(2012.7.9公開) |
追良瀬川林道 (後編) 草木が枯れ、川の水量が少なくなるのを待ち、2011年11月18日に再度調査しました。 地図の四角部分が今回調査箇所です。 |
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この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平23情使、第705号) |
四角部分(上部)を拡大しました。 今回は歩く距離が長くなることや、日が短くなっていることなどを考慮し、時間に余裕のある調査日程を組みました。 朝5時に自宅出発、林道入り口に7時30分到着、ここから徒歩で調査し、13時までに再び林道入り口に戻ってくる予定としました。 また、今回の調査に備えて、オークションで激安中古ウェーダーを購入しました。 調査前に、別の川で試しにウェーダーを装着したところ、靴裏のフェルトが剥がれ、プカプカと流れていくハプニングがあり、コニシのG17で接着しなおしました。中古品を購入する方はシーズン前にチェックしておくことをお勧めします(…ってこんなことになるのはオレだけかー?)。 |
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この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平23情使、第705号) |
@スタート地点 6月より明らかに水量が少なくなっていました。これなら先に進むことができそうです。 さっそく中古ウェーダーを装着し、問題なく川を渡ることができました。 |
対岸から軌道跡を撮影しました。 春と違い草木が枯れており、軌道跡がはっきりと分かりました。 ウェーダーのおかげで川はクリア出来たのですが、川原の石に霜が降りており、ツルツル滑り、コケそうになりました。 |
再び川を渡りました。 調査の数日前に降雪があり、平地では解けていたのですが、やはり山中はまだ残っていました。 ここも、草木が枯れて見通しが良く、軌道跡がはっきりと分かりました。 |
レールの一本橋も健在でした。 前回調査に比べ緑が少なく、寂しげな風景になっていました。 |
A地点付近 レールが残っている地点に着きました。 ここから先は未調査だったのでドキドキです。 |
前回進むのをあきらめた地点から、対岸へ渡り軌道跡を撮影しました。 ウェーダーの威力は絶大で、難なく川を渡ることが出来ました。 |
再び軌道跡側へ戻りました。 笹が生えている部分が結構あり、路盤が分からなくなりちょっと不安でした。 |
しかし、すぐにレールがはっきりと分かる箇所を見つけ、ホッとしました。 |
レールは直接見えていませんが、よく見ると、盛り上がっている2筋の線がカーブを描いているのが分かります。 |
B地点付近 軌道跡が崩れて、先に進めなくなりましたが、ウェーダーを装着し、難なく対岸へ渡ることができました。 川を渡るたびに靴からウェーダーに履き替えていましたが、めんどくさいのでここからはウェーダー装着のまま進みました。 |
対岸へ渡ってから軌道跡を見ると、石垣で補強されていることが分かりました。 |
わずかな区間でしたが、こんな感じでなかなかよい風景でした。 |
再び対岸に戻り進みました。 レールは所々に残っており、枕木がむき出しになっている箇所もありました。 |
小さな沢を渡る箇所がありましたが、橋脚などの遺構を見つけることができませんでした。 流されたレールだけが残っていました。 |
まだ11月で降雪量が少ないので、林の中は雪がありませんでした。 |
しかし林の外は、だんだん雪が多くなっていました。 しかし、レールの部分は雪が解けて、わかりやすくなっています。 |
またしても路盤が崩れており、対岸に渡らなければ進めません。 |
川を渡りながら撮影しました。 川面に軌道跡が写り、いい感じの風景です。 |
路盤が崩れている箇所は、レールが宙ぶらりんになっていました。 |
軌道跡はまだまだ続きます。 雪には時々小動物の足跡が見られましたが、この辺りで今までとは明らかに大きさが違う足跡(手をグーにしたものよりやや大きめ)が見られました(ビビって写真撮らなかった)。 …クマなのか?まだ冬眠していないのでしょうか? |
レールがむき出しになっており、付近にはレールがバラバラに散乱していました。 先ほどのクマらしき足跡でちょっとビビっています。熊よけ鈴を持っていますが、それでも不安です。 |
レールは見えませんが軌道跡ははっきりと分かります。 周囲に誰もいない時は、よく歌をうたって熊よけしています。 うたう歌は、となりのトトロ「さんぽ」、カンタータ土の歌より「大地讃頌」、由紀さおり「手紙」などバラエティーに富んでいます(実は新しい歌を知らない)。 私のアホな声が周囲に響き渡ります。 |
C地点付近 いい感じの風景です。雪とレールのコントラストがはっきりしています。 トロッコがあれば乗って進んでいきたいです。 |
路盤がまたしても崩れており、対岸へ渡り軌道跡を撮影しました。 写真のように、一部は桟道になっていたようです。 |
小さな堀割のような箇所もありました。 この先、油子沢を渡るのですが、橋脚などの遺構を見つけることが出来ませんでした。 |
調査もいよいよ後半です。 レールが残っているのはとてもうれしいことなのですが、同じような写真が続くので、もう少し辛抱してください。 |
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この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平23情使、第705号) |
D地点付近 油子沢を渡った後、一瞬軌道跡を見失ってしまいました。 しかし、先に進むと桟道のようなものを発見しました。 |
一応レールが一番上にあるので、軌道跡の一部と考えられますが、どのような構造なのかよく分かりません。 |
少し先にも同様の構築物がありました。 崩れかけて斜めになっています。 |
横から撮影しました。 ただ材木を組んでいるだけに見えますが、この箇所もやはりレールが上にあり、桟道のようなものだったのでしょうか。 それとも軌道撤去後に枕木等を積みその上にレールを乗せておいただけとか? あまり考えていると時間が無くなるので、じっくり観察することなく先に進みました。 |
雪が少し多くなってきたようです。レールがうっすらと見えます。 | 軌道跡の傍らに取り外されたレールがまとめてありました。撤去して運び出す予定だったのでしょうか。 |
E地点付近 しばらく進むと軌道跡が判然としなくなりました。 地図上ではこの辺りで追良瀬川を渡る橋が架かっているはずなのですが、見つけられませんでした。 |
軌道跡をとうとう見失いました。 対岸に一筋のラインが見えます。軌道跡はすでに対岸へ移動しているようです。 |
対岸には平場が見え、軌道跡がはっきりと分かりました。 どこかで渡っていたかとと思われます。周囲に橋台や橋脚跡が無いかと探しましたが、見つけることができませんでした。 |
地図上に記載がある堰を撮影しました(パノラマ機能なしです…トホホ)。堰は半分壊れているようです。軌道跡は左岸(写真右側)を進んでいきます。 この辺りが水深が一番深く、お腹の辺りまで水がありました。しかしウェーダーのおかげで大丈夫でした。 |
探索場所を左岸に移し、進みました。 こちら側にも、雪の下にレールを見つけることが出来ました。 |
はっきりと軌道跡が分かり、歩きやすい状態でまだまだ先に進めそうです。 |
F地点付近 しばらく進むと、少し広い場所に出ました。 どうやらここが湯ノ沢支線との分岐点のようです。 左(直進)方向が追良瀬川林道、右方向が湯ノ沢支線です。 |
分岐点には転轍機が残されていました。 ヨッキれん氏からの情報で、転轍機が残っていることを知っていましたが、実物を見ると感動です。 |
ダルマ部分は、レールとの連動はしませんでしたが、ガッチャコン、ガッチャコン動かすことが出来ました。 |
湯ノ沢を渡る箇所には、残念ながら橋桁は残っていませんでした。 |
橋桁は残っていませんでしたが、石垣の橋台が残っていました。 |
追良瀬川から湯ノ沢方向を撮影しました。 左側は石垣の橋台が残っていますが、右側には橋台が見あたりませんでした。 |
こちらは湯ノ沢上流方向です。 湯ノ沢支線と思われるレールが見えています。 コンクリートの構築物がありますが軌道との関係は不明です。 |
下から撮影しました。レールだけがビヨーンと飛び出しています。 |
湯ノ沢の上流方向ですが、どこか軌道跡かわかりませんでした。 ヨッキれん氏の情報では、軌道跡は河床と同化しており、ほぼ痕跡がなかったとのことでしたので、湯ノ沢支線の調査を省略しました(楽してすみません)。 昔の地図をみると、上流に温泉マークがあったので、あわよくば足だけでも浸かろうと考えていましたが、そんな余裕はありませんでした。 |
本線に戻ります。 湯ノ沢を渡った先は築堤になっており、斜面にはレールが数本落ちていました。 |
少し進んで起点方向を撮影しました。築堤がはっきりと分かります。 築堤に成長した木が生えており、自然のすごさを感じました。 |
G地点付近 築堤の斜面で雪に滑って尻もちをつき、ダメージを受けました。そろそろ体力の限界かも。 「もうダメじゃー」と帰ろうかと思いましたが、まだ時間があったので、あきらめずに進みました。 ここにもレールが残っていましたが、今までと少し違う物がありました。 |
これがそのレールです。 周囲にシダが生えていてわかりにくいですが、以下の写真で説明します。 |
レールの下は空間になっており、何か加工されたものが付いていました。 |
また、レールの両端は、前後のレールと接続されておらず切れていました。 写真は左側の端を撮影したものですが、右側も同様に接続されていませんでした。 |
これはもしかするとターンテーブルではないでしょうか? 切れている部分の長さは、きちんと計ったわけではありませんが、軌条の高さと長さの比率から考えると、約150pくらいと思われます。 150pでは内燃機関車の全長は収まりませんが、ホイールベースで考えると小さな機関車ならば収まることができるのかと思います(素人考えですが)。 それともターンテーブルではない何か別の物なのかでしょうか? ちなみにくるっと回るかと思い、レール部分を横からキックしましたが、びくともしませんでした。もうちょっと周りを掘り起こして調査すればよかったかと後悔しています。 |
なお、森林鉄道におけるターンテーブルに関する資料を探したところ、今別営林署の昭和拾壱年度斫伐事業概要に「動力車廻転台図」が記載されていました。左の図はそれを写したものです。 Aは13尺(約4m)で、発見したものの2倍以上の長さがあります。やっぱりターンテーブルではないのかな? |
ターンテーブル?をあとにして、先に進みました。 まだまだレールが続いており、ターンテーブルとの設置位置としてちょっと疑問が残ります。 例えば、@以前はこの辺りが終点だったAこの辺りに中間の土場があった、とするならばターンテーブル設置としてはあり得るかと思います。 |
H地点付近 先に進んだところ、川方向にレールだけが延びていました。 ここで終わりなのかと思い、対岸を見ると…。 |
対岸にも何か続いているのでは!? |
対岸には石垣の橋台と、その先に進む築堤がありました。 ここには橋が架かっていたようです。 |
下流から橋が架かっていた部分を撮影しました。 中央の緑の木のあたりから、左にうっすらと見える築堤へ橋が架かっていたと思われます。どんな橋だったのでしょうか? |
過去の新聞を調べたところ、以下のことが分かりました。 昭和30年7月4日未明の豪雨で各河川が急激に増水し、津軽地域の橋が十数カ所流出したとのことで、その中の1つに深浦営林署の鉄橋が含まれていました。 その鉄橋は、追良瀬集落から約4里半の位置にあり、長さは30mとの記載があることから、おそらくこの場所かと思われます。 架かっていた橋は、てっきり木橋かと思っていましたが、鉄橋だったようです(どのような鉄橋だったかは不明)。 橋の長さが結構あるのですが、途中に橋脚跡があったかを確認するのを忘れ、ちょっと後悔しています。 なお、橋が流出した後は、鉄橋の対岸には丸太や薪が残されており、運搬のため鉄橋の復旧を急いだのですが、とりあえず50mの川幅いっぱいにワイヤーを渡し集材機で運搬したとのことです。その後鉄橋が復旧されたかを調べましたがちょっと分かりませんでした。 |
対岸に渡った後は、築堤がしばらく続き、軌道跡もはっきりと分かります。 |
雪がだんだん多くなってきたような感じがします。 レールが見えそうで見えません。 |
日当たりが良い部分はレール部分の雪が解けていました。 |
順調に進んでいたのですが、しばらくすると軌道跡を見失いました。 |
対岸を見ると軌道跡らしきものがあるような感じがします。 |
対岸に渡り上流方向を撮影しました。 出発してから約3時間が経ちました。まだ先に行けば何か見つかるかもしれません。 時刻は午前11時と早いですが、帰りの時間を考慮して引き返すことにしました。 さようなら追良瀬川林道。再度調査する日はあるのだろうか…。 |
春の調査時に出会った仲良し鳥さんたちです。 | 調査の途中で見つけたキラキラ石です。 |
帰りはクマにビビリながら川原を歩き、2時間くらいでスタート地点に着くことが出来ました。 今回は、調査距離4qのほとんどにレールが残されており、びっくりしました。ちょっと途中で飽きてしまいましたが、ターンテーブル?のようなものも発見できて満足です。 また、15回も川を渡りました。ウェーダーのおかげで調査がうまくいったのは言うまでもありません。 しかし道具に頼るのはちょっと危険な感じもしました。なんて言っていいか分かりませんが、ドラクエで例えると、船を手に入れ、レベルが低いのに調子に乗って遠出し、強い敵に遭遇して全滅…って感じです。 調査後に気づいたのですが、ウェーダーのフェルトが剥がれかけており、かかと部分は取れて無くなっていました。今後もウェーダーを使用することがあるかもしれませんが、調子にのらず、十分注意して調査したいと思います。 疲れ果てて家についたのは午後3時でした。中途半端な時間だったため、帰宅後、息子にせがまれて公園で1時間ほどボール遊びをする羽目になり、さらに疲れました。トホホ…。 |