(2007.12.25公開)
(2013.9.1追加・修正)
         
早瀬野林道

早瀬野林道は虹貝林道と同様に、明治時代に開設されました。距離も10,436mと比較的長い林道です。

林道の終点付近の秋田県境には石の塔があり、かつては巡礼客が軌道を利用して訪れていました。その軌道跡の一部はダム湖に沈んでおり、ダムの水位が下がる秋〜冬にしか見ることができません。

初めての調査は2004年7月で、その後数回再調査を行い、なんとか終点付近まで行くことができました。
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平24情使、 第823号)


早瀬野集落手前で虹貝林道から分岐し、島田川を渡りますが、橋跡などの遺構を見つけることはできませんでした。

早瀬野集落を過ぎてから、畑の脇を進んでいきます。


冬の写真です。撮影の時期がバラバラでごめんなさい。

集落を過ぎて小さな沢を渡る箇所で起点方向を撮影しました。水路の左側が軌道跡と思われます。

写真では見にくいですが、橋脚の根本部分が残されていました。


早瀬野集落付近で林の中を進んでいく箇所もありましたが、特に遺構を見つけられませんでした。


オローム林道分岐手前で、川の方へ降りたところ、古そうな石垣を発見しました。

しかし、軌道跡と思われる箇所(上の写真の高さ)からかなり下がった所なので、軌道跡とは関係ないかもしれません。水路のような跡もあったので、農業用施設関係だったのでしょうか?


いよいよ早瀬野ダム上流へ進みます。

2008年10月に撮影しました。秋なので水量が少なく、ダム湖の底が見えています。春〜夏の水面は、緑との境目付近まであります。

ダム湖には左右両方に道があり、どちらからでも先に進むことができます。

次の写真からは、少しずつ南下しながら、様々な方向から撮影しています。


左岸から湖底を撮影しました。建物の土台や階段らしき物が見えます。

大鰐町史によると「ダム湖の水が少なくなると早瀬野事業所(苗圃)の跡が見える」との記載があるので、ここのことかと思います。


左の写真は左岸から、右の写真は右岸から事業所跡の先を撮影しました。
事業所の先の虹貝川を渡っている2本の橋が見えますが、小さい方は軌道跡を利用した橋と思われます。


上流から歩いてダム湖底まで来てしまいました。写真は下流側の小さい橋です。

奥2つの橋脚部分をみると、上部に新たにコンクリが付け足されたのが分かります。

昔の写真で、似たような橋脚の写真があり、それによると、平野橋?(早瀬野橋?)と呼ばれていたようです。

軌道廃止後、林道は自動車道に改修されたので、軌道で使われていたものを補強して使用したと思われます。


右岸から事業所跡の上流側を撮影しました。この辺りが苗場跡らしいです。

早瀬野林道から分岐して苗場内にも軌道が敷設されていたようですが、明確な跡を見つけられませんでした。


上流側からダム方向、事業所跡方面を撮影しました。

軌道は事務所前から虹貝川を渡り、左岸を進んでいたと思われます。


机上調査では、軌道跡は左図のように2つあることが分かりました。カーソルを合わせると昭和33年の地図が表示されます。

調査当初は昭和17年の地図の軌道しか知らず、これが正しいと思っていました。しかし昭和33年の大鰐町全図を見ると、明らかに位置が異なっています。軌道の付け替えが行われたのでしょうか?

なお、今回は右岸の軌道跡の調査は行っていません。
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平24情使、 第823号)


虹貝川左岸を上流方向へ進むと、途中には橋跡がありました。

結構新しそうなので、軌道廃止後に作られた自動車道の跡でしょうか。


さらに上流へ進み、ダム方向、事業所跡方面を撮影しました。

軌道は写真の中のどこかを通っていたと思われますが、詳細な場所までは分かりませんでした。


虹貝川が砥沢と合流する地点をダム湖右岸から撮影しました。

この場所も普段はダム湖に沈んでみることができません。

斜面と草の境目付近が普段の湖面で、そのやや上部が軌道跡のようです。


その軌道跡に近づいてみると、石垣が残っている箇所がありました。

石垣の上には低木が生い茂っており、歩いて進むのは困難です。


少し離れたところから見ると、、石垣が残っている箇所が一列に続いているのがはっきりと分かります。


砥沢を渡る@の地点には橋台跡と橋脚跡が見られました。
コンクリートの橋脚土台、翼壁?、橋台などそれぞれ断片的に残されています。


上の写真右上の橋台にあった木柱です。

橋脚の一部かと思っていましたが、よく見るとコンクリート橋脚土台との位置関係がおかしいので路盤の土留めの資材なのでしょうか?

うーん、よくわからん。


上記の軌道跡から少し離れたところで虹貝川を渡るような跡があります。

わかりにくいですがコンクリートの橋台らしきものものの一部も残されていました。

地図にも記載されていないし、何の跡か不明です。
これまた、よくわからん。


軌道はダム湖の南岸を経て、虹貝川の左岸を進んでいくのですが、A地点付近で虹貝川を渡るような遺構がありました。

これは軌道跡なのでしょうか?


橋脚の基部は、石垣で作られた土台があります。
巾がとても長いようです。
川岸近くには橋脚のほか、橋桁も残っていました。軌道跡っぽいですね。


川へ降りて上流方向を撮影しました。

軌道がこの部分を渡ることが記載されている地図はないので、軌道跡と関係ないかもしれませんが…。

またまた、よくわからん。

この先は、左岸を進んでも特に遺構を見つけられませんでしたが、右岸には怪しい跡が見られました。


右岸は一見すると草むらが続き何もないように見えましたが、少し進むと空間が現れました。

この先は途中で路盤が崩れており、先に進むことはできませんでしたが、この跡は昭和33年の大鰐町全図と一致します。



反対側から回り込んでみましたが、こちら側にも空間がありました。いい雰囲気です。

枕木などの遺構を見つけられませんでしたが、ここが軌道跡と思われます。


この先、現林道も虹貝川右岸に渡り進んでいきます。

大正3年の施業案説明書では、軌道は左図のように現林道沿いに数回虹貝川を渡って進んでいきます。

しかし、昭和33年の大鰐町全図をはじめとする複数の地図では、虹貝川を渡らず右岸をずーっと進んでいく記載になっています。

現地調査では怪しい箇所があったものの、右岸のみ進んでいくのは無理がありそうな感じがします。

なお、石の塔入口の少し手前までの区間では、遺構をみつけることはできませんでした。
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平24情使、 第823号)


石の塔入口の手前B地点で、起点方向を撮影しました。

現林道は虹貝川の左岸からこちらへ渡ってきますが、右岸の先が何か怪しそうなので、ちょっと戻って進んでみます。


先に進むと軌道跡らしき路盤が続いていました。 横から見ると、盛り上がっているのがよく分かります。

軌道跡はすぐ先で虹貝川にぶつかっていました。

ここを渡ると思われますが、橋脚や橋桁などは既に見あたりませんでした。

川を渡る手前で橋台がないか確認しましたが、見つけることができませんでした。

しかし、盛り土の右部分に何か残されています。


その部分はこのように石垣があり、路盤が補強されていました。 石垣は少し盛り上がった路盤沿いに数メートルは続いており、でかいイモムシ君みたいでした。


対岸はこのようになっていました。
ちょっとわかりにくいですが、中央から右にかけて橋台の一部を見ることができます。
その対岸に苦労して近づいてみました。
石垣の橋台と、右側に何か軌道跡と関係ありそうな木柱(写真右上)が残されていました。


「石の塔」の入口です。

石の塔とは、青森県と秋田県の県境にある巨石のことです。「石の塔を見ないで大きなことを言うな」ということわざ?もあるくらいなので、よほど大きいと思うのですが、私は見たことはありません。

病気災難にかからないということで、昔はかなりの参詣人が森林軌道で参詣にきたそうです。

軌道は鳥居のすぐ前を通っていたようです。


近くにレールを発見しました。鳥居の近くの看板もレールを使ったものでした。

写真を撮っているとおじさんが現れ、一緒に石の塔に行かないかと誘われました。1人で行くのはクマが怖いとのことでしたが、時間もなかったので断りました。

やっぱりクマこわいのね。


昭和33年の大鰐町全図には、石の塔入口から分岐して約200メートルの軌道の記載がありますが、遺構らしき物は虹貝川を渡る箇所の橋脚跡しか見つけられませんでした。

ただの徒歩用の橋跡かもしれません。
そもそも他の地図にはこの箇所に軌道の記載がなく、本当に軌道があったかは不明です。


石の塔入口から先は少し道幅が狭くなります。

小さな沢を渡る箇所の路盤は、石垣で補強されていました。


しばらく進むと、林道は緩やかに下って進みますが、軌道跡にしては不自然な感じがします。

しかし、林道左側に、なにやら怪しげな盛り上がりがあります。


盛り上がっている箇所を進むと、小さな石垣の橋台が残されていました。

写真ではわかりにくいですが、橋桁も残っていました。


橋跡の先も一定の幅を保った軌道跡が続いていました。

しかし、ちょっと進みにくそうなので、現林道を回り込んで進みました。


現林道は軌道跡のやや下方を進んでいきます。

現林道から軌道跡方向を見上げて撮影しました。段差があるので軌道跡がよく分かります。


少し進んでから軌道跡に戻ってみました。

右側に何か見えてきました。


橋桁や橋脚が残されていました。

この箇所は桟道のようになっていたようです。


下から見ても、橋桁や橋脚がよくわかりました。


軌道跡はそのまま少し高い位置を保って進んでいきます。 一方、現林道は川沿いの低い位置を進んでいきます。こちらもいい雰囲気です。


虹貝川には、毎度おなじみグニャリと曲がったレールがありました。


軌道跡の途中に、デカい岩があるなー、と思っていましたが、その正体は大きな木でした。


小さな沢を渡るC地点です。橋脚が立って残されていました。

残念ながら、橋桁は落ちてしまっていました。下に残骸が結構残っています。


橋脚&橋桁。いい感じです。

でもやっぱり壊れないで残っていて欲しかったです。いつ頃まで渡れる状態だったのでしょうか。


起点側にも橋脚と橋桁が残されていました。


この橋付近の手前だったか、渡った先だったか忘れましたが、林道の標識らしき物がありました。

消えかけている文字をなぞってみました。カーソルを写真に合わせてください。

おそらく「早瀬野林道(二級森鉄) 巾?○○ 延長○○米」と書かれていたのでしょう。下の方は土に埋もれて見えませんでしたが、掘り起こして壊したり見えにくくなるのも怖いので、いじくるのはやめておきました。

他の林道でもこれと似たような標識を見たことがありますが、カッコの中が「森鉄」と記載されているのは初めて見ました。

また、この手の標識は起点にあるのが普通と思われますが、なぜ、もうすぐ終点近いこの場所に存在しているのかがちょっと気になります。

虹貝川から橋跡方向を撮影しました。

軌道跡のラインのほか、写真中央には横たわっている橋桁も見えています。


橋跡の先にも軌道跡は続きますが、笹藪で進みにくくなります。

大変そうなので、虹貝川へ降りて進みました。


軌道跡は再び小さな沢を渡ります。

写真の左の方へ回り込んでから沢を渡り、右奥方向へ進んでいきます。


小さな沢を渡る箇所では、明確な橋脚や橋桁跡を見つけることはできませんでした。

沢にはたくさんの木が転がっていました。


しばらく進むと行き止まりになり、先には進めなくなりました。 行き止まりの手前には広くなっている箇所があり、おそらくここが終点と思われます。


2004年の初調査時に出会ったコムラサキ君です。

見る角度によって紫が見えたり見えなかったりします。

調査中に数匹が車の前をチラチラと飛んでいました。ぶつかりそうで危なかったです。


ダム湖での平野橋跡や、終点間近の標識など、珍しい遺構を見つけながら、終点付近まで調査することができたのですが、ダム湖付近の軌道跡にはちょっと疑問が残ります。地図によって記載されている位置が異なるため、虹貝川のどちらを通っていたのか、付け替えが行われたのかよく分かりませんでした。

とにかく、調査した辺りを通っていたことは間違いなさそうなので、あまり深追いしないことにして、調査を終えることにしました(本当はいろいろ調べたのですが、結局分からず、ムキーッとなったのでやめることにしたのさ。中途半端でトホホだぜー!)。


( 線名 地図 )