(2007.5.6公開)
   津軽森林鉄道
    木違沢線

キチガイ…ってワイのことか?

この支線は途中(地図の2つ目の木橋跡付近)までしか調査していませんが、見応えがある?と自分では思っています。

初調査は2003年6月、その後数回追加調査をしています。
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第120号)


木違沢支線は、国土地理院の地図によると喜良市川支線から分岐しています。

しかし、いくら探しても見つけることができず、あきらめていたところ、常家戸支線で怪しげな箇所を発見しました。

左が木違沢支線で、右が常家戸支線です。

地図が間違っていたのでしょうか、それとも軌道の付け替えがあったのでしょうか?


分岐から少し進んだ箇所に、小さな木橋を見つけました。

橋桁はすでに壊れていましたが、うれしい発見でした。


その先は常家戸沢で、3〜4メートルくらい?の高さがあり、対岸までどのように進んでいたのか?するとそこには…。

衝撃的でした。橋脚が立っていました。

ここから降りて行くにはちょっと危なかったので起点方向に戻り、母沢からまわっていくこととしました。


まわり込んで常家戸沢を進み、橋脚を撮影しました。

この周囲は広い河原となっており、そこに橋脚が立っていました。

この部分だけ見ると、ぽつんと1つだけ橋脚が立っており、異様な風景です。

対岸まで10〜15m位(距離感覚があまりないので違っているかも…)あるので、他にも橋脚があったと思われます。


写真は2003年7月に行った調査の時のものです。

近くで見ると、やっぱりすごい。他の森林鉄道の遺構に比べたら小さいと思いますが、感激です。廃止から今まで倒れずに立ち続けていたことに感動です。

しかし、前の写真(2006年)では、一番上の梁の部分が無いことから、年々劣化が進んでいると思われます。


常家戸沢にレールが落ちているのも発見しました(分かりにくいですが、写真中央に縦に見えます)。


対岸は崩れたような斜面になっており、歩いて登れました。

そこには橋桁の残骸がありました。

太いものから細いものまであり、橋桁だけでなく橋脚の残骸も混じっているかもしれません。


対岸に登って振り返って撮影しました。

こちら側の方がいくらか高い位置にあるような気がします。

橋が架かっている所を見たかったなぁ…いつ頃壊れてしまったのでしょうか。


この先も軌道跡は続いていました。写真は2003年7月に調査した時のもので、当時はこの先に進まず引き返しました。


2006年5月に再び訪れました。春なのでまだ草が繁茂しておらず、軌道跡ははっきりと見えます。


軌道跡は笹が生えている箇所もあれば、右の写真のように何もなくはっきりと分かる箇所もあります。しかし夏は草が繁茂しそうな感じで、調査は大変そうです。


小さな沢?くぼみ?を渡る箇所には、桁の跡が見られました。

この先にも何か遺構があるかと期待できます。


道床には石がゴロゴロとしていました。

森林鉄道におけるバラストは、付近の河原から採ってきて利用するという記録もあるので、もしかするとその跡かもしれません。


その先にも2つ小さな橋桁がありました。

このような橋桁が残っているのは、軌道撤去後は歩道としてとして利用されていたため、沢を渡る時、歩きやすいようにわざと残してあったということでしょうか?ちなみに枕木はボロボロに腐って土と同化したものはありましたが、もしかすると撤去されていたのかもしれません。

橋桁は壊れたり腐ったりしているほか、沢も土砂で埋まっている箇所もあり、もはやその役目を終えていました。

この先、軌道跡は木違沢沿いに進んで行きます。地図では木違沢の川の記載はないのですが、絶対にあるはずなので、そこを渡る橋もあると思い期待して進みました。

すると…あった?…のですが、既に壊れていました。遅かったか…トホホ。


3つの橋脚がなんとか頑張って立っていました。

橋桁は無惨に落ちており、残念です。

橋脚をよく見ると、下部が腐って無くなっている所もあります。

この遺構ももうすぐ無くなってしまいそうです。


対岸を撮影しました。橋桁が散乱しています。

先ほどの橋跡同様、こちらの橋も残っていればなぁ…。


対岸にわたって振り返って撮影しました。

こちらの橋ももっと橋脚があったと思われます。


もう少し進んで振り返って撮影しました。左側が橋跡です。

右側にも道らしきものがあり、木違沢沿いに母沢まで続いているようです。

一番はじめにも記載したように、国土地理院の地図では、今まで紹介してきた箇所には軌道が記載されておらず、常家戸沢との分岐点より200〜300m先の喜良市川支線から分岐し母沢を渡る記載がありました。

この右側の道もあやしいので確認する必要があったのですが、調査しませんでした…トホホ。

一方、上流方向には軌道跡がまだ続いています。

進みやすい軌道跡なので、少し進んでみました。



またしても小さな沢を越える橋桁跡がありました。

この先にもまだまだ何かありそうですが、何となく危険そうな気がしたのでやめました。

小心者なので、春先に冬眠から目が覚めたクマにあったらどうしよう…とか、車や自転車から離れ徒歩だけでは不安…などでビビっていました。


と、いうわけで、それなりの収穫はあったものの、途中で調査をうち切りました。

喜良市川支線や常家戸沢線なども含め、この辺りにはまだ探せば遺構がありそうな気がします。しかし、前述のように小心者のため、中途半端な調査で終わっています。納得のいく調査をしたいと思っていますが、いつになることやら…トホホ…。   

木違沢線(その2)へ

( 線名 地図 )