(2013.4.18公開) |
黄瀬川沿いの軌道 |
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平24情使、 第823号) |
青森県内の森林鉄道・軌道は、主に津軽半島や下北半島に存在していましたが、十和田湖付近、奥入瀬川沿いにもいくつかの軌道が存在しました。 このあたりでは製炭が盛んで、木材だけでなく、木炭の運搬も行われていました。山奥では炭材伐採や製炭のために小さな集落が形成され、学校も存在していたようです。 また、運搬施設として、インクラインが設置されており、他の地域とはひと味違った魅力があります。 しかし、軌道が詳細に記載された地図を見つけられなかったほか、様々な資料を見ても、記載されている内容がそれぞれ異なるので、疑問が残りスッキリしません。本レポートでは、様々な資料の内容をふまえ、それっぽいものをまとめてみました(確証はありませんのであしからず)。 今回は黄瀬林道、黄瀬林道北股支線、木炭搬出用軌道についてレポートします。 |
1 黄瀬林道 黄瀬林道は放牧地整理伐の運搬設備のため、大正11年に開設されました。 また、官行製炭所もあり、木炭の運搬も行われていたようです。 国道102号から奥入瀬渓流を渡ると黄瀬林道はスタートしますが、いきなりゲートがあり、自動車での進入はできません。 |
看板には、車両の入山を制限していること、事故については自己責任であることなどが記載されています。 朝早くから黄瀬川の上流にある松見の滝を目指す入山者が結構おり、「あなたも松見の滝に行くの?」と聞かれましたが、説明がめんどくさかったので「松見の滝方面に行きます」と答え出発です。 |
黄瀬川沿いの林道は、普通の林道で特に変わったところはありませんでしたが、途中で橋脚のようなものが残されていました。滝ノ沢方面へ分岐していた林道(牛馬道)の跡と思われます。 |
起点から約3.7q地点、松見の滝方面と濁川・長窪沢方面の分岐点です。 ここまでは特に遺構らしき物を見つけることが出来ませんでした。 北股沢支線は直進、木炭搬出用軌道(インクライン)は右へ進んでいきます。 |
ちなみに、分岐点付近には作業用のモノレールがありました。以前来たとき(2010年)には無く、新たに設置されたようです。 |
現役の林道を直進しても、軌道跡らしき気配が無かったので、少し黄瀬川寄りに進んでみました。すると、怪しげな空間を発見しました。 |
しばらく進むと石垣を発見しました。どうやらここが軌道跡のようです。 なお、後で分かったのですが、この地点が黄瀬林道と木炭搬出用軌道との分岐点と思われます。 |
石垣の先にも軌道跡らしき空間が広がっていました。 これだけはっきりしていると、この先も何か期待できそうです。 |
…と思ったら、堰が邪魔して先に進めませんでした。 このあたりが濁川沢の合流点付近で、黄瀬林道の終点と思われます。かつては東北振興株式会社の製材小屋などがあったようです。 ※ 東北振興株式会社は、昭和初期の恐慌、冷害、三陸地震による津波などによりダメージを受けた東北地方を救済し、経済振興を促すために昭和11年に国が設立した会社です。 |
2 黄瀬林道北股支線 北股支線はベニヤ・パルプ用材を国策会社(前述の東北振興株式会社のことと思われます)に供給するために昭和16年頃に設置されました。また、その設置は、将来の放牧地における整理伐も目的とされていたようです。 黄瀬林道の終点から、現役の林道を使って上流に進みました。 |
この道が軌道跡とも考えらますが、勾配が急な箇所もあり、ちょっと無理そうです。 |
堰の上流から川岸に降りてみました。 空間が出来ており軌道跡のように見えますが、堰によってたまった土砂でした。 |
さらに黄瀬川沿いに進んで軌道跡を探しましたが、それらしき形跡は見つけられませんでした。 本当にここを通っていたのでしょうか? |
長窪沢との合流点付近です。 こんな状態ではもう軌道跡はわかりません。川から少し上がった箇所も探しましたが、それらしき跡は見つけられませんでした。 |
仮にここまで軌道があったとしても、終点と思われる五所川原平・大幌方面に進むには南西方向へ高度をあげる必要があります。しかし傾斜があり、インクラインでもないと進めないと思われます。 それらしき斜面を探しましたが、ただの土砂くずれ跡しか見つけられませんでした。 |
軌道跡として考えられる怪しい所として、1つめの堰の上流に道跡らしきものがありました。ただの堰設置時の作業道かもしれませんが…。 始めは黄瀬川沿いを進み、途中からこのようにして高度をあげて進んでいたかもしれません。 |
今回の調査では長窪沢までしか行いませんでした。 先に進むのは体力的に無理と判断したこともありますが、様々な資料を見てもその先の正確な位置が分からなかったからです。 「国有林森林鉄道全データ」の地図には、長窪沢を遡上し西へ進むように記載されていますが、等高線を見ると軌道があったのかちょっと疑問です。また、「十和田事業区施業案説明書」に記載されている位置(林班)や軌道延長距離を見ると、どこまでどのように軌道があったか想像ができません。 今後の机上調査で、正確な軌道の位置が判明できたら現地の再調査をしたいと思います。 |
3 木炭搬出用の 軌道 この軌道、名称がわかりません。 黄瀬川を渡り、インクラインで上部台地に進むこの軌道は、昭和10年発行の5万分の1地図に記載されていますが、施業案をはじめとする営林局等の各種資料には林道名や軌道延長の記載がありません。民間会社が運営していたのでしょうか? しかし、様々な資料を調べた結果、営林局と全く関係ないわけではなく、インクラインの設計や設置は営林局が関わっています。 |
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この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平24情使、 第823号) |
ちなみに、この軌道の終点には北股沢があり、前述した北股支線がここではないかと思いましたが、思い違いのようでした。(周辺地域にはこの他にも数カ所北股沢がありました。) |
現役の林道は、黄瀬林道から分岐後すぐに黄瀬川を渡ります。 この橋は昭和37年3月に竣工した黄瀬橋です。 軌道は川を渡ってすぐにインクラインで高度をとりますが、橋の先にインクラインらしき跡は見あたりません。 軌道はここを通っていなかったようです。 |
先ほど紹介しました黄瀬林道の石垣地点です。 ここから、黄瀬川方向(写真の右方向)を見てました。 するとそこには…。 |
なんと、黄瀬川に向かって橋台がありました。 川に向かって橋台があるのはちょっと変ですが、前の写真の石垣の高さに合わせたのでしょうか。 それとも、石垣からこの橋台まで少しスペースがあるので、黄瀬林道とは連結せず、ここで荷下ろししていたかもしれません。 |
黄瀬川へ降りて橋台を撮影しました。左写真は遠くから撮影しましたが、なんだかよく分かりません。近づくと、写真右のように苔むした石垣があるのが分かりました。 ちなみに対岸には橋台跡を見つけることが出来ませんでした。 |
位置関係は左図のとおりです。 分岐点からインクラインまでは、ほぼ直線となっています。 |
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この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである。 |
橋台跡から一直線に黄瀬川を渡って突き当たった斜面部分です。おそらくここがインクライン跡と思われます。 それらしき形跡が見られず、期待していただけにちょっと残念でした。 斜面奥には土砂崩れ防止の堰のようなものがありました。 |
インクライン跡と思われる斜面の横には怪しげな木材が刺さっていましたが、何も関係なさそうでした | また、インクラインの起点である黄瀬川方向は、ちょっとした空間があるだけで、インクラインに関係する遺構を見つけられませんでした。 |
ここのインクラインについて調べ、いくつかの記載をまとめてみました。
2つの情報がありますが、どちらかが間違っているということではなく、最初は大正13年に設置され、その後昭和5年に改修・再設置した、と考えてみました。情報Aの「最初」というのが矛盾しますが…どうでしょうか? ちなみに黄瀬平林道のインクラインは上記@Aとは別に情報があります(後日レポート予定です)。 |
インクライン跡を登らずに、ヘアピンカーブの林道を歩いて上部へ登ってきました。 標高差は約150mですが、上部までの距離はインクラインでは約400m、林道では約1,500mです。 林道はインクラインに比べ勾配が小さいですが、1,500mの坂道を歩くのはとても大変でした。 |
上部のインクライン跡を探したところ、林道から外れた所に軌道跡らしき空間を見つけました。 ちょっとカーブして進んでいきます。 |
進んだ先には、小さな空間が現れました。 遺構を見つけることはできませんでしたが、ここがインクラインの終点だったと思われます。 |
ちなみに斜面下方向を見たところ、既に木々が成長しており、インクライン跡は判然としませんでした。 |
林道へ戻り、西へ進むとゲートが現れましたが、車ではないので、簡単にスルーできました。 |
林道はブナ林の中を進んでいきます。 新緑が美しく、とてもきれいな景色ですが、林の中に入ると、周りの風景がどこも同じのため、迷子になりそうでちょっと怖かったです。 |
林道は現在でも使用されており、とてもスムーズに進めましたが、遺構を見つけることはできませんでした。 |
林道は松見の滝方面に進みますが、軌道跡は途中で北西方向へ進路を変えて進みます。 右方向にちょっとした空間がありました。この辺りが現林道との分岐点と考え、右の草むら方向へ進んでみました。 |
草むらを無理やり進むと、道のような空間がありました。これは怪しい。 すぐ先に笹藪もありましたが、気合いで進みました。 |
途中に小さな池のような箇所があり、そこを通過する部分は小さな築堤になっていました。 ただの道なのか、それとも軌道跡なのかわかりませんが、人工的に作られたものと思われます。 |
少し進むと、笹藪がなくなり、歩きやすくなりました。 この一直線上には木が生えていません。切り株が見られ、人工的に作られたようです。ここが軌道跡なのでしょうか? (1回目の探索では、この辺りでビビって引き返しました。) |
前回から8年後の2012年の調査です。 気合いを入れて進んだのですが…イタタ多のタタイ! 足下にはトゲトゲの小さな木が所々に出現しました。 これが結構手強い。 また、背丈くらいの草木が行く先を邪魔し始めました。 |
少し進むと下り始め、本当に軌道跡か不安になりました。 この先は、現林道からどんどん遠ざかることや、川などの目標物が近くにないので遭難の可能性が高まります。 ということで、この辺りで引き返しました。 (おそらく前回調査地点から数十mしか進んでいません。昔の地図にはこの先に小さな集落、学校、橋などの記述があり、その跡地を見たかったのですが残念です。) |
前述したとおり、営林署関係の資料を調べましたが、この軌道についての記載を見つけることは出来ませんでした。しかし、インクラインの設置には営林署が関わっているほか、木炭運材には官行製炭所も関係していたので営林署や国と何らかの関係があると予想されます。 しかし、軌道の終点付近の橇ヶ瀬沢付近は林班(※)の設置が無い地域となっており、営林署とは関係の無いようにも思えます。 (※ 施業の便を計るため、尾根筋等の自然地形を境界とした区画設置) そもそも地図への記載が間違っていたことも考えられますが、地元の方に確認したところ、確かにインクラインを経て橇ヶ瀬沢方面に軌道は存在していたとのことです。 例えば、 「国が官行製炭を行うにあたり、民間の製炭業者の協力を得るため、軌道の設置は営林署が行った」 とか、 「民間製炭業者が軌道の設置を国に依頼・委託した」、などということがあるのでしょうか? いろいろ調べましたが、結局軌道名称や設置のいきさつはわかりませんでした。 |
2004年の1回目の調査で松見の滝まで行きました。その時の写真です。 誰もいない中、一人寂しく、缶コーヒー&菓子パンの遅い朝食をいただきました。 松見の滝には、以下のような伝説があるようです。 「昔は一つの雄大で美しい飛瀑であったが、熊野権現の霊示に導かれた南祖坊がこの瀑布を見て『紀州の那智の滝には遠くおよばない』と嘆いたところ、松見の滝は位負けしてたちまち崩れ、三階滝に変わった。」 負けるな!松見の滝! |
松見の滝から引き返す途中で、草むらからガザガザと音がしました! 「クマか?」と思ったら目の前4〜5mの距離にデカい鹿が現れました。数秒間目をじっと合わせていると、ものすごい勢いでズピョーンと斜面を飛び跳ねて降りていきました。私の眼力の勝ちです。 (実はビビってこっちが動けなかっただけ…トホホ…。) |