(2011.5.31公開)
津軽森林鉄道 E 相ノ股隧道 蟹田〜今泉間は津軽森林鉄道の中で一番早く工事に着手した区間で、明治38年11月に着工し、明治41年7月に竣工しています。 当時の新聞によると、この区間にあった相ノ股隧道と六郎隧道は、明治40年9月には既に完成していたようで、工事着工から約1年で完成したことになります。 調査は2002年秋に行いました。 |
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出典:「電子国土」 URL http://cyberjapan.jp/ |
1 蟹田側入り口 相ノ股沢を渡った後、しばらく林道沿いに進みます。 林道沿いにある作業小屋の裏側が、隧道への軌道跡です。 |
空間ができている部分が軌道跡と思います。 調査当初は軌道跡かどうかあまり自信がありませんでしたが…。 |
しばらく進むと、少し広い場所に出ました。 しかし、隧道はまだ見えないので、ちょっと不安でした。 |
あきらめずに進むと、何か見えてきました。 この辺りは部分的にぬかっているので、時々コケそうになりました。 |
ようやく隧道の入り口が見えてきました。 机上調査で入り口の存在を知っていたのですが、それでもちょっと興奮しました。 |
土砂や木などが覆っていましたが、入り口は塞がれてはいませんでした。 他にも何枚か写真を撮ったのですが、いまいちなものが多く、まともそうなヤツを掲載しています…トホホ。 |
坑門の壁柱や迫石はレンガ造りとなっています。 土木工学的なことはよくわかりませんが、なかなかいい感じです。 中をのぞいてみましたが、真っ暗でした。 |
2 今泉側入り口 軌道跡は県道から少し離れた所にあります。 掘割になっている部分が軌道跡と思われますが、「工事中につき立ち入り禁止」という赤い看板があり、ここから進入しての調査は行わないことにしました(この頃(2002年)は、まじめでしたので…)。 |
そこで、別の箇所から回り込んで、堀割の上から撮影しようと試みました。 しかし、手を掛けていた木が折れ、堀割の下に落ちてしまいました(写真左上から滑り落ちた)。 たいした高さではなかったのですが、かなりビビりました。結局、堀割に入っての調査になってしまいました。 写真は隧道入り口方向を撮影しました。 |
前の写真の中央に写っていますが、取り外した枕木が残されていました。 枕木には、犬釘もついていました。 |
進んでいくと、隧道の入り口が見えてきました。 机上調査では、今泉側の入り口について何も情報がなかったので、ちょっとびっくりです。 |
大平側の入り口に比べると、なんとなく小さいように見えますが、坑門部分のレンガが無いせいでしょうか |
入り口はこのようになっていました。 大平側と比べるとショボい感じがしますが、レンガがいくつか落ちていたので、こちら側もレンガ造りだったと思われます。 |
こちら側の隧道内は、すぐに土砂に埋もれているのが確認できました。 ちなみに机上調査では、1986年頃は、まだ貫通していたとの記録がありました。 |
隧道を後にして、堀割の入り口を目指します。 しかし、この辺りは土砂や落ち葉が堆積しており、かなりぬかっており、端を歩きました。 右に立っているのは電柱で、まだ碍子がついて残っていました。 |
ようやく堀割を脱出しました。 この先、軌道跡は、大川目沢沿いに進み、何回か川を渡り、今泉へと向かいます。 |
意外と簡単に相の股隧道を発見することができました。森林鉄道の調査初年目にいきなりの発見だったので、あっさりだなーっと調子に乗っていました(しかし、これ以降他の箇所で調査の難しさを知ることになるのですが…)。 明治41年に竣工されてから約100年、隧道の入口が残っていたことにはびっくりしました。津軽森林鉄道はは日本初の森林鉄道であり、その設計は一般の鉄道を踏襲していることや、設計に鉄道の技術者が関わっていることから、隧道もしっかりしたものとなっていたので、今まで残っていたのではないかと思います。 撮影した写真がショボかったので、撮り直しのため数週間後再度訪問したのですが、雪が降っていました。 |
このように寒々とした風景でした。結局、うまく撮影できなかっただけでなく、寒いので早く行こうと走ったら、ぬかっている箇所でズボンが汚くなってしまいました…(洗濯しても汚れがなかなか落ちなかった…トホホ)。 |
D蟹田〜大平へ F相ノ股隧道〜六郎隧道(蟹田側)へ |