(2012.1.19公開) |
津軽森林鉄道 蓬田~蟹田間の支線 この区間には多くの支線が存在していましたが、調査の結果、ほとんど遺構を見つけることができず、ショボい結果となりました。 また、調査時期は2002年~2007年とちょっと古く、記憶があまり残っていないほか、撮影したはずの写真の一部が見あたりませんでした。 |
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平23情使、第705号) |
1 長科支線 本線からの分岐地点を撮影しました。 少し先まで進んでみましたが、何もなさそうなので引き返しました(撮った写真がどこかに無くなってしまいました…トホホ)。 |
2 阿弥陀川支線 本線との分岐点と思われる箇所です。蟹田方面を撮影しました。 本線は茂みの右へ、阿弥陀川支線は左方向へ進みます。 |
4~5㎞進み、赤倉岳登山口近くまで行きました。道は続きますが、川には橋が架かっていません。 結局、遺構を見つけることができませんでした。 |
3 蓬田支線 本線との分岐点を撮影しました。蓬田支線は林の手前を左に進んでいきます。 |
しばらく進み、分岐点方向を撮影しました。 水田の中を進んでいたようです。 |
先に進みましたが、例によって何も遺構を見つけることができませんでした。 |
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平23情使、第705号) |
4 瀬辺地支線 JR津軽線瀬辺地駅南側で青森方向を撮影しました。 おそらくこの辺りが分岐点と思われます。 |
水田の中を通る農道が軌道跡と思われます。 この辺りで瀬辺地川方向へ分岐があったようですが、よくわかりませんでした(写真左のビニールハウスの辺りか?) ちなみに、この辺りは現在国道280号バイパスができたため、風景が変わってしまいました。 |
水田を横切り、林の中を進みます。軌道跡らしい怪しい空間がありましたが、軌道跡かどうか不明です。 |
林道の横にに盛り上がった跡が続いていました。おそらく軌道の道床跡と思われます。わかりにくいですが、右写真の中央に排水用の管が通されており、人工的に作られたものであることがわかります。 |
先に進みましたが、またしても何も見つけることができませんでした。 |
5 瀬辺地支線高根分線 瀬辺地支線から分岐すると小さな尾根へと向かいます。緩やかな坂道となっており、東方向へカーブしていきます。 |
東へ向かうとすぐに、右写真のように行き止まりになりました。「道を間違えたか?」と思いましたが、とにかく先に進んでみました。 |
すると、北方向へわずかな空間が現れました。 これは、行けるか? |
少しずつ空間が開けてきました。やはりここは軌道跡のようです。 わかりにくいですが、右側には木製の土留めのようなものが設置されていました。 |
尾根部分は、このように堀割になっていました。 道床は枯葉が堆積しており、ぬかっていて歩きにくかったです。 |
尾根からの下り部分は、軌道跡が明確に続いていました。 |
広瀬集落から高根集落に向かう道路を撮影しました。 尾根から下ってきた軌道は道路を横切って進んでいきます。 (カーソルを合わせると軌道跡が表示されます。) |
道路から尾根方向を撮影しました。 赤線の部分に軌道跡で、尾根の向こう側が起点方向になります。 (カーソルを合わせると軌道跡が表示されます。) しかし、このように逆勾配での運材は不自然です。 支線を敷設するならば、広瀬集落北部から西方向に進めば逆勾配にならずに済んだと思うのですが…。 水田の中を通るので用地買収がうまくできなかったのでしょうか?真実はわかりません。 |
軌道は高根集落内を通っていました。集落に入る前に広瀬川を渡っていたのですが、橋跡などの遺構を見つけることができませんでした。 |
近くの畑で作業していた方に聞いたところ、軌道は畑の脇を通っていたとのこと。 その箇所で写真を撮ったのですが、イマイチよくわかりませんね…。 |
高根集落内にある学校跡地です。軌道はこの学校の脇を通っていたと思われます。 |
高根集落の先は、水田の脇を進んでいました。 水田の右側が軌道跡と思われます。 |
水田を過ぎ、林の中へと進みます。軌道跡が明確にわかるようになってきました。 |
ここは高根分線(左)と砂川線(右)の分岐点です。 分岐箇所は明確にわかったのですが、特に遺構を見つけることができませんでした。残念です。 |
分岐後、林を抜けて再び水田脇を進みます。 林の中の空間が軌道跡と思われます。 この手前の沢部分には橋脚跡らしきものがありましたが、遺構かどうかは不明です。 また、プレードガーダーらしきものもありましたが、農業用水のものでした。 |
水田脇を通った後、現在の林道に合流して先に進みます。 こちらも残念ながら、遺構を見つけられませんでした。 |
ちなみに、ここが現林道との合流地点です。 起点方向を撮影しました。 左側が軌道跡です。草の繁茂がすごかったので先には進んでの調査はしなかったのですが、なんとここから急におじさんが出てきてビックリしました(笹か何かを採っていたようでした)。熊かと思いました。 この茂みの先が軌道跡であることや、砂川沢にも支線があったことを教えていただきました。 |
6 高根分線砂川線 高根分線から分岐し、林の中へと軌道跡は進んでいきます。 |
次第に軌道跡が不鮮明になってきて、ちょっと不安でしたが、脇に営林署関係の標石があり、安心できました。 |
砂川沢沿いを進みました。これが軌道跡?かな? |
どんどん進みましたが、遺構を見つけることができませんでした。 とうとうどこが軌道跡か判然としなくなり、あきらめて引き返しました。 ちなみに、国土地理院の地図では砂川沢沿いに道の記載はありませんでしたが、蓬田村のゼンリン地図には道の記載があるほか、3カ所も橋の記載があることに調査後に気づきました。もしかするとまだ先に遺構が残っているかもしれません。 |
この地区を調査したのは約9年前で、まだまだ調査方法も未熟で、遺構をほとんど見つけられませんでしたが、軌道跡らしき箇所を見つけては喜んでいました。しかし、通りがかりの人に森林鉄道のことを聞いたところ、「そんなものはなかった」と言われたこともあり、今となっては良い思い出です(でもやっぱりショックでした…トホホ…)。 |