(2007.1.23公開)
(2009.10.17 一部修正・追加)
津軽森林鉄道
大平付近の支線
(南沢林道・清水股支線・高石股支線)


ここでは外ヶ浜町(旧蟹田町)にあった3つの支線の調査結果を紹介します。調査は2002年に行いました。
1 南沢林道

営林局の施業案説明書と国土地理院の地図では記載が異なっているのでちょっと混乱します。
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第404号)


国土地理院地図では、森林鉄道から分岐し、南股沢方向へ軌道が示されており(上記地図の赤色実線と紫色点線)、これが南沢支線と信じていました。

しかし、「昭和十一年度 蟹田事業区施業案説明書」(青森営林局)には「(軌道)南澤林道 自津軽森林鉄道 至82林班日陰澤落合(延長6,215m)(注:「82林班日陰澤落合」は西股沢沿いにあります)」との記載があり、南沢支線(林道)は西股沢沿い(上記地図の赤色点線)に進んでいたことが判りました。この資料以外に軌道の正確な敷設位置を把握できるものは見つけられませんでした。

ちなみに紫色点線は南股沢林道で、施業案説明書等の資料で軌道が敷設されていたという記載は今のところ見つけていません。

個人的には南股沢林道に軌道は敷設されていなかったと思っていますが、今後は現地や各種資料の再調査が必要です。





以下の現地調査は、上記の事実を知る前に行ったもので、南沢林道(赤色実線)と南股沢林道(紫色点線)の途中までのものです。


南沢林道は南沢集落の手前で分岐して山沿いに進んでいます。写真は県道(津軽森林鉄道本線跡)から見えている支線跡らしき道?です。

2002年の調査で、あまり記憶に残ってないのですが、車で進むのは無理だったと思います。

南沢集落からは車で通ることができます。写真は集落先の水田から起点方向を撮影しました。

支線は写真右の山ぎわを通っていたようです(一部分歩いて通ってみましたが写真撮るの忘れた…トホホ)。

(※ この写真は西股沢と南股沢の分岐点付近です)

水田を過ぎると南股沢を渡って進んでいきます。

写真中央の水田沿いに南股沢があり、支線は笹藪のあたりで渡っていたと思われますが、橋跡を見つけられませんでした。

(※ この写真は南股沢林道です。)

その先も数回沢を渡りますが、何も見つけることができず、途中で引き返しました。

「クマ出没注意!」の看板がちょっとビビります。

清水股支線・高石股支線

清水股支線の開設時期は昭和28年〜昭和41年頃ですが、国土地理院の地図や営林局管内図によると津軽森林鉄道本線が廃止された後も数年残っていたようです。
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第404号)

2 清水股支線

この支線は「鉄道廃線跡を歩く」(JTBキャンブックス)で一部紹介されているので知っている方も多いと思います。

写真は津軽森林鉄道本線からの分岐点で今泉方面を撮影したものです。右が清水股支線で、左が本線です。

分岐から進むと、すぐに蟹田川にぶつかります。

橋跡を見つけることはできませんでしたが、対岸には支線跡らしい農道が見られます。

支線はこの先、清水股沢沿いを進んでいきます。こちらから進むことはできませんので、県道に戻って調査します。

県道から支線分岐点方向を撮影しました。

写真右側が清水股沢で、これに沿っている農道が支線跡と思われます。

県道から上流方向を撮影しました。

この先に今も現役の橋が残っていますが、その手前にあるものを発見しました。

地面に突き刺さったレールです。

この写真を撮った時は、まだ森林鉄道・軌道の調査を始めたころだったので、とても貴重なものと思い、大興奮でした。

そして、これが現在も残る木橋です。

一応、近くにいた人に確認すると、森林鉄道の遺構とのことで、「珍しいでしょ」とおっしゃっていました。

個人的には、既に本で知っていたのでそんなには感激しなかったのですが…。

ちなみに、奥に見えるコンクリート高架は津軽線です。

周りをウロウロして何枚か写真を撮りました。コンクリートの橋台がちょっと頼りない気がします。


「鉄道廃線跡を歩く」には「当時に使用した橋桁が残っている」と記載されていますが、これのことかな?


支線は清水股沢右岸沿いに進みますが、農道や畑となって支線跡は判然としませんでした。

この先は清水股沢を数回渡るので諦めずに調査しました。


前の写真の左の林の中に、一筋の空間を発見しました。

これは支線跡に間違いないと思い、進みました。


進んだ先は清水股沢でした。

何も遺構が無いかと思いましたが、対岸近くに橋脚を発見しました(カーソルをあわせると橋脚を示します)。

写真はわかりにくいし、遺構もショボいのですが、個人的には前の木橋より好きです。

この先にもう1か所、沢を渡る箇所があるので、農道を回って探すことにしました。


農道から先に進み、少し畑に入った辺りで撮影しました。

支線は左側の林の辺りを通っていたようです。


林の中を調べると、支線跡がありました。

この地点から起点方面で沢を渡っていたのですが、橋脚などの遺構を発見することはできませんでした。


林道入口です。

支線跡はこの先林道となっているようで、特に調査はしていません…トホッ。

ちなみにこの林道を進むと、清水股岳への登山口に行くことができます。


3 高石股支線

この支線は大平集落を過ぎた辺りで本線から分岐しています。

分岐してすぐに蟹田川を渡っているのですが、遺構を見つけることはできませんでした。

写真は蟹田川を渡った後、進行方向を撮影しました。支線は左のビニールハウス方向に進んでいたようです。

遠くに津軽線のディーゼルカーが小さく見えています。


ビニールハウスに続く道は現役で、この先も続いているように思えたのですが…。


ビニールハウスの先は、すぐに行き止まりとなっていたので、この先は県道から回り込んで調査することにしました。

このときは森林鉄道を調査して間もない頃だったので、このまま先に進まずにあきらめましたが、今だったら気合いで進む自信はあります(ちょっと調子にのってます)。

※ 大した内容ではありませんが、調子にのった再調査を最後に掲載しています。


県道から回って津軽線の橋近くで高石股沢の下流方向を撮影しました。

対岸に段差があり、支線跡と思われますが…?。


津軽線を境に高石股沢の左岸(こちら側)に渡ることになっているのですが、津軽線の橋の高さを考えると、どのように支線が通っていたのでしょうか。橋の高さを確認していませんが2m位?だったかと思います。

津軽線の蟹田〜三厩の開業は昭和33年で、高石股沢支線の開設時期は昭和14年〜33年となっているので、津軽線をアンダークロスしていたことは無かったかもしれません。

でも津軽線の工事が昭和33年以前から行っていたと考えるとちょっと謎です。

国土地理院の5万分の1(35年修正)の地図には高石股沢支線の記載がありますが…記載ミスかな?ちなみに昭和34年の営林署管内図には記載がありませんでした。


津軽線の橋の上流方向を撮影しました。

この付近でも支線の橋脚跡などの遺構を見つけることはできませんでした。

支線は沢の左岸を進んでいたようですが、現在は水田となっており、支線跡は判然としませんでした。


支線は沢沿いに上流に進んでいきます。

写真は県道14号との分岐地点で、右に進む道が支線跡です。

ちなみに左に進む県道は、峠を越えて今別へと進みます。


県道から分かれた支線跡は、舗装され農道として使用されています。

農道の両側は水田や休耕田が1.5qほど続き、終点付近に小屋?か何かあったと思いますが、特に遺構を発見できませんでした。

なお、終点付近はかつては苗畑でした。


高石股支線(追加調査)
(森林鉄道本線分岐〜JR津軽線付近)

5年後の2007年にビニールハウスの先の再調査を行いました。

ビニールハウスにいたおじさんに声をかけ、通行の許可を得て進みました。

軌道跡に農業用水の水路があり、進みやすくなっています。


少し進むと小さな窪地に出ました。

おじさんの話によると、「すぐそこに桟道があった」とのことで、この写真の真ん中を通っていたようです。
(※ カーソルを合わせると軌道跡を表示します。)

水路と歩道は写真左側を迂回して進んでいます。

水路側から撮影しました。

橋脚などを見つけることができませんでしたが、笹藪部分は人工的に作られた道床のようでした。

すぐに高石股沢沿いに出ました。

高石股沢右岸にはスペースがあり、軌道跡のように見えますが、もしかすると護岸工事後に整備されたのかもしれません。

JR津軽線との交差点まで進みました。途中で枕木のようなものがありましたが、ちょっと遺構とは違うような感じでした。

なお、おじさんの話によると、「津軽線開業時には高石股支線はすでに無かった。」とのことです。


営林局の資料や国土地理院の地図などを見ながらの調査ですが、なかなかこれが正しいという結果が導き出せません。「答えなしもまた答えなり」(by轟一番)なのでしょうか?やはり最後は業務に携わった方々や地元の方々への聞き取りが必要かもしれません。しかし、その前に自分で調べられることはやっておかなければなりません。まだまだ勉強不足です…トホホ。

( 線名 地図 )