(2006.12.24公開) (2009.10.17一部追記) |
増川北部の林道 津軽森林鉄道から離れた津軽半島の北部にも森林軌道が存在していました。搬出された木材は、おそらく船により青森の貯木場まで運ばれていたと思われます。 調査は2003年の夏に行いましたが、遺構はほとんどありませんでした。木橋などのすごい遺構を期待している人はごめんなさい…トホホ。 なお、軌道の開設時期は算用師林道が大正15年、藤島林道が昭和3年、宇鉄林道が昭和6年、三厩沢林道は昭和8年となっています。 |
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この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第404号) |
A 宇鉄(うてつ)林道 起点は海岸付近なのですが、詳細な場所は分からず、写真も撮ってません。 写真は 海岸から少し山側を通っている「あじさいロード」から山へと続く川沿いの軌道跡を撮影しました。 |
途中には軌条を利用した柵?柱?がありました。 調査をしていると結構いろんな箇所で見られ、おなじみの光景です。 ただし、この軌条がこの林道で利用されていたかどうかは分かりませんが…。 |
林道はさらに続いていましたが、車で進むのが大変そうです。何もなさそうなので引き返しました。 |
B 藤島林道 藤島林道の起点は、地図を見れば分かるように海岸沿いに曲がっています。 軌道があったと思われる箇所には、現在は家があり、あまりウロウロするのは怪しまれるので詳しくは調査しませんでした。 写真は海岸から少し離れた箇所で藤島川にかかる橋です。橋の下に何かあります。 |
コンクリートで固められた土台に、木の橋脚の跡が見られます。 軌道時代のものなのか、その後に作られたものなのか…? |
軌道は集落の中を通っていたようですが、証拠となるものは見つけられませんでした。 |
軌道は青函トンネルの真上付近まであったようでしたが、例によって何も見つけられず、途中で引き返しました。 |
C 算用師(さんようし)林道 海岸近くの起点付近を撮影しました。 写真中央の道路の左側に「みちのく松蔭道入口」の道標があります。軌道跡を進んでいけば、松蔭道の入口にたどり着けます。 |
あじさいロードから起点方向を撮影しました。 遠くに海が見えます。 |
林道をどんどん進み、遺構を探しましたが見つけられませんでした。 写真はみちのく松蔭道との分岐点で、左に小さく見える林道に軌道は進んでいましたが、その先も遺構を見つけられませんでした。 ちなみに、みちのく松蔭道を進むと、片刈石沢林道を経て小泊方面に行くことができます。 |
何か遺構はないかと探したところ、あじさいロード付近の資材置き場(写真左)と、海岸の船着き場(写真右の機械の左側)に軌条を発見しました。これくらいしか見つけられませんでした。 |
D 三厩沢林道 写真は増川貯木場を過ぎた辺りで、民家の中を進んでいます。 |
あじさいロードを交差する地点から起点方向を撮影しました。写真の正面辺りを軌道は通っていたと思われます。 |
林道を進んでみましたが、遺構を見つけることができませんでした。ガックシ。 机上調査の結果、三厩沢軌道の新設工事では、くい打ち馬を利用していたことが分かりました。この地域は漁業が忙しいほか、農業や家事も行う必要があるため、女人夫も雇うことができなず、馬を利用したとのことです。 |
なお、鐇泊川(まさかりどまり)沿いにあった鐇止(沢)林道は現地調査を行っていませんが、机上調査で以下のことが判りました。 昭和12年の管内図には、軌道の記載があったのですが、「昭和14年度 増川事業区説明書」(青森営林局)では、運搬計画としての記載がありました(昭和12年の管内図は予定線を記載してあった可能性があります)。 「増川経営区第8次経営案説明書」(昭和32年2月 青森営林局増川営林署)には、計画として「新設 森鉄2級 鐇止林道 1,210m」の記載がありました。「管内概要 昭和34年」(増川営林署)には昭和32年度に林道1,200m(軌道かどうかは不明)の新設の記載や、運搬系統図の鐇止林道に軌道のようなマークと、その横に「1.2(q?)」の記載がありました。 以上のことより、もしかすると昭和30年代に軌道が存在したかもしれません。 |
…ということで、ほとんど遺構を発見できませんでした。 時間がなかったことに加え、夏で草木が繁茂しており、きちんと確認できず、ぞんざいな調査となってしまいました。やっぱり雪解け後や降雪前にじっくり調査することが大事と痛感しました(ちゃんと調査しても遺構を見つけられなかったことは数多くあるけど…トホホ…)。 |