門沢、味噌ヶ沢、獅子ヶ沢に開拓団がはいり、開墾をはじめた。これらの開拓部落は物資の輸送を全部青森営林局の森林鉄道(鹿ノ子支線)に依存し、生産物を町に出すにも、肥料や生活必需品を運ぶにもこれを利用するわけだ。ところがこの付近の事業を終えた営林局では昭和三十年ごろ軌道を取りはずすことになった。山中に深く食い込んでいるこの軌道をはずされては、開拓部落にとって大打撃だ。そこで(旧)金木町は農林省に働きかけて三十三年から三カ年計画で開拓道路をつくる許可をとった。そして営林局の軌道取りはずしを延期してもらい、その間に架橋工事などをどんどんやってしまおうという計画をたてた。だが、これだけでは単に開拓地へ通じるだけの行き止まりの道路なので、やるなら多年の念願である青森(内真部)までの直通道路にしようということになり、計画を練り直して陳情をつづけた。そしてついに山越え道路が本決りとなった。 

地図上には開拓部落の大まかな位置も記載しましたが、現在は見られません。

軌道跡がそのまま県道になっているので現地調査はしやすかったのですが、遺構はたいしたものは見つけらず、ショボいレポートとなっています。

現地調査は2003年から行い、その後写真を撮り直したりしましたが、現状はちょっと違っているかもしれません。


県道2号の内真部方向を撮影しました。
ここが鹿ノ子支線の起点、喜良市支線との分岐点です。

喜良市支線は県道2号を右から左へ横切っており、鹿ノ子支線は県道を直進します。


しばらく進むと、右手に鹿の子ため池が見えてきます。

鹿の子ため池は昭和16年に竣工しており、太宰治の小説「津軽」にも登場します。小説の中では、森林鉄道の軌道敷を歩いて鹿の子ため池まで来たことが記載されています。


鹿の子ため池の手前に橋があり、下をのぞき込むと当時の橋台跡らしきものが残されていました。

手前の橋台跡には木が生えており、廃止からの年月を感じさせます。


軌道跡はこのままずっと県道を進んでいますが、遺構はショボい橋跡らしきものしか見つけられませんでした。

この後の写真からは、終点までに通るいくつかの橋の下を撮影したものになります。


相生橋です。橋台には石積が残されていましたが、これは軌道跡とは関係あるのかな?


 
一の渡橋です。現在の橋の下には、橋脚が残されていました。  


鹿の子ため池の上流には耕作放棄された水田が見られます。

この辺りにはかつては味噌ヶ沢開拓部落があったのでその名残かと思われます。



(2003年)
 
(2022年)
蒲ヶ沢橋です。2003年にはしっかりとした橋脚が残されていましたが、2022年時点では根元の部分から切り落とされた跡しか残っていません。  


 
終点近くの、かといし橋です。ボロボロの橋脚が寂しく残されていました。


見つけられた遺構は少なかったですが、森林鉄道の調査を始めた2003年当時は1つ1つの発見に喜んだものでした。
初心にかえってもう少し頑張ろうかな…。(と思ったが、行けそうなところは調査済みなので、残りは危険な山奥ばかり…。)


( 線名 地図 )