(2014.2.9公開) (2014.4.27一部修正) |
津軽森林鉄道 喜良市川支線 その2 相ノ股支線 |
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喜良市川支線は、いったん相野股沢の上流をヘアピンのように進み、その後、母沢(金木川)上流へ進みます。 ちょっとへんてこな線形です。単純に母沢上流を目指せばよいものの、この区間は一体どうなっているのでしょうか。 初めての調査は2003年で、その後数回現地を訪問しています。 |
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この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平24情使、 第823号) |
今回レポートのスタート地点である、現林道が相野股沢を渡る地点です。直進すれば母沢へ、橋の手前を左折すると相野股沢上流へと進みます。 現林道は、相野股沢を迂回しないで普通に渡っていますが、軌道はどこを通っていたのでしょうか。 調査の結果、軌道は橋の下を通り、相野股沢上流方向へヘアピンのように進み、高度を上げて橋の上方を通っていたことがわかりました。 (※ カーソルを合わせると軌道跡を示します。) ちなみに、2003年の調査当初は、軌道もこのまま直進すれば良かったのでは?と思っていました。 |
例によって調査方向がごちゃごちゃしていますので、左の地図のように①~⑦に分けてレポートしていきます。 | |
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平24情使、 第823号) |
① 橋から下流の起点方向 橋の手前から川へ降りてみると、軌道跡の橋脚らしきものがありました。 右後方には現林道の橋が見えています。 |
川に入り、少し離れて撮影しました。 この箇所は桟道になっていたようで、橋脚が数カ所に見られました。 |
橋脚は結構大きく、他と比べると長かったような感じがします。 | 下流方向を見ると、こちらにも橋脚跡が見られました。 軌道跡がこの先に続いています。 |
下流方向へ少し進むと、軌道跡は堀割になっており、まだ進めそうな雰囲気です。 | しかし、すぐに斜面が崩れており、軌道跡が分からなくなりました。 |
下流方向を撮影しました。 右岸に軌道が通っていたと思われますが、この先はちょっと水深が深い所があったので、進むのはあきらめました。 |
② 相野股沢上流方向 橋の手前を左折すると、すぐに現林道の入口になります。 軌道は林道より下(写真右下方向)を通っていたようです。 |
川原では、軌道跡は見つけられませんでしたが、軌条が残されていました。 |
林道は相野股沢からどんどん高度をとって進んでいきます。 途中で堰を越えていきます。軌道跡はそれほど高度を上げずに、この写真の下方を通っています。上流部分の軌道跡は堰によってたまった土砂に埋まっていると考えられます。 |
林道はさらに高度を上げ、相野股沢との距離が離れていきます。 川をのぞき込むと、対岸の軌道跡は何となく分かりますが、こちら側の軌道跡を見つけられません。 川へ降りて確認したいのですが、崖のようになっており、降りるのは危険です。 |
林道を進むと作業事務所らしき建物がありました。 建物の裏にあるわき水をちょっと飲んで休憩です。 何とか軌道跡が見えないか付近をウロウロしていると、この少し先に川方向へ降りる道を発見しました。 早速降りて軌道跡の調査再開です。 |
③ 折り返し地点 林道から相野股沢へ降りる道は急斜面で、途中でコケながら下りました(コケて腕時計の部品を紛失した…トホホ)。 下った所にいきなり橋台と橋脚が現れ、びっくりです。 |
川に入って、下流から撮影しました。右側に橋台が見えています。 (※カーソルを合わせると2012年の写真を表示します。) 相野股沢を渡ると、軌道は進行方向を下流方向(写真右方向)へ変え、左岸沿いに進みます。 コンクリートが周りの風景とマッチしていないので、1人ぽっちで寂しそうな感じでした。 |
2012年に撮影した橋脚と左岸の橋台です。橋台はよく見かけるものと同じですが、丸みを帯びている橋脚は初めて見ました。(…後で確認したら常家戸沢支線でも見ていました…) |
先ほど降りてきた右岸方向を撮影しました。 右岸にもコンクリートの橋台を確認することができます。 |
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橋の右岸部分を上流から撮影しました。 コンクリート橋台は写真左に見えており、中央から右にかけて見えている構築物が、かつての橋台などであったのでは?と予想しました。 (※カーソルを合わせると、写真の説明を表示します。) ただし、コンクリート橋台を守るために後から作られた構築物であることも考えられます。 |
左岸の相ノ股支線との分岐付近です。 相ノ股支線は少し高い位置にあり、緩い坂で接続しているように見えます。しかし、緩いといっても軌道にしては運行上ちょっと辛そうな感じがするので、違うかな? (※カーソルを合わせると、軌道跡を示します。) もしかするともっと下流方向で接続していたのかもしれません。 |
上記写真の上流方向は空間があり、その先は堀割になっていました。ここが設置当初の軌道跡(スイッチバック)かな?と思っていますが…。 と、ここまでレポートを書いてきましたが、現地のことをあまり思い出せず、ちょっと自信がないです。 うーむ、わからん。 |
④ 起点方向(右岸)の軌道跡 相野股沢の下流方向に戻りますが、まずは右岸沿いに、軌道の起点方向を調査しました。 軌道跡は堀割で結構しっかり残っています。 |
軌道跡は川原より少し高い位置に続いていました。シダが生えている箇所でわかりやすくなっています。 |
余裕かと思っていたのですが、途中から軌道跡を見失いました。 川の深さは浅いように見えますが、一部に枯葉が堆積している箇所(例えば写真左側)があり、ズブズブッと1mくらい沈んでビビりました。 |
さらに進むと、怪しい空間がありました。 これが軌道跡と思ったのですが、この先はすぐ堰があり、落差をクリアできません。 堰により土砂等がたまり、軌道跡は地中に埋まってしまったのではないでしょうか。 見方によっては、軌道跡の堀割に土砂がたまったようにも見えます。 |
⑤ 終点方向(左岸)の軌道跡 続いて左岸の調査です。 軌道跡を保護する木製の擁壁の一部が残されていました。 |
軌道跡に上がってみると、犬釘がついたままの枕木が残されていました。 |
道床が盛り上がっており、軌道跡はすぐに分かりました。 | そして、川沿いに順調に進むことができました。 |
川から崩れている軌道跡を撮影しました。軌道跡に上がってみると、橋脚のようなものが残されていたことから、ここは桟道のようにして通っていたのかもしれません。 |
しばらく進んで振り返ってみると、軌道跡の描く美しいカーブが見られました。 いい感じで、見とれてしまう風景です。 |
徐々に高度を上げながら進んでいきます。 堀割で軌道跡もはっきりしており、まだどんどん進めそうです。 |
またしても枕木が残されていました。写真ではわかりにくいですが、ここの枕木は、なぜか今まで見てきたものより長く大きいものでした。 |
再び崩れている箇所がありました。 こちらもちょっとわかりにくいですが、桟道になっていたらしく、橋脚跡がいくつか見られます。 |
どのくらいの高さになっているかを確認するため、川原から軌道跡を撮影しました。 軌道跡は、結構な高さに位置していることが分かります。 |
軌道跡がはっきりと続き、どんどん進むことができ、堰まで来ることができました。しかし、崖が崩れており、この先は進めなさそうです | 相野股沢を見下ろすと、先ほどの堰が見えました。 |
撮影時期は違いますが、先ほどの写真で現在地を確認すると、黄色の箇所になります。 水面までの高さは落ちてもなんとか我慢?できますが、堰の下までとなると結構な高さがあり、ちょっと怖いです。 調査中に、対岸をたまたま通りかかった車が止まり、しばらくこちらを眺めていました。 雪が降る中でアホだなぁ~、とでも思っていたのかもしれません。 |
⑥ 現林道から堰方向への調査 現林道の橋で相野股沢を越えると、緩やかな坂になります。 しばらく進んで振り返ると、軌道跡が右上部に見えてきます。 |
登ってみると、軌道跡らしい空間があります。 電柱?ただの木?に引っかかっている碍子が写真中央に見えています。 (※カーソルを合わせると、拡大写真を示します。) |
軌道跡が途中で崩れている箇所もありましたが、何とか進むことができます。 途中で何カ所かに枕木が残されていました。 |
続いて、「警笛鳴らせ」の看板が落ちていました。 これは自動車道用の看板と思いますが、軌道廃止後ここを自動車道として活用した時期があったのでしょうか。 今まで通ってきた軌道跡を見ると、路肩が弱かったり、枕木などが残っているなど、自動車道として使用されていたかちょっと疑問です。 軌道時代の機関車用として看板を設置していたのかな? |
写真左下方は相野股沢なのですが、木々がじゃまで水面が見えず、どのくらいの高さなのか分かりません。 桟道?の橋脚のような跡が残されていました。 |
さらに進むと、いきなり軌道跡に結構な大きさの橋桁のようなものが横たわっていました。 この区間にはいろいろな物が落ちていてワクワクします。 ここは特に沢がある場所ではなかったので、どこからか取り外した橋桁をここに置いたようです。 |
その先には、桟道の橋脚跡や橋桁の金具らしきものが落ちていました。 先ほどの橋桁はここのものだったのかな? |
橋桁が架かった状態で残されている箇所もあります。 橋桁の上に草が生えていてプランターのようになっていました。 |
路盤がかなり崩れている箇所があり、草や木につかまりながら進みました。 落ちても何とか平気そうでしたが、ちょっと怖いです。 |
斜面をクリアし、路盤もスッキリとして進みやすくなったと思ったら、すぐに堰の手前の崖崩れ地点で進めなくなりました。 左奥にうっすらと堰のコンクリートが見えています。 |
⑦ 相ノ股支線 喜良市川支線から分岐し、緩い坂を上り、振り返って撮影しました。 右側へ下っていくと分岐地点です。 左も軌道跡で、この先は行き止まりのような感じでしたが、もしかすると、こちらから喜良市川支線に接続していたかもしれません。 |
上流方向へ進むと、軌道跡ははっきりと残っており、進めそうな雰囲気だったのですが…。 |
しかし、すぐに新たな堰が現れ、先に進めなくなりました。 この先の調査は現林道を通り、回り込んで行うことにしました。 |
林道脇の崖に軌条を見つけました。 崖下の相野股沢を撮影しましたが、遙か下方のため軌道跡はおろか川もどこだか分かりません。 |
林道を進み、支流を下って相野股沢へ合流し、軌道跡を見つけました。 まずは下流方向へ進みました。 |
軌道跡は川岸の崖にへばりつくように続いていますが、特に遺構を見つけられなかったのですぐに引き返しました。 |
上流方向にも進んでみると、軌道跡が続いていましたが、こちらも特に何も無さそうな雰囲気だったので途中で引き返しました。 |
遺構が結構残されており、まずまずの調査だったと思います。しかし、スイッチバックの部分がちょっと判然としませんでした。もっと現場をよく見ておけば良かったと後悔しています。 秋に調査したとき、家に帰ると、腕などが数日間かゆくなりました。何かに刺されたか、と思っていましたが、どうやら急斜面を渡るときにウルシか何かを掴んだため、かぶれたようでした。軍手しとけばよかった…トホホ…。 |
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( 線名 地図 )