(2011.5.31公開) |
増川付近の林道 この地区には、昭和7年から設置されている「増川施業実験林」があります。 昭和6年に、松川恭佐(まつかわきょうすけ)氏は「森林構成群を基礎とするヒバ天然林施業法」理論を確立しました。 この理論は「成長が遅いヒバを適切な択伐施業で取り扱うことで、ヒバ本来の成長力を引き出し、その生産力を維持していく」というものです。 この理論の実証のために、ここ増川施業実験林と下北半島の大畑施業実験林を設定し、研究が行われてきました。 |
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平23情使、第93号) |
昭和初期から実験林内にも軌道が敷設されていたということで、何かありそうと期待していたのですが…。 調査は2003年、2008年に行いました。 |
1 増川林道(西ノ股支線) 増川川の河口にはかつて増川営林署と貯木場がありました。増川林道の起点もそこにありました。 写真は2003年に撮影した旧増川営林署です。すでに閉鎖されていました。 かつては貯木場の付属施設として海方向へ桟橋があり、60mの軌条を敷設し木材の海上輸送に活用されていたとのことです。 |
写真右は貯木場跡で、中央の建物は三厩森林事務所です。 この近辺には、レールを活用した柵や倉庫などが残っている以外は、何も遺構は無かったのですが、近くの住民に聞いたところ、この道路はかつては複線の軌道が敷設されており、もっと栄えていたとのことでした。 増川林道は左方向に進んでいきます。 |
ちなみに、貯木場の周囲の電信柱には、かつての営林署統合反対のチラシが残されていました。 この中で一番古いのは、新町営林署と田山営林署の統合で昭和54年3月です。 それから30年以上経過し、国有林野事業の縮小がさらに進み、「営林署」は無くなりました。 |
貯木場からすぐの区間の軌道跡はほとんど道路と化していましたが、一部は林の中を通っていたようです。 ちょっと判断しにくいですが、地図上ではここが軌道跡と思われます。 この部分を遠くから撮影したものが次の写真です。 |
軌道跡は運動公園を通過します。 運動場から起点方向を撮影しました。林が切れている部分が軌道跡と思われます。 |
軌道跡は再び林道になっていましたが、いくつかある橋の下をのぞくと橋脚の跡がありました。 軌道との関連は不明ですが…。 |
南股支線との分岐点より先は、西ノ股支線として増川林道と分けられていた時期もありました。 これといった遺構がない中、ちょっとわかりにくいですが、落ちている軌条を見つけました。 |
林道沿いの西股沢に降りてみると、このように一部には石垣が見られました。 苔が生えており、古くからあるような感じがしますが、軌道との関連は不明です。 |
また、近くには電柱が倒れていました。 事業所と貯木場の通信用のものと思われます。 |
滝ノ沢支線分岐の手前で、西股沢の向こうに怪しい石垣を発見しました。 |
これは橋台跡でしょうか。もしかして軌道と関係あるのか、とドキドキしました。 しかし、調べてみると、かつて川の向こうに宿泊所が存在していたので、そこへ向かう橋跡と思われます。 |
宿泊所跡には、軌条を利用した柱や、火の用心の看板などが残されていました。 ここの宿泊所は戦前に建てられましたが、戦後には、ここから少し離れた滝ノ沢支線分岐付近に実験林事務所が新たに建てられました。 その事務所も今はもうありません。これらの建物は松川氏も泊まりがけで利用していたようで、地元の方々は「山のホテル」と呼んでいたそうです。 なお、滝ノ沢林道分岐の先も軌道は続いていたようでしたが、遺構を見つけることはできませんでした。 |
2 理右ェ門沢支線 増川林道から分岐してすぐに増川川をわたるのですが、橋跡を見つけられませんでした。川幅も結構あり、何か残っていると思ったのですが…。 しかし、その先の理右エ門沢を渡る箇所で、隣に怪しい物がありました。昔の橋でしょうか? |
上から見ると、こんな感じです。左側が現在の林道です。 橋の敷き板は枕木のようなものが使われています。既に雑草が生えており、かなり時間が経過しているようです。 |
橋の下部をみると、古軌条を活用した橋桁となっていました。 森林鉄道廃止後に、古軌条を活用した半永久橋が各地で造られたとの記録があるので、これは軌道廃止後に造られた橋だと思われます。 この先は、何もなさそうと思い、調査しませんでした。 |
3 南股支線 増川林道との分岐点です。南股支線は左方向に進みます。 |
増川川沿いの暗い林床を、何のへんてつもない林道が進みます。 |
さらに先に進みましたが、特に遺構を見つけられませんでした。しかし、川に怪しげな木の構築物がありました。 関係ないかな? ※ 南股支線について追加調査を行いました。 調査結果はこちら。 |
4 滝ノ沢支線 滝ノ沢支線は増川林道から分岐し、実験林の中を進んでいきます。 この起点付近には、かつて実験林事業所がありました。 |
レッツゴー!! 実験林を訪れる見学者や、近くの鋸岳への登山者への呼びかけです。 |
林道は、始めは緩やかな坂となっているのですが、だんだんと傾斜が急になってきました。 ハアハア。 |
どんどん上っていくと、滝が見えてきました。 この滝は「見おろしの滝」というそうです。 滝ノ沢上流からの運材のために、かつてこのあたりにはインクラインが設置されていました。 しかし、昭和19年から26年までの施業中止期間中に放置されたため、インクラインは破損し、上流の軌道はほとんど埋没し、使用不能となったそうです。 その後は、突き落としによって滝ノ沢に材を落とし込み、下部に簡単な堰を作り蓄材した上で運材したとのことです。 |
先に進みましたが、何も遺構を見つけることができなかったので、実験林40周年の記念碑を見てから帰りました。 記念碑には、松川氏の「森におくる」詩が記されていました。 |
帰りに怪しい分岐した林道を見つけ、関係ないと思ったのですが、とりあえず撮影しました。 しかし、どうやらこの先が滝ノ沢支線の続きだったようです(地図を見間違えた…ガックシ)。 |
ちなみに、位置関係はこんな感じです。 | |
出典:「電子国土」 URL http://cyberjapan.jp/ |
何かありそうな感じがしてたのですが、決定的な遺構を見つけられませんでした。 林業についての知識もほとんどないので、実験林を見ても「?」でよくわかりませんでした。しかも、最後は、地図の見間違えという初歩的なミスでまたしても中途半端な調査で終わってしまいました。 ちなみに実験林内は自動車進入禁止のため、再度調査に行くのはちょっと疲れます…トホホ。 |