(2006.9.29公開)
(2014.4.27一部修正)
津軽森林鉄道 @沖館〜野木和公園付近

この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第256号)


津軽森林鉄道は、人畜以外の動力として蒸気機関車による運材を行った日本で最初の森林鉄道で、明治42年から運材を開始しました。

青森の沖館から北上し、蟹田を経て津軽山脈を2本の隧道で進み、今泉を経て南下し、金木の喜良市(きらいち)まで、「J」の字をひっくり返したような線形で、本線は全長67qあるほか、山奥に入る込む数々の支線も設けられました。

そんな津軽森林鉄道も、戦後のトラック普及や林道(車道)による木材輸送方法の変換によって昭和42年11月に廃止されました。

津軽森林鉄道の概要については、時間があったら別にまとめたいと思います。

長い距離の津軽森林鉄道ですが、今回は起点の沖館から野木和公園付近の調査結果を紹介します。

なお、津軽森林鉄道は、私が2002年に青森県内の軌道跡調査を初めて行った路線です。まだ慣れない調査で写真もいまいちなものが多く、撮影した時期もバラバラですが勘弁してください。

津軽森林鉄道は旧青森営林局庁舎本館(写真の建物。現在は森林博物館となっています。)付近を始点としていました。

昔は、この起点付近に製材所や貯木場があり、いくつかの引き込み線があったようです。

かつては営林局があった青森ですが、今はこの近くに東北森林管理局青森事務所があるのみでちょっと淋しいです。

この写真の左側に、津軽森林鉄道で活躍した車両が展示されています。

森林博物館から500mほど先に進むと、津軽森林鉄道の石碑があります。

石碑の左側の細い道が軌道跡です。

なお、この周辺には青森運輸営林署、青森営林署、営林署公舎などがありました。ちなみに青森運輸営林署は管轄する国有林を持っていない営林署でした。

昔は蒸気機関車から飛散する火の粉による飛び火防止のため、沖館(この写真の付近)と蟹田に防火亜鉛葺トンネルが設置されていたそうです。

石碑をアップで撮影しました。

裏側にはこの石碑の説明が書いてあり、昭和47年に青森営林局は森林鉄道跡地を青森市に無償供与したとのこと。

青森市はこれに応える形でこの石碑を建立し、昭和48年12月に除幕式を行ったそうです。

石碑から500mほど進むと、空き地にレールを使った柵が見られました。かつてはこの周辺も貯木場(新田貯木所)であったらしく、昔の地図には引き込み線も記載されています。

この頃は調査をやり始めたばかりでしたので、レールを見つけたことに興奮していました。

そして、発見から数ヶ月後にこの空き地を通ってみると、写真のようにレールの柵を撤去しているではありませんか!

貴重な遺構が…と思い、作業している人に許可を得て、レールの切れ端をもらってきました。

これがそのレールの切れ端です。

妻曰く「何これ…?どーすんの…」。

文鎮にすれば売れるのでは?

このレールの底辺は約6.3pなので9q軌条と思われます。

なお、このレールのあった空き地は、現在は住宅地となっています。

その後鉄道跡は沖館川を渡り、JR津軽線をくぐって?進んでいますが、遺構を発見できませんでした。

写真は津軽線をくぐった先で撮影しました。

撮影が2002年なのですが、現在は新幹線車両基地ができたため風景が変わっています。

そして、注目すべきは歩道にある柵です。小さくてわかりにくいですが、木と汽車ポッポの図柄です。

確認した訳ではありませんが、津軽森林鉄道の軌道跡を意識したものだと思います。仕事で何度もこの道を通っていましたが、気づきませんでした。

新幹線車両基地を越えると、軌道跡は2つに分かれます。右に見える細い道が旧線、左に進む道路が新線です。

新線が作られたのは、昭和7年に着工された青森飛行場の設置で、軌道がその用地の一部に含まれていたためです。新線は西側に迂回し、野木和公園内を通過しています。

この軌道敷地は軍で買収交替のはずだったのですが、戦時で処理が遅れて未解決な部分があり、地主から申し出があり戦後に市役所で処理したとのことです。

以下は旧線と新線に分けて紹介します。

1 旧線跡

旧線はすぐに水路や天田内川などを渡ります。写真では手前の木橋とその奥にもう一つ見えるのがわかります。

小さな橋ですが、写真を撮った時は通ることができました。

1つ目の水路を渡る橋です。

当時のものでは無いと思いますが、通れるように木橋が掛けられています。道幅が狭いので、軽自動車でも通るのは難しいと思います。

2005年9月の豪雨により、天田内川の護岸が被災したことにより改修工事が行われ、天田内川を渡る2つ目の橋は無くなってしまいました(撮った写真もどこかに無くなってしまいました…トホホ)。

その先は水田の中を進んでいきます。

写真左に進む道(草むら)は新城支線跡と思われます。

旧線は水田の中を進み、国道280号バイパスを越えた後、野木和公園の横を通り過ぎていきます。


2 新線跡

新線は旧道分岐地点から西方向に曲がり、国道280号バイパスを越えて進みます。

本線は直進、左に進むと新城支線です。右から進んできた道は旧線からの新城支線跡と思われます。

調査中に、この辺りで車を田んぼに落としてしまいました(近くにいたおばさんの車に引っ張ってもらって脱出…トホホ)。

水田を通り抜けた後は、舗装された道となり野木和公園に向かいます。

野木和公園内の軌道跡です。

軌道跡は周囲よりややくぼんでいました。

奥に見える橋は公園内の歩道ですが、おそらく軌道撤去後に公園整備で掛けられたと思われます。

夏の野木和公園の写真です。

軌道跡は草が生えており、松の木が無いのですぐに分かります。

公園を過ぎると、軌道跡は農道として使用されていました。

農道を過ぎると、軌道跡は土手のような築堤になっています。

この写真のやや先が旧線との合流地点です。

水路?がある部分では、築堤がとぎれており、橋脚跡?を発見しました。

調査をやり始めた頃でしたので、こんな橋脚跡でもかなり興奮して撮影したことが思い出されます。

軌道跡を横から撮影しました。築堤は結構しっかりとしていました。


このレポートを書いていて森林鉄道を調べ始めた頃(2002年)のことが思い出されます。何をどのように調べてよいかわからず、調査に時間がかかったり、車を田んぼに落としたり、デジカメの電池が切れてコンビニに買いに行ったりとアホな思い出ばかりです。

そんな中でようやくレールや橋脚跡を発見して、大喜びしていました。この先にまた何かあるかと期待されますが、あんまり見つけられませんでした…トホホ…。
 A野木和公園付近〜内真部(うちまんぺ)へ

( 線名 地図 )