(2006.2.20公開) (2009.10.17追記) |
机上調査では様々な資料を見たのですが、それらの資料の整合性が取れず、軌道の位置や林道名は推測に過ぎません。 例えば、「全国森林鉄道(JTBキャンブックス)」等による全国森林鉄道一覧表では小泊林道は昭和15年に廃止になっていますが、国土地理院の地図や営林署管内図ではそれ以降にも記載があること、磯松小泊連絡林道の距離が磯松から小泊までとすると距離が合わないことなどです。 言い訳ですが、そこにかつて軌道があったという事実により、現地でその遺構を調査できれば、林道名を正確に判明することはできなくてもいいかなー、とか思って割り切っちゃいました(でも気になるー)。 ※ 追記 「相内事業区施業案説明書」(青森営林局)を見ると、昭和15年以降も小泊林道は存在しているようです。 |
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この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第726号) |
磯松小泊連絡林道は、磯松林道と小泊林道・小泊海岸林道を結んでいます。小泊海岸林道とともに、名前にとてもひかれる林道です。 地図では、小さな峠をヘアピンカーブや切り通しで越えて進んでおり、その線形が魅力的で必ず調査したいと思っていました。 また、この林道には、未利用の隧道がありました。 どの調査でもそうなのですが、机上調査でかなり期待がふくらみ、現地調査であまり収穫を得られずガックシ…ということが多いです(調査方法が悪いのかもしれませんが)。 なお、小泊林道(地図の青線)は、明治39年に青森県内で初めて開設された軌道です(当時は板割沢軌道と呼ばれていました)。県内では同時期に磯松林道、湯ノ沢林道も開設されています。 現地調査は、車では峠部分は通れないので、小泊側と磯松側の両方からアプローチしました。 |
1 小泊側からの調査 小泊の貯木場から南東方向に軌道は延びていました。しばらくは舗装された道路を進みます。 この写真は小泊林道と連絡林道の分岐点です。連絡林道は右側の道で、さらに進むと車では通ることができなくなります。 明治時代に板割沢母沢から軌道を設置するとき、軌道敷地は作馬道を提供し、その代わり将来は小泊村民の使用を無償にするという条件がつけられたそうなので、この辺りから小泊の町までは農作物等の運搬にも使用されたと思われます。 |
連絡林道を進むとこのような感じになっています。しばらくは水田の横を通ってから峠へと進みます。 |
2003年4月上旬に訪れたました。雪は残っていませんでしたがまだ寒かったです。 一応歩いて通れそうな道が続いていました。地図上ではこの先は水田が続いていることになっていますが、耕作放棄されており、枯れた萱が多く見られます。天気も薄曇りでこのように寂しい風景でした。 |
進むとすぐに小さな木橋がありました。 軌道時代の物を一部改修して使用しているのでしょうか? |
更に進むと、萱がじゃまして通りにくくなりました。一部は湿地になっていましたが、ここが軌道跡と信じて強引に進みました。 |
こんな感じになりました。この水芭蕉が生えている箇所が軌道跡でしょうか? |
しばらくすると石垣が見られました。 ミズバショウも見えていい風景です。 …と思ったら、わかりにくいのですが写真の左側になにやら白いものがあり、よく見ると白骨化死体が! おそらくタヌキかなにかの動物のものと思いますが、ビビりました。小心者なのでこの先進むのを躊躇したくらいです。 この写真の左側がやや盛り上がっていましたが、軌道はこのミズバショウが生えている箇所を通っていたと思います。 |
その先は、軌道跡を進むのが困難になってきたので、水田跡地を進みました。 しばらくすると再び軌道跡に戻ることができ、そこには木橋跡がありました。 軌道廃止後も道として活用されていたかもしれませんが、既に壊れていました。 |
小泊方面を振り返って撮影しました。中央に電柱が見えます。 |
写真はその電柱です。 枯木と同化している電柱、寂しげです。 |
木橋跡を小泊方面から撮影しました。 橋は壊れていますが、道床はしっかりとしていました。 |
前の写真を少し過ぎた地点です。水田跡地から離れ、いよいよ峠へと進みます。 軌道跡は写真のように盛り上がっています。 |
このような小さな橋も残っていました。 ちょっと足を乗せてみましたが、壊れそうなのでやめました。 |
そして、先にも何かあると期待して進みましたが、別の林道が軌道跡を横切っており、分断されていました。 さらにその林道をを越えた辺りから、雪解け水と土が混ざってドロドロ状態の箇所があり、長靴をはいてても進むのが困難になり、あきらめました。 写真は軌道跡を横切っている林道から手を伸ばして撮影しました。まだ先に進めそうですが…。 |
この先の調査は困難そうであり、たとえ磯松へ抜けることができても車を取りに行く必要があるので、別の日に磯松側から調査してみました。 |
2 磯松側からの調査 磯松側の起点は磯松林道から分岐する地点から始まります。左側へと続く道が連絡林道です。 入り口には「相の股林道」と看板があり、昔の林道名とは異なっていました。道沿いに電柱があり、道は進みやすそうな感じです。 |
進むと、すぐにレールを活用した柵がありました。 森林鉄道・軌道を調査し始めた頃は、レールを活用した柵を珍しがっていたのですが、いろいろな箇所を調査していくうちに、特に珍しい物ではないことがわかってきました。 かつては津軽半島を軌道が張り巡らされていたので、森林軌道廃止後、余ったレールはこのような柵、半永久橋の骨組み、花壇等の枠に利用されていたとのことです。 |
はじめは進みやすかった林道も、次第に車では進みにくくなってきました。 枯れ枝や枯れ草が車に当たり、キーキーと嫌な音が…。 電柱が林道沿いまだ続いているので、まだまだ行けると確信して進みました。 |
起点から約2qから先は、車で進むことができなくなります。 ここは「トチノキ沢」です。わかりにくいのですが、写真の真ん中に沢の名称が書かれた青い看板がありました。 現在の道は写真左側にヘアピンカーブし、坂を登り進んでいきますが、軌道跡は看板の右側を進んで、もう少し先でヘアピンカーブを描いていたようです。 看板右側を無理矢理進んでみました。 |
すると、かつては軌道があったと思われるような光景になりました。 見た目は進みやすそうですが、湿地となっており、長靴を履いていて正解でした。 |
軌道跡はこの辺りでヘアピンカーブを描き、方向を変えていたと思われます。 その地点で枕木を発見しました。 ヘアピン部分は小さな沢があり、おそらく橋があったと思われますが、橋跡を発見することはできませんでした。 |
その後、方向を変えて切り通しで進みます。 ここも湿地となっており、場所によっては枯れ葉が堆積してかなりぬかるので長靴は必須です。 |
しばらく進むと、先ほどの林道に合流します。 車の轍跡がみられましたが、写真のように道の真ん中に大きな水たまりがあったり、草が繁茂していたりと、車での通行は無理と思われます。 |
しかし、水たまりを過ぎたとたん、歩きやすくなりました。 この先は峠となっており、はじめにも書いたとおり、かつては「七影隧道」がありました。現在は切り通しになっている地点に隧道跡が確認できるか期待していたのですが…。 |
…切り通し部分まで埋まっていました。 隧道跡は埋まってしまったのか、それとも別の箇所にあるのか分かりませんが、見つけることはできませんでした。 ※ 「追加調査」で七陰隧道跡を調査しています。 中央に電柱が斜めになっているのがわかるでしょうか。土砂崩れが原因と思われます。 |
西側から土砂崩れが起こっており、その崩れている部分に上がって撮影しました。 土砂崩れは年々進行しているようでした。 |
道は土砂で埋まっているので、端の方を通りました。 この斜めになっている電柱と電線が土砂崩れの凄さを物語っていました。 前の写真の電柱は新たに設置されたものと思います。 |
埋まっている峠をこえると、下り坂になり、再び歩きやすい道となりました。 夏は草だらけなので大変でした。 ※写真の上にカーソルを合わせると夏の写真になります。 |
峠を下ってきた地点で撮影しました。 小泊側の軌道跡は、ヘアピンカーブで高度をとって進んでいたと思われます。 非常にわかりにくい写真ですが、右上が峠方向、正面がヘアピン方面への軌道跡です。軌道はヘアピンカーブで方向を180度変えて、写真右上の峠方向へ進んでいたようです。 ※写真の上にカーソルを合わせると、軌道跡が示されます。 |
軌道跡の脇には、崖崩れ防止の柵がありました。 ちょっと新しすぎるので、遺構ではなさそうです。 |
写真はヘアピンカーブ上段の軌道跡です。切り通しとなっていました。 |
軌道跡はさらに小泊方面へと続きます。 ちなみに、現在の林道はこの写真の右下に続いており、一度間違ってそちらに進んでしまいました。 |
この先に、地図上にはない橋跡を発見しました。 レールは発見することができませんでしたが、枕木が残っていました。 橋脚はかろうじて残っていましたが、桁は左の写真のようボロボロになっており、一部は崩れ落ちていました。 |
だんだん進みにくくなってきました。 この先にもヘアピンカーブがあったはずなのですが、見つけられませんでした。しかし、後で地図や空中写真で確認したところ、ちょっと位置を間違えていたようなので、再調査が必要です。 このあと、現林道を経由し、小泊方面からの調査地点を確認してから、引き返しました。 |
磯松小泊連絡林道の調査はここまでですが、支線もちょっと調査しましたので紹介します。 |
小泊林道母沢支線 特に遺跡を見つけられませんでした。 軌道の終点辺りと思われる地点の写真です。道はこの先も続き、小泊ダムを経て、増泊林道で三厩まで行くことができます。 写真の中央に鳥居が見えます。林道を走っているとよく見かけますが、御神木があるのでしょうか? |
小泊林道板割沢支線 板割沢を少し進み、分岐点方向を見て撮影しました。 軌道跡は川を渡り左岸を進んでいます。この笹の生えている部分が軌道跡かな? 写真の萱の生えている部分は地図上では水田ですが、耕作放棄されているようです。この手前に軌道跡ではない新しい木橋があったのですが、おそらくこの水田に来るためのものと思います。 |
さらに進むと橋脚跡がありました。 この写真、個人的に結構好きです。 木は虫に食われボロボロで、手で触ると壊れそうでした。 今まで様々な橋脚を見てきましたが、ここまで虫に食われているのは初めて見ました。材質が違うのかな? |
川を渡った後は、道床が盛り上がっており、軌道跡はまだまだ続いていますが、この先は調査しませんでした。 |
現地調査では、この軌道跡のメインである隧道跡を見つけることはできませんでしたが、机上調査では以下のことが分かりました。 |
この林道(磯松から小泊まで?)は明治32年に青森県で最初に開設された林道(軌道敷設は明治39年〜)で当時は小泊林道と呼ばれていました。途中に峠があり十分な利用ができなかったので明治39年にトンネルの計画あり、設計まで行ったのですが実現しませんでした。 なお、「小泊事業区施業案説明書追補」(明治44年3月 青森大林区署)には「曩キニ本事業區小泊村ヨリ相内事業區相ノ股澤ニ至ル間小墜道ノ開鑿ヲナシ以テ相ノ股澤軌道(注:磯松林道のことと思います)ニ連結スルノ森林軌道設置ノ計劃アリシト雖本案検訂ニ於ケル結果ハ収穫量ノ減少ヲ来シ之レガ計劃スル収支ノ関係上遂ニ棄却スルノ已ムナキニ立至レリ」との記載があります。 |
また、大正時代以降については「青森林友104号(こんなこともあった”森の会”座談会)」「青森林友270号(国有林と女シリーズ第3話 七影隧道物語)」に記載がありましたのでまとめてみました。 |
大正15年に再びトンネルを設計し、小泊から一貫して機関車で搬出する計画を立てましたが、これも実現しませんでした。 昭和17年に3度目のトンネル設計がなされ、工事が行われ全長129mのトンネルが完成しました。トンネル区間は地盤が悪いので全部木材の支保工が施行されました。 竣工式には局長、土木課長が出席することになったほか、人夫1人当たり3円の酒肴に提供が許可されました。村をあげて歓迎することが企てられ1ヶ月前から踊りの稽古をする騒ぎでした。 しかし、不幸にも局長到着の4日前にトンネルの峠の中心部から小泊口にかけて、約半分が土圧により崩れてしまいました。大急ぎで復旧に取りかかったのですが、粘土の崩壊で手の施しようがなく、今度はトンネルが湧水のため崩れてしまいました。 昭和21年に、小泊口の中心を側方へずらして、新たに隧道70mを掘り、峠中心部で完全な部分へ接続しようという隧道復旧工事が計画されました。当時はセメントは一般に入手できず、コンクリートで巻立する方法が採れないので、ヒバ材250石使用による木造巻立てとしました。 木造で作った隧道が土圧で押しつぶされたところに、また木造で復旧しようということが、最初から無理なことであったのですが、六郎隧道(津軽森林鉄道の今泉側の隧道)は土質が悪いのに木造巻立て方式でりっぱに持ちこたえているという理由で採用になったそうです。 しかし、あと5m余りで旧隧道と接続が終わるところまで進んだのですが、土圧力により再び崩れてしまいました。 その後は、大堀割を三年がかりで実行し、機関車で運行したとのことです。 |
また、上記の内容と同様に、「昭和二十一年度 相内事業区施業案説明書」(昭和22年3月 青森営林局)には、「中間七影澤隧道崩不通、隧道崩壊箇所路線変更及び全線路面修繕、昭和二十二年度起工」、「相内経営区第八次経営案説明書」(昭和27年3月 青森営林局相内営林署)には「実行(改良)400m 隧道崩壊のため路面変更の上実行」との記載がありました。 |
この軌道の調査は1回だけではなく4〜5回行いました。1回目は小泊側、2回目は磯松側の峠前まで、3回目は峠手前で雨で断念、4回目は峠越え、5回目は机上調査で隧道があることが判明したのでその確認、と懲りもせずに何度も足を運び、自分でもつくづくアホだなーと思います。 しかし、隧道跡もやはりどこかにあるのかと気になるし、ヘアピンカーブの確認もしっかりと調査したいと考えると、もう一度現地に行き、納得のいく調査をしたいと思いますが、しばらくヒマはなさそうです。トホホ。 |