(2017.10.1 公開)
             青森県西部の林道

青森県西部に存在していた林道についてまとめて報告します。

2004年の初回調査では遺構をほとんど見つけられなかったので、再調査で何か発見できればと思っていたのですが、なかなか調査する機会がないので、とりあえず今までの結果を紹介します。


     赤石川林道

赤石川林道は、赤石川流域に広がるブナなどの広葉樹運材のために大正時代に計画された林道です。

当時の新聞や営林局統計書などを調べたところ、昭和12年にようやく工事が行われ、13年度に竣工したようです。

2004年、2013年に現地調査を行いましたが、特に遺構を見つけられませんでした。
この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。


JR陸奥赤石駅付近から、赤石川上流の「くろくまの滝」入口を目指して県道191号を進みます。


赤石川林道の起点は、かつて大然(おおじかり)付近にあった上大谷貯木場付近です。写真の右側付近と思われます。

資材置き場となっているらしく、入ることはできませんでしたが、外から見た感じでは特に遺構はなさそうです。


しばらく進むと、町道「赤石渓流線」となります。舗装されていますが道が狭くなります。この路肩は…遺構では無さそうです。 なお、赤石渓流線は、平成27年2月に発生した土砂崩れのため、平成29年9月現在通行止めとなっています。


くろくまの滝入口の駐車場に到着しました。結局、ここまで遺構を見つけられませんでした。

ここには、「青森県砂防発祥の地」の石碑があり、赤石川の自然や砂防施設の必要性などが記載されています。この地域は崩壊地や地滑りが多く、昭和20年3月、雪崩や土砂崩れによって赤石川がせき止められ、それが決壊し大然集落を襲い、88名の死者が出たとのことです。

机上調査で見つけた「第四次検訂 鰺ヶ沢事業区施業案説明書(昭和22年3月)」に「軌条、枕木撤去済み、路床損傷著し」との記載があり、昭和20年の赤石川決壊と関係ありそうです。

その後、軌道を再設置したようですが、昭和39年ごろに軌道を撤去し、自動車道として林道の拡幅改良を行ったとのことです。 


駐車場の先は未舗装の道となりますが、県道28号(白神ライン)に接続し、西目屋村(弘前方面)や深浦町に抜けることができます。

しばらく進んでみましたが、やっぱり遺構を見つけられませんでした。


ちなみに、駐車場入口からくろくまの滝まで徒歩15分程で行くことができます。

現在は町道が土砂崩れのため通行止めですが、復旧しましたら訪れてみてはいかかでしょうか。


   笹内川林道

笹内川林道は、昭和元年に敷設されましたが当時は五能線が全通しておらず、林道の起点である岩崎には来ていませんでした。

将来、五能線の全通により、運材の効率化が図られることから、それに対応するため林道の延長が行われ、約12qほどになりました。

この林道は、運材以外にも利用がありました。現在はもうありませんが、途中に温泉(新湯、奥の湯)があり、湯治客が台車にむしろを敷いて便乗していたとのことです。
この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。


JR陸奥岩崎駅の南方向を撮影しました。

笹内川林道は、かつて駅の南にあった貯木場が起点でした。写真奥の建物(深浦町役場岩崎支所)のあたりと思われます。


県道28号(白神ライン)を東へ進みます。普通の道路です。

このまま県道を進めば、弘前や前述のくろくまの滝へ行くことができます。


笹内川を渡る仁陽橋です。県道から外れた箇所に遺構と思われる石垣橋台を発見しました。


橋の下部へ進んでみると、コンクリート橋台も残っていました。


県道は笹内川沿いに進みます。道路脇の斜面には、軌条を活用した柵が設置されていました。




続いて、赤滝橋です。こちらもよく見ると石垣の橋台が残されていました。


起点から約10qで県道から分岐し、未舗装の道となります。

この先は東北電力の敷地になるとの注意書きがあったので、引き返しました。


        津梅川林道
        (つばいがわりんどう)

この林道は青森県西部の南に位置しており、すぐそこは秋田県です。

調査は2004年7月に行いました。もう記憶が曖昧です。

一つだけ確実に覚えているのは、青森市から遠かった!ということです。
この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。


日本海側から津梅川上流方向を撮影しました。五能線をくぐって進みます。

この辺りが起点と思われますが、遺構を見つけることはできませんでした。


しばらく進むと普通の林道となります。

進行方向と垂直に敷かれていた軌道がありましたが、その他に遺構を見つけられませんでした。


現林道よりちょっと低い位置に怪しい空間がありました。軌道跡のような感じもしますが、判然としませんでした。


林道に戻り、その先にも少し進んでみましたが、結局、他に何も見つけられず引き返しました。


2004年に調査したときに、遺構が残っている可能性が何となく少なそうと感じてしまったため、その後の再調査のモチベーションが低く、それよりも未調査の地域へと足を運んでしまいました。

当時はちょっとやっつけ調査のような感じだったので、再度調査すれば何か見つかるかも…って負け惜しみかな?トホホ…

( 線名 地図 )