(2008.5.7公開) |
津軽森林鉄道 薄市の支線 薄市に存在した支線は、他の支線に比べ廃止が比較的早かったようで、その位置や線名などが判然としませんでした。 |
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平19総使、第611号) |
軌道の位置については、国土地理院の地図には薄市支線しか記載が見られず、管内図などの各種資料から想定しました。細かいことですが、昭和22年までの資料では、記載されている距離から考えると、薄市支線は森林鉄道本線から母沢線との分岐点までで、そこから先は中ノ股線となっていました。 線名は資料によって「相ノ股」「中ノ股」の「ノ」が無かったり、「ノ」がひらがなの記載だったり、「中ノ股」でなく「仲ノ股」の記載であるなどはっきりしませんでした。 調査は2003年と2007年に行いました。 |
1 薄市支線 薄市支線は大正初期に母沢線分岐付近の貯木場まで敷設されており、他の支線より早く敷設されています。 本線から分岐した支線は、薄市集落の中を通り東へと進みます。 道が狭いことがかつて軌道であったことを思わせますが、特に遺構などを見つけることはできませんでした。 |
集落の先は、薄市川沿いに進んでいきます。 母沢線との分岐点で、母沢線方向を撮影しました。薄市支線は写真右へと続いていきます。 かつてはこの辺りに貯木場があったのですが、現在は水田や畑となっているようです。 |
母沢を渡る箇所で草に埋もれた橋脚跡を見つけました。 右の写真は裏から見たところです。ちょっとこげた跡がありましたが、なんとか残っていてくれていました。 |
さらに先に進むと、少しひらけた場所に出ます。 道端には軌条を活用した小屋跡が残っていました。 2007年の調査時には、この辺りで車から降り、自転車で進みました。 |
途中の川を渡る箇所で橋台跡らしき物も途中で見つけました。コンクリでちょっと新しすぎて軌道跡とは関係ないと思いますが…? |
薄市支線の終点と思われる地点です。 林道は写真右へと続いており、その林道が中ノ股線跡と思われます。 なお、写真ではさらに先に細い道が続いていますが、薄市支線はこの先にも続いていたかもしれません…? |
終点付近には、軌条を活用した柵?がありました。 また、ヒバが規則的に植えられている箇所があり、樹のそばには「蟹田」「増川」などの地名(営林署名?)の札がありました。実験林あるいは展示圃でしょうか?それとも、この辺りにかつて苗圃があったようなので、それに関連したものかもしれません。 |
2 中ノ股線 薄市支線終点から引き続き林道を進みます。なんのへんてつもない林道です。 自転車で進むには走りやすい道でした。 |
林道は中ノ股沢沿いに進んでいきます。 中ノ股沢上流には堰があり、林道はそれをよけるように坂道で進みます。昔は堰がなかったと考えると、現林道とは別に軌道跡があるはずです。 坂の手前に怪しい道(写真左側)があったので、ここを進みます。 |
進んでみると、以外と広い道でした。 轍があるので、かつては車が通っていたようです。 |
進みやすいと思っていましたが、中ノ股沢に突き当たり、道が無くなりました。 沢を渡って起点方向を撮影しました。 |
近くに何かないか探したところ、一筋の盛り上がった箇所がありました。 軌道の道床だったかと思われますが…? |
道床らしき跡をたどっていくと、沢の手前に石垣らしきものが見つかりました。2つ前の写真の中央あたりです。 軌道跡かどうかの断定はできませんが、人工的に作られた橋台かと思います。 ちなみに橋脚跡は見つけられませんでした。 |
中ノ股沢を渡り、しばらく進むと堰が現れました。 軌道跡も見つからず、先に進むことができないので引き返しました。 |
林道は高度をとって堰を迂回します。写真はしばらく進んだ後、起点方向を撮影したものです。 写真中央で右側に分岐している道があり、堰へと続いていますが、これが軌道跡と思われます。 この道は2003年に調査しましたが、遺構を見つけることはできませんでした。 |
中ノ股沢沿いに林道は続いていきますが、水たまりにカエル君がたくさんいた以外は、特に何も見つけられませんでした。ゲコゲコ。 |
ショボくれて引き返えす途中、林道の真ん中に埋まっている軌条を見つけました。 林道を横切る溝?水路跡?に埋められており、逆さまに設置されているようでした。 |
3 相ノ股支線 普通の林道で、遺構を見つけることができませんでした。トホホ…。 |
4 母沢支線 管内図などの地図を見ても母沢支線の記載がないのですが、おそらく現林道が軌道跡と思います。 薄市支線から分岐し、水田の中を進んでいきます。 |
林道には数カ所の橋がありますが、写真はそのうちの1つです。 |
橋の下を見ると、木製の橋脚が残されていました。 しかし、その橋脚をよく見ると… |
誰かがわざとやったのか、それとも増水時に偶然挟まったのでしょうか? なんとコンクリートの橋桁と橋脚の間に角材が挟まっており、ある意味現役で橋桁を支えて活躍?していました。 この橋脚は新しい橋の工事時にはじゃまにならなかったのか気になります。 |
反対側には橋脚が切られた跡は残っていました。 ※カーソルを合わせると、その箇所が表示されます。 |
軌道があったことを証明できる決定的な遺構を発見できず、ショボい調査結果となりました。 軌条を活用した柵などは、森林鉄道廃止後、はずされた廃軌条を各地で再利用されていたので、そこにあったものとは限りませんし、橋脚は牛馬道や自動車道として利用されていたものかもしれません。 まっ、机上調査の結果を踏まえながら、軌道跡を進み想像しているだけで楽しいので…負け惜しみです。トホホ…。 |