(2008.2.16公開)


磯松小泊連絡林道・小泊林道(追加調査)


私が数回調査しても発見できなかった七影隧道を2006年11月「山さ行がねか」合同調査隊に発見されました(山さ行がねかのレポはこちら)。

うー…(ちょっと悔しい)、やはりワシも実際に見てみなければならないと思い、2007年4月に行って来ました。

二番煎じで味気ないものですが、ご覧下さい。

※ 点線内は下記に拡大図を示しています。


この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第726号)

小泊側からスタート

磯松小泊連絡林道を小泊側から進む場合、いきなり笹藪で進みにくくなります。

今回はなるべく時間短縮するため、折りたたみ自転車を使用し、迂回する現林道(板割沢林道)で進むこととし、ついでに途中で小泊林道板割沢支線も確認することにしました。

写真はスタート地点の板割沢林道入口です。

現林道(板割沢林道)は、以前車で途中まで行きましたが、崩れている岩が散乱しており、悪路のため断念しました。

今回は自転車で楽勝と思いきや、アップダウンが大変なだけでなく、等高線沿いに進むため距離が長く疲れました。

疲れた割にはあまり時間短縮になりませんでした。
出典:「電子国土」 URL http://cyberjapan.jp/index.htm


板割沢を渡る地点です。

現林道(左側)は板割沢沿いに進みます。軌道も上流に進んでいたのですが、特に何も無さそうでしたので調査はしませんでした。

写真の右方向に進むと板割沢を渡り、磯松小泊連絡林道と交わります。


板割沢支線の橋跡再確認

せっかく迂回してここまで来たので、板割沢支線跡の下流方面を調査することにしました。

写真は林道を振り返って撮影しました。

既に廃墟となっている作業事務所?がありました。


作業事務所の裏側を降りていくと、軌道跡らしき道がありました。

轍の跡があるので、以前は車が通っていたのでしょうか?


すると、見たことのある道床が現れ、前回調査した地点まで来ました。 @の地点です。私のお気に入りだった橋脚は、さらにボロボロになっていました。ガックシ。


隧道手前のヘアピンカーブ

再び現林道に戻り、連絡林道との交差地点に来ました。写真は隧道方向を撮影しました。

この先も自転車で行ける所まで進もうと思ったのですが、ぬかるみがひどくなってきたので、この辺りで自転車を乗り捨てて調査しました。

この先はヘアピンカーブを描いて進んでいきます。


しばらく軌道跡を進み、A地点方向を撮影しました。

前回はきちんと調査しませんでしたが、この先にヘアピンカーブはあるのでしょうか?


軌道跡を期待して薄暗い森林へと進みますが、軌道跡と思える箇所は見あたりません。


しばらく進むと、少し高くなった箇所に軌道跡らしきものが見えてきました。

ヘアピンカーブでの折り返しの道床と思われたので、写真の右方向を探してみました。


すると、軌道跡らしきものがあり、たどっていくとしっかりとした道床が現れました(A地点)。


ヘアピンカーブを描き、高度も少しずつ上がっていきます。2枚前の写真の辺りです。

前回は磯松側から軌道跡をたどってきており、この辺りまで来た記憶があるのですが、小泊方面に行くのにあまりにも方向が変わっていたので、軌道跡ではないと思いこんでいました。


前の写真の先も軌道跡は高度をとって続いていますが、前回も調査したので、下方にある現林道を進みました。

軌道跡は少し高い位置を進んでおり、写真ではラインがわかるかと思います。


七影隧道北側(B地点)

七影隧道跡の確認調査ですが、なるべく自分の力だけで探そうと思い、「山さ行がねが」のレポートをあまりじっくり見ないでチャレンジしました。

しかし、気合いを入れて頑張ったにもかかわらず、発見できませんでした。

フッフッフ…こんなこともあろうかと、一応HPを印刷してきたので、それを見て探すことにしました…トホホ、ショボー。
B地点付近のヘアピンカーブの辺りです。

この写真の中に隧道の跡があるのですが、わかりませんよね?

写真左側の緑の茂みを突き進みます。


前の写真の箇所を進むと、このようになっています。まだなんだかよく分からないかと思いますが…。 さらに進むと陥没した箇所が現れました。


これくらいになれば、なんとなく…って感じかな?

今まで何度もこの付近を探していたのですが、こんな近くに隧道跡があったとは…気づきませんでした。


狭い陥没箇所に潜って撮影しました。右下の写真には金具が写っています。

隧道の構造についてはよく知らないのですが、支保工?が壊れながらも残っていてくれました。土砂が崩れているため空間が狭く、身動きはほとんどできませんでした。


七影隧道は完成後に小泊側が崩れ、別に入口を設けたので、小泊側にはもう1つ入口跡があるのですが、今回は探しませんでした。前回まで自分で探すこともできませんでしたし、山行が合同調査隊でもはっきりとした遺構を見つけられていませんでしたので、発見は無理とあっさり判断しました。

B地点から峠の切り通しへと進みます。


隧道南側へ

前回調査でも紹介しましたヘアピンカーブの付け根部分です。現林道は写真中央をショートカットして上がっていきます。

※カーソルを合わせると軌道跡が表示されます。


軌道跡は峠の切り通しに進むためにもう一つヘアピンカーブを描いていきます。

この地点は前回発見できませんでした…トホホ。


ヘアピンカーブの上部から撮影しました。

奥に見える電柱の辺りが2つ前の写真地点です。

軌道跡は写真左側から続いてきました。

軌道が高度を上げ下げするために、ヘアピンカーブやスイッチバックが基本ということを考えていれば、前回の調査で軌道跡を発見できたのですが…まだまだ勉強不足です。


峠の切り通しを越えて、隧道の南側の入口に来ました。

写真は峠方向を撮影しました。左側は峠の切り通しへ続く道です。分かりにくいですが写真右方向に沢があり、右側の緑の茂みの部分から隧道への軌道跡が続いています。

軌道跡を簡単に探せると思っていましたが、ここに来る前に一度間違えて別の箇所を進んでしまいました。トホホ…。


ちなみに峠方向への軌道跡が沢を渡る箇所(前写真の真ん中付近)には、怪しげな木片がありましたが、遺構かどうかは分かりませんでした。


隧道方向へ進み、しばらくすると低木が生えている空間になりました。

軌道跡として広すぎるので、隧道工事用の資材置き場または休憩所などがあったのでしょうか。


さらに先へ進むと、だんだん狭くなっていきました。「いよいよ隧道がある!」と思いダッシュした瞬間、ぬかるみに長靴がはまり、抜けなくてコケそうになりました。

写真でも分かるように水たまりがあり、しかも長い間落ち葉や土砂が堆積しているのでかなりぬかります。

映画とかで宝物を目の前にショボイ罠に引っかかる人がいますが、その気持ちが分かりました。


七影隧道の南側は、かろうじて上部が見えていました。

その存在を知ってから5年が経ち、やっと出会えました。



入口は完全には埋もれていませんでした。

机上調査で見つけた昭和46年以前に撮影された写真と比べると、あまり状態は変わっていないような感じがします。

その写真には中央に木のようなもの(土砂?)も写っていますし、下方は草が茂っていますが、それほど埋まり具合も変わっていないかと思います。(写真が白黒であり全体を撮影したものでないので断定はできませんが…)。

中に入ろうと思えば入れたのですが、ちょっとコワイので入りませんでした。

隧道工事に関わった方の苦労や開通を望んでいた小泊村の住民の期待などを思いながら、しばらく目をつむりました。


朽ちかけていた橋跡の確認

七影隧道に別れを告げ、峠を越えて引き返しました。

帰りがけに、前回調査でうまく撮影できなかった橋跡(D地点)を再確認するため、軌道跡をそのまま進みました。


D地点に着いたのですが、橋跡が見あたりません。橋があったと思われる箇所には、このように橋桁の残骸らしきものが…。嫌な予感がします。


そして、橋脚だけが何とか残っていました。

ということは…。


がちょーん…。

現林道から軌道跡を見上げて撮影しました。

これは土砂崩れではなく、林業作業用として人工的に崩されたと思われます…ガックシ。

※カーソルを合わせると木橋跡が表示されます。

今回の調査で七影隧道の存在を確認できて満足しています。

しかし、様々な遺構が年々崩壊していくのがちょっと悲しいです。今、各地で残っている遺構も、あと数年したら無くなってしまうかもしれません。

できる限りいろんな場所を調査したいと思いますが、ヒマと金がないので簡単にはいかなそうです。


明治時代や大正時代の青森大林区署の施業案説明書をみると、磯松小泊連絡林道設置計画について記載されていました(昔の文章を上手く解読できたか自信がありませんので、間違っていたらすみません。普段の日本語でも上手く解読できないので…トホホ)。

『小泊地域のヒバ材を(十三湖畔にある)相内の製材所に送るには、@海路では権現崎(小泊岬)を迂回する必要があり潮風の関係で運搬が危険かつ不正確A陸送は距離は短いが荷馬車で高賃を支払わなければならない、など運搬が不便であった。そこで搬出力の増大を図るため小泊磯松間の軌道敷設計画が立てられた。』

また、大正3年時点の計画では、隧道の延長は130間(約236m)とあり、以前調べた資料の129mと異なりますので、ひょっとすると当初の計画では別の箇所を予定していたのかもしれません。


 さて、車まで戻る方法ですが、行きにきた林道をそのまま戻ると悪路かつ勾配が大変なので、笹藪を覚悟して軌道跡を進むことにしました。


自転車を折りたたみ、笹藪に突入しました。

自転車に笹がからみつき、思うように進めません。

途中で、前回の調査で確認した電柱とは別のものを発見しました。
長期戦を覚悟していたのですが、すぐに笹藪はなくなり、石垣が現れました。


笹藪は思ったより短く、50mも無かったかと思います。林道を回り込んでいくより、時間も距離も短くて済みました。行きもこちらを通っておけば良かった…トホホ。


磯松小泊連絡林道・小泊林道へ

( 線名 地図 )