(2015.2.15公開) |
この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。 | 近川林道 |
青森県のヒバといえば、津軽半島と下北半島が有名ですが、下北半島を斧に例えると、その柄の部分(幅はわずか10qほど)にもヒバ林が存在しており、いくつか軌道が敷設されていました。 その中の一つである近川林道は、大正3年に軌道が敷設されました。しかし、下北半島の斧の部分の川内にあった安部城(あべしろ)鉱山の煙害木整理伐採が優先されたため、近川林道沿線は節伐となり、軌条が撤去されました。 |
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その後、大正10年に大湊線が開通し、近川駅から木材搬出のため、再び近川林道に軌道が敷設されたという経緯があります。 この軌道は、近川貯木場から北東へ進んだ後、分水嶺を越えて南東へ高度をやや下げていく逆勾配区間があることが特徴です。調査は2008年の春に起点側と終点側から分けて行いました。 |
1 起点(近川貯木場)からの調査 まずは、JR大湊線近川駅に行きました。 かつては木材輸送などで賑わっていたと思われますが、小さな無人駅となっていました。 |
駅の南側に軌道の起点である貯木場があったはずなので、ちょっと南側へ進んでみました。 | 空き地になっていました。 かつてはここに木材がたくさん積まれていたことでしょう。 |
何か遺構はないかと探したところ、近くの民家に軌条を利用した柵を見つけました。 |
軌道跡は国道を越えて東へと進み、ため池の横を通り過ぎます。 | 起点から1qほどですが、だんだんとそれらしい風景になってきました。 |
近川には貯木場が2つありました。 山から下った軌道は途中で分岐し、それぞれの貯木場へ進んでいました。 |
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この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。 |
軌道分岐地点で起点方向を撮影したものです。 左が第一貯木場方面、右の笹藪が第二貯木場方面です。 先に進む前に第二貯木場までの軌道跡を探索します。 |
笹藪を進むと、軌道跡らしき道が現れました。 | そして、右方向に海上自衛隊のアンテナが見えてきました。 |
軌道跡は自衛隊の敷地に遮られ、進むことができなくなりました。 第二貯木場設置後、海軍の通信所が設置されることになり、その敷地内に軌道が含まれていたため、撤去されたようです。 元々、この辺りは御料地(皇室の所有地)だったらしく、その関係で土地の利用が変わったのではないでしょうか。 |
再び分岐点に戻り、東へ進みます。 高度を上げて進みますが、軌道跡としてはちょっと急な感じがしました |
そして、あっという間に高いところまで来てしまいました。 |
現林道は結構しっかりとしており、このように立派な堀割の部分もありました。 軌道もここを通っていたのでしょうか? |
なかなか遺構を見つけられません。 土砂崩れ防止の柵に使われている軌条や、埋まっている枕木らしきもの(違うか?)くらいしか見つけることができませんでした。 |
起点から現林道を進みましたが、ほとんど遺構を見つけられず面白くありませんでした。 ここからは現林道から分かれ、分水嶺へと進みます。 |
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この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。 |
起点から自転車で6qほど進み、起点方向を撮影しました。 この辺りで現林道から分岐して東へ進むのですが、はっきりした道を見つけることができませんでした。 写真の右辺りが怪しいと思い、進んでみました。 |
道のような空間と道床らしき形跡はありましたが、特に遺構を見つけることができませんでした。 この先を進めば1qほどで分水嶺にたどり着くと思われます。分水嶺では軌道は鞍部を通っていたようですが、どんな感じか気になります。確認したかったのですが、何か出てきそうな予感がして、ビビって引き返しました。 |
2 終点(県道7号) からの調査 軌道は分水嶺を越えて滝野沢沿いに下っていきます。 軌道終点には下北半島を横断する県道7号が通っており、アプローチは比較的容易です。 |
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この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。 |
近川から県道7号で分水嶺を越えます。 分水嶺を越えて少し進むと、大平滝林道が分岐しており、ここを自転車で進みます。 軌道跡の正確な位置は分かりませんが、この林道か、またはその下部を通っていたと思われます。 |
しばらく進むと、現林道は滝野沢から離れて北西方向に進みます。 軌道跡はこの滝野沢沿いにあるはずなので、林道から離れて沢沿いに進みます。 沢は穏やかな流れでした。 |
軌道跡を探して少し進むと、川の中に木材を発見しました。ボルトがついていることから、流されてきた木橋の橋桁と推測されます。 |
橋桁跡があるということは、やはりこの沢沿いに軌道跡があるはずです。しかし、付近を探しましたが、なかな軌道跡を見つけられません。 近くに少し盛り上がった場所があり、そこに登り周辺を見渡すことにしました。 |
盛り上がった場所に登って右岸を見ると、こちらに向かって軌道跡らしきものが続いているではありませんか。 …と、いうことは、オレが登ったここは軌道跡? ここは軌道跡の築堤の上でした。目の前にあったにもかかわらず、全く気づきませんでした。 信じられないかと思いますが、探索をしていると目の前に軌道跡や遺構があっても気がつかないことがよくあります。(オレだけかー?) |
さて、調査開始地点に戻って、右岸から調査をやり直します。 道床がやや盛り上がっており、軌道跡だと分かりました。 |
すぐに沢を渡り、先ほど発見した築堤へと進みます。 川岸には橋桁が残されていました。 |
朽ちた橋脚も残されていました。木柱に刺さって残されているボルトもボロボロです。 |
築堤を進むと、すぐに土砂崩れで進めなくなります。 一見、林業用トラクターなどで斜面をこのまま突き進む道のようにも見え、ここが軌道跡か疑ってしまいました。 しかし、斜面を登らず、左へちょっと進むと軌道跡が再び現れます。 |
土砂崩れの箇所をよけて左へ進むと、林の中に軌道跡の空間が伸びていました。 |
軌道跡の傍らには、流されてきたと思われる橋桁が転がっていました。 よく見るとボルトもついています。 |
小さな沢を渡る箇所には、橋桁が残されていました。 |
軌道跡は小さな堀割や盛り上がった道床でわかりやすくなっています。春なので草木が少なく、林の中の散歩道のようです。 |
軌道跡はここで右岸へ渡ります。 沢の手前に橋脚が一本立っていました。 |
川の中にも、タケノコのような橋脚跡が残されていました。 |
左岸を振り返ってみると、立派な石垣の橋台が残されていました。 |
近づいて見ました。 他の軌道跡でも石垣の橋台はありますが、ここのはちょっと頑丈な感じがしました。 |
右岸へ渡ると、橋脚が残されていたほか、奥に石垣の橋台が見えます。 |
橋脚を横から見ると、ボルトが刺さったまま残されていました。 ここの橋は少なくとも橋脚が3カ所ありました。当時は立派な木橋であったに違いありません。 |
落ちてしまった橋桁は、苔むしていて廃止されてからの年月を感じさせます。 |
石垣に使用されている石は、他地域の遺構と比べ丸みがなく、角張っているように見えます。 そのせいで立派に見えるのかな? |
沢を渡った先も、明確に軌道跡が残されていました。 左の木についている黄色のものは、林班を示す標です。 |
再び右岸に渡ります。朽ちた橋脚と橋桁が見えています。 |
下流から撮影しました。 橋脚や橋脚は周りと同化しており、何のへんてつもない風景のようです。 |
上流から撮影しました。 橋桁が橋脚に架かって現役そのままに見えますが、実際は橋脚同士を固定している狭貫に落ちた橋脚が引っかかっているだけでした。 |
振り返って左岸を撮影しました。 こちら側には橋桁はありましたが、石垣の橋台を見つけることはできませんでした。 |
ちょっと離れて橋脚も入れて撮影しました。 橋桁が架かっていて欲しかったなぁ…。 |
再び右岸を撮影しました。 川原が広くなっており、こちらにも崩れた橋桁が残されています。 よく見ると、橋桁の向こうに石垣の橋台が見えています。 |
ここの石垣の橋台も、先ほど同様立派でした。 |
先に進みます。 軌道跡は小さな堀割になっており、道床はぬかるんでいました。 |
レールはありませんでしたが、犬釘のついた枕木を見つけました。 |
日当たりの良い散歩道のような軌道跡が続きます。 こんな場所ばっかりだったら、調査も余裕なのですが…。 |
再び右岸に渡ります。 沢には橋脚が、右岸には小さいですが橋台が残されています。 |
振り返って左岸を撮影しました。 やっぱり、ここの石垣の橋台はピタッとしており、かっこいいと思います。大げさかもしれませんが、お城の石垣みたいです。 |
軌道跡は適度な湿り気があり、ミズバショウの生息地となっていました。 |
その後、もう一度右岸に渡ったのですが、橋脚などの遺構を見つけることができませんでした。 まだまだ先に進めそうでしたが、この辺りでビビって引き返しました。 |
結局、調査は途中で終了し、分水嶺まで行くことはできませんでした。 居住地からの距離に比例してチキン度がアップするほか、下北半島ではクマの目撃情報が多いことなどから、ビビってしまいました。トホホ…。 しかし、他の地域と違った石垣を発見できて、ちょっと満足です。また機会があったら再調査してみようと思います。(でも遠いんだよね〜。) |