(2012.9.21公開) (2014.4.27一部追記) |
津軽森林鉄道 ⑦ 相ノ股隧道~六郎隧道(蟹田側) |
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平23情使、第705号) |
この区間は大川目沢を9回渡っていたので、橋台や橋脚跡がいくつか残されています。また、森林鉄道跡は県道沿いに存在していることから、車で走りながら簡単に遺構を確認することができます。 2002年に森林鉄道調査を開始しましたが、当時はこの区間にいくつも残されている遺構を発見し感激したものでした。しかし、今になってみると遺構が簡単に見つけられてしまって、あまり有り難みがない感じもします。…と調子に乗っていますが、すべての橋跡を確認できたわけではありません。 調査は2002年、2007年、2008年、2012年に行っています。 |
相ノ股隧道を過ぎ、森林鉄道跡は大川目沢沿いに進みます。 写真は相ノ股隧道方面を撮影しました。左側(大川目沢対岸)にうっすらと県道のガードレールが見えています。 |
森林鉄道跡が県道と交差する地点付近には、写真のような物が見られました。 取り外された森林鉄道のプレートガーダーでしょうか? 何か証拠になるものがないかと調べたのですが、特に何も分かりませんでした。違うのかな? |
森林鉄道跡は県道を越えて、県道の北側に移ります。 切り通しで進んでいきます。支線や他の地区の軌道に比べ、切り通しが少し大きいような感じがしました。 |
切り通しを進むと、大川目沢を渡る①地点に出ます。 橋台翼壁のコンクリート部分がむき出しになっており、道床の盛り土が崩れていました。 |
川に入って撮影しました。コンクリート自体はそんなに劣化はしていないように見えます。 |
ちょっとわかりにくいですが、蟹田側の橋台をよく見ると、水面に数本の木が打ち込まれているのが見えます。 開業当初は木橋で、老朽化に伴って後からコンクリ橋台にしたのではないでしょうか? |
今泉側を撮影しました。 草があってわかりにくいですが、こちら側の橋台もコンクリートが残っていました。 |
ちなみに①地点は、近づかなくても、県道からこのように見ることが出来ます。 ただし、草木が繁茂している季節は見にくくなっているかと思います。 |
次の橋跡②へ向かう途中には、森林鉄道跡の傍らに、取り外された枕木が無造作に置いてありました。 |
②地点の橋です。蟹田方面を撮影しました。 この橋は旧県道から少し入れば近づくことが出来ます。 木製の橋脚が残されており、いい雰囲気です。 |
一方、今泉側は橋脚の一部が数本残されているだけで、少し寂しいです。橋脚には金具が付いていました。 |
森林鉄道跡は旧県道を交差して進んでいきます。 木の間の空間が森林鉄道跡と思われます。 |
③地点を旧県道から撮影しました。ここには崩壊しかかった木橋が残されていました。 この写真ではよく分からないので茂みの中に進みます。 |
茂みの中に進むと、このように橋桁と橋脚が残されていました。 ちなみに対岸には橋脚等を見つけることができませんでした。 |
森林鉄道は県道の南側へ移り④地点へ進みますが、大川目沢を渡る箇所が県道と重なっており、橋跡を見つけられませんでした。 |
④地点を過ぎると、県道の脇に切り通しのような物が見えました。おそらく森林鉄道跡かと思われます。切り通しに大きな水たまりがあったので、この先には進みませんでした。 ちなみに県道は交通量は少ないものの、通過する車はかなりスピードが出ているので、調査時は注意が必要です。 |
⑤地点です。県道から撮影しました。 中央からやや左に橋脚らしきものが見えます。 先ほどの切り通しはここに続いていると思われます。 草木が繁茂している時期は、県道からは見えにくくなっています。 |
別の時期に橋脚に近づいて撮影しました。 かろうじて残っているという感じでした。ちょっと草がじゃまですね。 |
小股支線との分岐点で、今泉方向を撮影しました。 昔の地図を見ると、この辺りに小股宿泊所(事業所)があったようです。 また、明治41年7月に蟹田~今泉間が部分竣工され、翌8月の森林鉄道視察会では、この辺りが視察会場となり、森林鉄道工事経過の説明を行っています。また、会場では、川で冷やされたビールが振る舞われたとの記録もありました(…おいしそう)。 |
⑥地点です。蟹田方面を撮影しました。 草が繁茂しておりわかりにくいのですが、ここも県道から見ることが出来ます。 (カーソルを合わせると、秋の写真を表示します。) |
蟹田方面の橋台です。 ①地点の橋台と同じような形です。 |
橋脚です。このくぼみにプレートガーダーなどの橋桁がカポッとはまるのでしょうか。 |
今泉側は、草木が繁茂しており、森林鉄道跡は判然としませんでした。 ちなみに、この先に進んでみましたが、草や笹藪で大変な目に遭いました。 この先の⑦地点は、④地点同様に県道と重なっており、橋跡を見つけられませんでした。 |
森林鉄道跡は再び県道の北側へ移り、⑧地点に進みます。県道からはっきりと見ることが出来ます。 橋台が川の護岸コンクリートとくっついていました。 |
近づいて蟹田方面を撮影しました。 橋台の一部が破損しています。護岸コンクリート設置時に壊れたのでしょうか? |
今泉方面の橋台を撮影しました。 川にコンクリートのようなものが落ちていました。橋台の一部なのでしょうか? |
またしても県道の南側へ移ります。⑨地点です。 県道からも小さいながら何とか確認することが出来ました。笹藪の部分が森林鉄道跡で、よく見ると橋脚が見えます。 (カーソルを合わせると、冬の写真を表示します。) |
森林鉄道跡は再度県道の北側へ移り、六郎隧道へと進んできます。県道から隧道方向を撮影しました。 川沿いに、中央の木の後ろ辺りを進んでいたと思われますが、明確な跡を見つけることが出来ませんでした。 ちなみに、旧県道は山を越えて進みます。左の斜面に旧道のガードレールが見えています。 |
旧道の斜面下までたどり着きました。 この辺りが六郎隧道と思います。切り通しらしき箇所があったので、先に進んでみましたが…。 |
先には小さな池があり、斜面下まで進めませんでした。斜面の上には旧道のガードレールが見えています。 おそらくこの辺りが六郎隧道の入口かと思われますが、埋まってしまったらしく、何も発見することが出来ませんでした。 |
旧県道を上り、ガードレールが見えていた付近で撮影しました。 現在の県道が見えています。森林鉄道は県道がカーブする辺りで県道から離れ、この撮影地点の下へと進んでいたようです。 |
この区間の遺構は、県道から近くにあり、いつでも見ることができると思っていたので、きちんとした調査をしていませんでした。 いい加減な調査をしていたせいでしょうか、2008年に再調査時に道脇にある側溝に気が付かず、足が落ちたときにコンクリート角にすねが当たり、ザクっとなり出血しました(結構痛かった)。トホホー… |
⑥相ノ股隧道へ ⑧六郎隧道(今泉側)へ |