(2022.7.23 公開) |
(この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。) | 津軽森林鉄道 小田川支線 |
小田川支線は津軽森林鉄道本線開通の翌年、明治44年に開設され、本線廃止後の昭和44年に廃止されました。 津軽森林鉄道の終点である喜良市貯木場から小田川沿いに約10q進みます。 |
(電子地形図(国土地理院)を加工して作成) |
赤丸部分を拡大し、小田川支線の線形を示しました。赤線が小田川支線です。 途中には小田川ダムがあり、一部の軌道跡はダム湖の底になっています。 調査は約20年前の2003年から数回に分けて行いました。昔の調査なので現状は変わっているかもしれません。 |
(電子地形図(国土地理院)を加工して作成) |
まずは、喜良市貯木場から調査スタートです。 |
起点の喜良市貯木場から本線を西に進み、しばらくして南方向に分岐します。遠くに岩木山が見えています。 ここはデルタ線のようになっており、小田川支線から喜良市貯木場を経ないで金木貯木場や青森方面へ進むことができるようになっていたようです。 |
軌道跡は農道と水路になっており、水田の中を南へ進んでいます。 |
喜良市集落の南で、小田川林道の標識を見つけました。 「幅員3.6〜4.0m、延長5,235m」と記載されており、小田川支線とは異なっています。 |
集落を通過した後は、東へ方向を変えて小田川ダムへ進みます。しばらくは舗装された道となり、遺構は無さそうです。 |
小田川を数回渡りますが、いくつかの橋の下には、橋脚跡が残っていました。 |
(電子地形図(国土地理院)を加工して作成) |
軌道跡はしばらく現林道となって進みますが、一部軌道跡が現林道と異なる箇所があり、津軽森林鉄道ポートフォリオやかなぎ元気村のトレッキングでも紹介されている鉄橋跡が残されています。 |
2007年に訪れた時の写真です。鉄橋跡は現林道からでもチラッとは見ることが出来ますが、夏は確認が困難と思われます。 |
鉄橋の下から見上げると、橋桁の上に枕木などの木材を確認できました。 |
橋の下には旧橋跡と思われる木製橋脚や橋桁の残骸が残されていました。 |
2014年に再度訪問し、撮影しました。 11月下旬だったので、鉄橋をはっきりと撮影することができました。 |
鉄橋は健在でしたが、最初に撮影した2007年に比べると、枕木などは少なくなったように思えます。 橋の下の旧木橋の橋脚跡は残っていました。 |
橋を渡った先の起点方向では、小さな沢を渡っています。橋脚や橋桁などの遺構を見つけられませんでしたが、用途が分からないコンクリートの構築物が残されていました。 |
林道に戻ります。林道は、小田川から少しずつ高度を上げて進みます。途中の橋の下に橋脚跡や軌条を確認することができました。 |
途中で藤の滝を通ります。林道はこの滝を越えるために高度を上げて進んでいたようです。 なお、道路脇に藤の滝を見るためのスペースがあるのですが、滝を正面から見ることはできません。 |
藤の滝から先は、林道はさらに高度を上げて小田川ダム上部へ進みますが、軌道跡は、小田川沿いをそのまま進みます。 川には軌条や枕木が見られました。 |
軌道跡にはコンクリート擁壁のようなものが見られましたが、遺構かどうかは不明です。ダム建設時のものかもしれません。 この辺りでいったん引き返し、林道を進んで小田川ダムの上を目指します。 |
小田川ダムから先の地図です。 ダム湖には、かつて流れていた小田川も記載しました。 |
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(電子地形図(国土地理院)を加工して作成) |
@地点、小田川ダムです。このダムは津軽平野の水田への灌漑用水確保のため、昭和50年に竣工しました。 春は写真のように水位が高いため、ダム湖の底にある軌道跡を確認することできません。 この先はダム湖の東側の林道を進みます。2003年調査時は車で進むことができましたが、2014年調査時には途中で路肩が崩れて通行できなくなっていました。現在はどうなっているのかは不明です。 |
林道は多多良沢沿いに東に向かい、沢を渡った後、逆戻りしダムの正面に出ます。 A地点で撮影しました。時期が10月だったのでダムの水位はほとんど無く、湖底に何かの跡が見えていますが、軌道跡との関係は分かりません。軌道跡は堆積した土砂の下かもしれません。 |
ダム湖沿いの林道を進み、B地点に来ました。 曲師沢(まがしさわ)に架かる橋からダム湖方向を撮影しました。 橋の脇から降りて、軌道跡を探します。 |
C地点です。 ダム湖中央からダム方向(下流)を撮影しました。 ダム湖の水が無いので、かつての小田川が写真を横切るように現れていました。 小田川の向こうの、うっすらと黄緑色の草が生えている部分が軌道跡です。 |
近づいて撮影しました。架かっていたと想われる橋の橋脚根元部分を確認できました。 この先の下流でも小田川を渡っていたようでしたが、調査しませんでした。調査すれば良かったと後悔しています。 |
上流方向を撮影しました。この辺りが大曲師沢線との分岐点で、小田川支線は右方向、大曲師沢線は左へと進みます。 |
大量の犬釘が落ちていました。 軌道廃止後の軌条取り外し時に、まとめて置いていたものでしょう。泣けてきます。 |
軌道跡はやや盛り上がっていたり、切り通しになってどんどん進みます。 |
振り返ってダム方向を撮影しました。 土が見えている所までは、通常は水の中です。 カーソルを合わせると、場所は若干異なりますが、満水時の状況を表示します。 |
草が生えていない部分には、バラストのようなものが敷かれており、軌道跡が明確に分かりました。 |
小田川と大典沢との合流地点で、軌道跡は東(写真左方向)へと方向を変えて進みます。 | ちなみにまっすぐ進むと大典沢で、何かの資料ではこちらにも軌道があったとの記載がありましたが、確かではありません。一応進んでみると小田川の向こうの大典沢沿いには軌道跡のようなものが見えていました。なお、見えている橋は左写真のものとは別の橋です。 |
E地点を目指し、小田川支線跡を進みますが、だんだんヨシの勢いに負けて軌道跡が分からなくなってきました。 |
D地点付近です。小さな橋脚跡を経てちょっとずつ川原から高度を取って進みます。 この先を進むのはちょっと無理そうだったので、林道に戻って確認することにします。 |
林道に戻りE地点に来ました。 林道から少し外れた所に堀割を見つけましたので、ここからD地点方向に進みます。 |
その先は崖の上をギリギリで進んでいたようです。右写真で崖から出っ張っている木片は、確か枕木のようなものだったと思います。 |
対岸から軌道跡を撮影しました。左がD地点、橋が見えている所がE地点です。 崖の上部で色が変わっている箇所を軌道が通っていました。 |
E地点に戻り、惣次郎沢を渡ります。 橋の手前、写真の中央辺りに橋脚跡が見えます。 |
川岸にはレールのようなものが落ちていました。 |
左は5月の浸水時、右は11月に撮影しました。 浸水時には橋脚部分しか見えていませんが、下部にはコンクリート土台のようなものが見えます。 |
橋跡に近づいて撮影しました。コンクリートの土台がはっきりと確認できました。また、少し右にずれた所に橋脚が立っていたと思われる穴の跡やその隣にも橋脚が見られてました。掛け替え前の橋跡でしょうか? |
起点方向にも橋脚が残っていました。沢の真ん中にコンクリートの土台が倒れていることから、途中にも橋脚があったと思われます。 |
対岸から起点方向を撮影しました。 カーソルを合わせると浸水時の状態を表示します。 |
橋跡の先の上流方向にも軌道跡は続いていました。 この先は林道に戻って進みます。 |
林道をしばらく進むと、右手に軌道跡が確認できるようになりました。この先は林道と合流します。 |
しばらく林道を進み、終点手前に小屋が現れ、その手前は駐車できるスペースになっています。 直進せず、ここを右に進みます。 |
白い構築物の方に向かって、少し高くなっている怪しい笹藪を進みます。 |
橋桁が落ちかけていますが、木橋が残っていました。 2003年に撮影しました。5月の調査だったので、ちょっと葉っぱが邪魔でした。 |
同じ年の11月に再調査し、撮影しやすくなっていましたが、5月より崩れていたような感じでした。 |
さらに11年後の2014年に訪れましたが、残念ながら橋は崩壊し、橋脚とちぎれた橋桁が残っているだけでした。 |
小田川を渡った先は空間が開けており、このあたりが終点の猫右エ門貯木場と思われます。 |
貯木場跡から先は大川目沢を渡って進みます。橋脚跡とレールが残っていました。 この先は大川目線となって、さらに上流へと進みます。 |
調査がかなり前なので、思い出しながらのレポートでした。現在も遺構は残っているのでしょうか? レポートにも記載しましたが、2014年に訪れたところ、小田川ダムから先(多々良沢を渡る橋の先)は林道が崩れており、車では進めなくなっていました。 20年前は車で進むことができ、道端に可愛らしいリンドウが咲いており、くだらないダジャレを言いながら調査していたことを思い出しました…トホホ。 |
それと、オマケですが、 「地図・空中写真閲覧サービス」で、昭和37年当時の、喜良市周辺を走るゴマ粒のような運材列車をみることができますので、探してみてはいかがでしょうか。 (写真の中央付近です。) |