(2024.8.12 公開) 

 (この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。)
坪川林道
坪川林道(乙供森林鉄道)は青森県の東部、上北地域の七戸町乙供(おっとも)を起点に大坪川沿いに敷設されていました。大正8年に開設、延長は約28qで、青森県内では津軽森林鉄道に次ぐ長さでした。

そして、特徴的なのは、かつて神風鉱山と呼ばれていた上北鉱山(高森鉱山)から産出された銅鉱石の輸送も坪川林道で行っていたことです。

上北鉱山は昭和10年頃から本格的に開発が始まり、昭和19年9月には月産銅量が1,400トンを超え、当時は日本最大の銅山でした。昭和30年代後半になると海外からの輸入による需要減や、鉱山の資源枯渇により、昭和48年に閉山となりました。

当初、上北鉱山から産出された鉱石は坪川林道を利用して乙供駅へ出荷されていましたが、産出量の増加により鉱山から北西にある青森市の野内駅まで索道が設置され、鉱石は索道で、人や重量物の運搬は坪川林道を利用することに整理されました。

現地調査は2004年から断続的に行っており、写真の撮影時期はバラバラです。   



(この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。) 
 

青い森鉄道の乙供駅です。

かつては貯木場があり、木材や木炭、鉱山へ運ぶ物資などがたくさん積まれていたほか、鉱山に働きに行く人で賑わっていたそうですが、現状からはとても想像できません。  


 
軌道跡は乙供駅から北西に進み、公園や水田の中を通ります。
この先は林となるので、別の道から回り込みます。  


 
林の中に軌道跡が続き、一部は現在も通ることができます。何の変哲もない道で、特に遺構を見つけることはできませんでした。


(この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。) 


 
 林を抜けると、水田地帯を西へ進みます。軌道跡は写真の右側の水田の中を進みます。 


少し進むと北西に方向を変え、廃止された南部縦貫鉄道跡をアンダークロスします。


 
正面に南部縦貫鉄道跡の築堤が見えてきました。


@地点です。

この橋の上が南部縦貫鉄道跡で、先に敷設されていた坪川林道を越えるためだけに橋が作られたと思われます。

ある意味、坪川林道の遺構といえるのではないでしょうか。


A地点で国道4号を横切ります。写真の横断歩道の辺りに踏切信号機というものがありました。 


〔県内初の踏み切り信号機 乙供森林軌道に完成〕

上北郡天間林村後平の国道四号線に、このほど県内では初めての踏切信号機が完成、十日から動き始めた。この踏み切りは乙供駅から上北鉱山に達する乙供営林署の森林軌道に作られたもので、列車は一日に一、二回しか通らないが、それでも踏み切りは踏み切り、道交法によってここを通る車は必ず一時停止しなければならない。(中略)こんどでき上がった信号機は赤と青のランプがあり、軌道車が通るとき以外は青ランプがつきっぱなし。青ランプの時は車の一時停止は不用という仕組み。「大半の踏切についている信号機は実は道交法でいう警報機。本もの信号機は県内ではこれが初めてこれで運転手諸君の負担もだいぶ軽くなるでしょう。」と七戸署ではいっている。 
 【東奥日報 昭和38年5月15日から引用】   
昭和38年に完成したとのことですが、同年に軌道が廃止されたのであまり役に立たなかったかもしれません。 



国道を渡った先は畑の中を進みます。この先の線形はM字になっており、何かあるのか気になってはいたものの、現地調査をずっと行っておらず、ようやく最近調査しました。


この区間は林の中を進み、急に雰囲気が出てきます。

地図上は道として記載されていますが、実際に通るのは困難です。


 
築堤のようになっている箇所や、堀割になっている箇所があり、軌道跡であることが分かります。 


 
M字の線形でグニャグニャと曲がりながら進むので、現地調査では意識しないとどこを通っているか分からなくなります。
そして堀割部分に水が溜まっており、長靴を履かなかったので通るのに苦労しました。 


B地点です。
M字の左上の地点で林から水田地帯へ脱出しました。

出てきた方向に振り返って撮影しましたが、こちら側から見ると、どこが軌道跡なのか探すことは困難です。


 
C地点です。左の写真はB方向を撮影したものです。軌道跡は道が切れている辺りで右側へ進むのですが、やはりどこが軌道跡なのか分かりません。 
右の写真は進行方向を撮影したものです。この先も同様に林の中を進んでいきます。


 
林を抜けて県道242号を越えて、県道南側の水田横や林の中を進みます。  



(この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。)


 
しばらくすると、軌道跡は今度は県道の北側を進みますが、現在は水路として活用されているようです。  


天間ダムの手前で、県道はみちのく有料道路から分岐し、ダム湖の北側を通ります。



(この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。)
ダム湖の西側は、時期によっては水位が下がり湖底が見えるようになります。 


 
県道からダム湖を撮影しました。
この辺りには、かつて県の政策で入植が行われた羽鳥集落がありました。製材所や合板工場などもあったそうです。
建物の土台や大坪川を渡る二戸ノ瀬支線の橋脚跡などを確認することができます。


県道をそのまま進むと、半兵ヱ沢に使われていない橋が残されていましたが、位置的に考えると、軌道跡ではなく県道(車道)の旧道と思われます。


県道の脇にはおなじみの軌条を活用した柵の残骸がありました。

ダム湖北側から目視で軌道跡を確認するのがちょっと限界なので、このまま県道を進み、みちのく有料道路の天間大橋へ移動します。


みちのく有料道路の天間大橋が見えてきました。

そしてその下にガーダー橋があります。


天間大橋の真下にガーダー橋が架かっており、これが軌道跡?のようです。


 
かつては木橋だったらしく、ガーダー橋の下に橋脚跡が見られます。 
(カーソルを合わせると水没時の写真を表示します。)


橋の上には鉄板が敷かれており、軌道廃止後に自動車で通行できるようにしていたと思われます。

ちょっとダム湖方向に戻って進んでみます。


軌道跡が明確に残っています。まっすぐ続いていていい感じです。


 
更に進むと、道床が若干盛り上がっており、いつ通ったのか分かりませんが車のタイヤ跡がありました。


 
小さな沢を渡る箇所にはかろうじて石垣や橋脚跡が残っていました。その先は路盤が崩れたのか、それとも水没したのか分かりませんが、進むことができなくなり断念しました。ここで引き返します。



天間大橋から先の軌道跡は、みちのく有料道路と重複して進みます。

普通の道路で、面白みがないのですが、途中で道路脇に怪しい空間を発見しました。


 
先に進むと、またしてもガーダー橋を発見しました。橋の上もなんとか通れるようになっています。


 
橋の下には橋脚跡のようなものがあり、よく見るとガーダー橋を支えているようにも見えます。


銘板をみると、「昭和34年3月青森営林局建造デックプレートガーダー」と表示されています。

坪川林道の全線廃止が昭和38年なので、仮にこのガーダー橋が軌道の遺構だとしたら数年しか使用されていないことになります。 



(この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。)
県道はみちのく有料道路から分岐し、南へと進みます。軌道跡も県道沿いに進みます。


県道はみちのく有料道路から離れ、右側の道を進みます。軌道跡も県道を進みます。

ちなみにみちのく有料道路は、結構スピードを出した車が通るので、調査の際には注意が必要です。


この先は未舗装となりますが、県道のためか比較的進みやすい道になっています。


 
県道から外れた所に一筋の築堤らしきものが続いており、その先には怪しげな木柱がありました。 


 
木柱に近づくと、金具が残されていました。どうやら橋脚跡のようです。


 
   
  橋脚跡の先には、倒れてしまった橋脚や橋桁の残骸が残されていました。


 
     
築堤の上は、通路のように進みやすくなっていました。

また、築堤をよく見ると、石垣で補強されている部分がありました。
 


 
     
  そして、しばらく進んだ小さな沢を渡る箇所でも、県道とは別に軌道跡があり、橋脚が残されていました。


軌道跡はいよいよ終点の坪川停留所に到着です。

詳しく紹介しませんが、地図には上北鉱山関係の遺構も記載しました。

(この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。)


軌道跡とは関係のない橋脚跡が見えてきました。これはかつて鉱山の町の遺構です。

長かった軌道の終点はもうすぐです。


少し開けた場所に着きました。ここが坪川停留場跡、終点と思われます。

ここでは軌道の遺構は何も見つけられませんでした。

軌道跡の調査はこれで終わりですが、この先の上北鉱山跡へもちょっと進んで見ました。



県道は、軌道終点の坪川停留場から南へ高度を上げて進みます。すると上北鉱山の施設跡が見えてきます。
 
山の中に突然現れる選鉱場の跡は、個人的には壮観な光景と感じました。
     
昭和32年の上北鉱山事業所案内によると、人口は約3,500人、アパートなどの住宅、共同浴場、理髪店、生活用品供給所、病院、学校、劇場などがあったとのことです。しかし、昭和46年に坑内採掘作業を中止、昭和48年には露天採掘作業も中止され、事実上の閉山となりました。 現在は、鉱毒の中和処理が行われているそうです。 


坪川林道二戸ノ瀬支線

(この地図はカシミール3D「山旅倶楽部」を使用して作成しました。)


二戸ノ瀬支線は、先ほど紹介したダム湖で坪川林道本線から分岐してスタートします。大坪川を木橋で渡っていました。

この分岐点に近づくために、県道で先に進み、二戸ノ瀬川を渡ってから戻ってみることにしました。


調査が前の写真とは時期が異なり、春先になってしまい、雪が若干残っています。

二戸ノ瀬川を渡る県道の橋から上流方向を撮影しました。この空間が軌道跡と思われます。

上流方向は後回しで、先にダム湖方向へ進みます。


橋を降りてダム湖方向へ進みます。

雪がくぼんでいる箇所が軌道跡と思われます。ちょっと進みにくいです。 


 
先に進むと、石垣が残されていました。やはりここは軌道跡のようです。 


ダム湖に向かって軌道跡の道床がうっすらと確認できます。 


 
軌道跡をたどっていくと、ダム湖の中へと消えていきました。水量が多くて木橋跡までたどり着けませんでした。


さて、戻って上流方向に進みますが。何の変哲も無い林道となっています。


何かないかと周囲を探すと、林道から外れた箇所に空間を見つけました。


 
先に進むと、木橋跡がありました。   


 
ここの木橋跡には、橋脚は見当たりませんでしたが、橋桁が残されていました。


 
橋台部分の石垣や、枕木についた犬釘も残されていました。


先に進む前に振り返って撮影しました。
さようなら木橋跡。


 
しばらく上流方向に進むと、林道と合流しますが、この先は特に遺構を見つけられず、引き返しました。  


坪川林道は平地部分や、県道などに整備された箇所が多く、遺構が少ないかと思っていましたが、なんとかネタを探して盛り込んでレポートを完成させることができました。

南部縦貫鉄道跡、閉山した上北鉱山、ダム湖に沈んだ羽鳥集落などがあり、通常の軌道跡より歴史や人の営みを感じられた調査となりました。これらは今は静まりかえっており、ちょっと寂しい感じですが、存在を記憶にとどめ、決して忘れません。


( 線名 地図 )