(2010.10.19公開) |
津軽森林鉄道 内真部〜後潟間の支線 この区間の支線は、国土地理院の地図に記載がなかったり、線名が判然としないなど、あいまいな点があります。それでも、若干遺構が見られましたので、まずまずかと思いますが…。 調査の時期は2002年〜2007年ですが、一部は最近の写真となっています。 |
|
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平22業使、第324号) |
1 六枚橋支線 津軽森林鉄道本線との分岐点です。 本線は正面の林を進んでいきますが、六枚橋支線は現林道を左方向へ進みます。 |
どんどん進みましたが、なんのへんてつもない林道で、遺構を見つけることが出来ませんでした。 |
途中、大きな堀割がありましたが、軌道もここを通っていたのでしょうか? この堀割を回り込んだ箇所に軌道跡らしき空間がありましたが、草が繁茂しており、よく分かりませんでした。 |
2 母沢支線? 最後まで踏査したわけではありませんが、特に遺構を見つけることができませんでした。 途中の橋で怪しい橋脚跡のようなもの(写真右の草手前)がありましたが、違うかな? |
青森県内各地で「母沢(もさわ)」という沢がいくつか見られます。「青森林友(128号)」の記事によると、アイヌ語のmo(2つのものが並んでいる場合に大きい方を親と考え、小さい方をmoという)に沢をつけたもので、大きさの比較は必ずしも長い沢とか短い沢の比較だけではなく、沢の合流地点で入口の小さい方が母沢になっているとのことです。 |
3 焼家戸支線 こちらも最後まで踏査していません。 六枚橋支線から分岐し、すぐに六枚橋川を渡る橋を撮影しました。 |
写真ではちょっと分かりにくいですが、橋の下をよく見ると、昔の橋脚跡がありました。 軌道時代のものかは不明ですが…。 |
途中まで進みましたが、結局何も無さそうなので引き返しました。 |
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平22業使、第324号) |
4 後潟支線 本線からの分岐点と思われる地点から撮影しました。 支線は、現在の林道よりやや南側から分岐しており、林の間が軌道跡と思われます。 |
林の間は、地図には記載されていませんが、農道と水路になっているようです。 |
その後、軌道跡は現林道と合流して進みます。 写真は小川平支線との分岐点で、中央の小さな広場は大原公園です。後潟支線は左へ進みます。 なかなかいい感じの風景です。 ※カーソルを合わせると春の写真になります。 |
2002年に初めて調査しましたが、当初は林道が工事中で途中までしか進むことが出来ませんでした。 ※カーソルをあわせると工事後の写真を表示します(2007年撮影)。 |
途中で、林道脇に橋脚跡のようなものを見つけました。 軌道は、ほとんどが現林道を通っていたと思われましたが、一部は若干ずれた箇所を通っていたかもしれません。 |
橋脚のようなものには、金具が付いていました。 | 反対岸から撮影しました。梁のようなものが見 えます。 |
さらに進むと、林道は後潟川よりやや高い箇所を通ります。 川を望むと、軌条らしきものが見えました。 |
川岸へ降りてみると、やはりそれは軌条でした。 対岸にも2本の軌条が見えます。 |
また、川岸には、金具の付いた橋脚がありまし た。軌道はここを渡っていたのでしょうか。 |
現林道から川岸へ降りる間に、一筋の空間があり、軌道はここを通っていたと思われます。 |
川岸を上流に進むと、またしても軌条がありまし た。なぜ、この部分にだけ軌条が残っているの か、謎です。 |
上流には堰があり、軌道跡は林道から外れて このまま川沿いに進んでいたと思われます。 |
林道を少し進み、川岸近くを撮影しました。 明確な軌道跡は見つけられませんでしたが、このような広い箇所を通ったのではないでしょうか? |
5 後潟支線延長線(大川目林道?) 後潟支線の終点と思われる地点です。 国土地理院の地図には、軌道はここまでしか記載されていませんが、営林局の昭和23年管内図にはこの先にも記載があります。 大川目林道は右を進みます。 左は松ノ沢林道です。 |
途中には毎度おなじみ、軌道を活用したゲートの柱がありました。 |
林道を進んでも、それらしき遺構を見つけることが出来ません。 林道はどんどん高度を上げて、川から離れていきます。 管内図では8回ほど川を渡っているので、どこかに橋脚跡などがあるかもしれませんが…。 |
更に進んでも遺構を見つけられません。 治山ダムを越えると、林道は河床とほぼ同じ高度になったので、川へ近寄ってみました。 写真中央に何か木片があります。 |
それは犬釘が付いている枕木でした。 ここまで遺構を見つけられなかったので、地図に記載されていたのは未成線かと疑りましたが、やはり軌道は存在したかと思います。 (別の所から持ってきた枕木を何かに利用し、流れ着いたという可能性も否定できませんが…) |
6 後潟支線延長線(松ノ沢支線?) 松ノ沢支線はあまり資料に記載がないのですが、昭和14年に開設されているようです。 また、昭和21年度施業案説明書を見ると、後潟支線の延長として記載されています(線名の記載はなし)。 写真は、後潟林道終点にあった看板ですが、支柱に「←大石(倉?)沢林道」と記載されており、支線名とは異なっていました。 |
分岐後、すぐに川を渡ります。 橋の跡がありますが、軌道時代のものではないと思います。 ※ カーソルを合わせると、2004年の写真を表示します。折れているものの、撮影当時は何とか渡ることが出来ました。 |
軌道跡は川沿いを進む普通の林道で、つまらないかと思っていましたが、この後、例のアレがたくさん出てきました。 |
少し進むと、川の中に継目板で繋がったままの軌条がありました。 |
さらに上流に進むと、至る所に軌条が残されていました。こちらも継目板で繋がったままの状態で、先ほどより長いものが多く見られました。 |
軌条は川の中だけでなく、林道の脇にもありました。また、川の向こう岸にも曲がった軌条を見つけました。この一帯には、探せばどこにでも軌条が見つかるので、逆に軌道跡がどこだか分かりませんでした。 |
川岸で犬釘の付いた枕木を発見しました。 軌条はたくさんありましたが、枕木はこの1本しか見つけられませんでした。 |
林軌道跡はまだ上流に続いているようですが、この先は調査しませんでした。 |
少しだけ近くを調べましたが、軌条が立っていました。 どのようにしてこうなったのでしょうか…? |
そして、周囲にはまだ多くの軌条が様々な形で残っています。 上流が気になりますが、この辺りで引き返しました。 |
7 小川平分線 蓬田村瀬辺地の小川平川沿いにも林道がありますが、軌道があったのは後潟支線から分岐しているこちらのようです。 後潟支線と分岐してすぐに、軌条を活用したゲート柱がありました。 |
しばらく先に進みましたが、遺構を見つけることができず、途中で引き返しました。 写真右の木の堰は、林業機械の通路のための橋と思われます。 |
後潟支線と松ノ沢支線では多くの軌条が見られましたが、他の地区とは様子が少し違うように思えます。一体何が起こっていたのでしょうか。 「昭和21年度内真部第2事業区施業案説明書」によると、後潟支線については「昭和18年水害のため小川平支線分岐点以上は大破使用不能(未復旧)」との記載があります。 また、青森林友104号には「…昭和16年金木内真部をおそった大雷雨も被害を与えた。…(略)六枚橋川も川幅が6倍くらいになり、人夫小屋なども被害を受け支線は砂岩の路面だけが残り流木がまだ多数残っていました。下流は田の中に枝条が大塊になって盛んに整理中でした。…(略)後潟も相当被害あり支線のごときはホウキではいたように川床まで清浄され林道は堅い部分だけが残つていましたが、内真部より被害程度は少かつた。」との記載がありました。 以上から、戦前に数回の水害で軌条が流され、復旧を諦めて放置された、または軌条を回収せずに復旧を行ったと考えられますが、どうでしょうか? |
軌条放置の原因について断定出来ず、かつ中途半端な調査(特に松ノ沢支線は先に何か残っている可能性もありそう…)で、なんだかよく分からない結果になりました。 そして、今回の支線の調査では、ステキな生き物たちとの出合いがありました。 |
|||||
ヘビこわーい…(危うく踏みそうになりビビッた…トホホ)。 |